2010.05.29
平城京に遷都されたのは、なぜか? 平城京から遷都されたのは、なぜか?
平城京は710年に遷都され、以後約80年に亙って律令制国家・日本の都であった。
710年に平城京に遷都されたのは、なぜか?784年に平城京から遷都されたのは、なぜか?
様々な理由が挙げられるが、その大きなものの一つに国家統合の主導権争いがあった。
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posted by staff at : 2010年05月29日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.29
宗教ってなに?番外編~インドに仏教が根付かなかったのはなぜ?①~
こんにちは。カッピカピです。 😀
今回は、宗教って何?の番外編として、『インドで仏教が根付かなかったのはなぜ?』をお送りしたいと思います。最近はじまった、インドシリーズと合わせて読んで頂ければ幸いです。それでは、まずは恒例の応援クリックから、続きへどうぞ。
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posted by hi-ro at : 2010年05月29日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.28
現在のインドの状況
新シリーズ「インドを探求する」で、インドに行く 🙄 ことになったのですが、現在のインドについて余りにも知識が不足しているので、ウィキペディアなどを参考に、まずは現在のインドの状況をまとめておきたいと思います。
<概要>
南アジア随一の面積と世界第2位の人口を持つ大国である。
10億人を超える国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されている。
州境を越えるとまったく違う言語が話され、それぞれの文化芸術があり、中央政府とは別に各州に政府があり大臣がいる。
主な言語だけで15を超えるためインド政府が発行する紙幣には17の言語が印刷されている。(画像はこちらからお借りしました。)
インドについてもっと知りたいと思われた方、応援お願いします。
posted by tama at : 2010年05月28日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.21
新シリーズ「インドを探求する」
こんばんわ 😀 。管理人のtanoです。前回の縄文体質を切開するが終り、新しいシリーズが始まります。いきなりですが、今度は私たちはインドに行きます。
インドは現在BLICSとして注目され、アメリカが全面的に依存するほどの目覚しいIT技術者量産から頭脳大国として注目され始めている。
朝日新聞インド特集
また経済成長も著しく、GDPもついにドイツを抜き米、日、中に続いて世界第4位、小子化政策の失政であえぐ中国を尻目に若い労働力を大量にかかえるインドの人口構成はそれだけで、次世代の可能性を感じさせる。人口10億を突破したインドであるが、現在でもカースト制度が残っており、民主化政策の裏返しである身分制度は色濃く残っている。
しかし、現在IT技術者として活躍しているのは意外にもカーストの最下層に位置するドラビダ人であることはあまり知られていない。
その経済成長だけでなく活力、体制とも世界中が注目しているインド、なぜ今インドが元気なのか?その本質的な原因は何か?インドから何が学べるのか?
今回、この縄文ブログでは初めてインドの特集を組んでみたいと思う。
野町和嘉写真集よりお借りしました。
実はこのインド特集を組むに当たって縄文ブログの仲間とインドについて話してみました。そこで日本とインド、かなり似通った部分があり、また大きく異なる部分がある事に気がつきました。その当りを少し触れて以降の探求の切り口としてみたいと思います。
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posted by tano at : 2010年05月21日 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.19
ポスト近代市場の可能性を日本史に探る~日本市場史年表(古代~江戸鎖国まで)~
「ポスト近代市場の可能性を日本史に探る」シリーズが終わり、みなさんの追求の集大成として”市場史年表”にまとめてみました。年表の説明に入る前に古代から江戸の鎖国までの簡単な流れをおさらいしておきます。
日本古代の贈与NWを基盤に、大陸からの稲作(出挙)を媒介とした神社NWを形成する。
この頃になると、渡来豪族の多元外交から、大王家による外交の一元化が図られる、これが遣隋使、遣唐使である。このようにして大王家は大陸文化の導入を図るものの、大衆は選択的受容に止まったままで大衆共認までには至らなかった(律令制なども定着しなかった)。
しかし、奈良・平安と時を経るにつれ大陸の外圧が低下すると、受領や密教・修験道NWを基盤として平安京に富の集積が始まる。そして、この富を目当てに民間市場も発達することになる。
このように国家による市場拡大が進んでいくが、商業を支配していた寺社勢力から金貸しが台頭していき、更には、西洋の商人=武器商人が暗躍することになる。
江戸時代になると、このような重商主義となりつつある市場を制御する為、鎖国を行い西洋商人の締め出し、貨幣統合によって市場を管理するようになり江戸幕府が確立していく。
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posted by yoriya at : 2010年05月19日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.18
シリーズ:『イスラムを探る』第3回【ムハンマド登場と急拡大したイスラム教】
こんにちは
ムハンマドがアッラーの啓示を受けてから、約20年後にはアラビア半島をほぼ統一しイスラム共同体を作り上げている。
こんな短期間に統合国家を実現するのは驚異の沙汰。
しかも、ムハンマドの死後、内部対立がありながらも、その統合中心であるイスラム教は現在まで厳然と生き続けている。
如何にして実現したのか、追ってみたい。
570年頃 ムハンマド(マホメット)が生まれる
610年頃 ムハンマド、神(アッラー)の啓示を受ける
622年 ヒジュラ(聖遷)イスラム紀元
630年 ムハンマド、メッカを征服(→アラビア半島統一)
632年 ムハンマド死去。正統カリフ時代始まる
642年 イスラム帝国がササン朝ペルシア軍を撃破(ササン朝は651年滅亡)
650年頃 コーラン(クルアーン)の成立
661年 ウマイヤ朝成立(~750年) →スンニ派とシーア派に分裂
711年 西ゴート王国を滅ぼし、イベリア半島を支配
750年 アッバース朝が成立(~1258年)
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posted by nishipa at : 2010年05月18日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.15
宗教ってなに?6~近代思想と宗教は同根~
こんにちは 😀
「宗教ってなに?」シリーズ第6弾です
前回の、「宗教ってなに?5~全ての古代宗教の起源? 原始ミトラ信仰①②~」で明らかになったこと
>現在の宗教は、太陽神崇拝、ミトラ神崇拝を出発点に様々な塗り重ねがなされたものであり、誰か一人の創始者が白紙から作り上げたものではないということですね。
上記のように、キリスト教や仏教など、一見相関関係が無さそうに見える宗教も、実は元をたどるとミトラ教にたどりつくことがわかりましたね 😀
今回は、近代思想(個人主義等)も近代に入って誰かがイチから作ったものではなく、ミトラ教と同じく元になる何かがあった ことがわかる投稿を紹介したいと思います
posted by pingu at : 2010年05月15日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.15
ポスト近代市場の可能性を日本史に探る~通史的まとめ(後編)
引き続き市場史シリーズまとめ(後編)をお届けします。
○以下は近世の論考です。
○ブログ記事より( )内は担当した会員です。
⑨幕藩体制→参勤交代制が可能にした江戸時代の経済発展 (ないとう)
⑩鎖国とはなんだったのか?~鎖国政策の原点、秀吉のバテレン追放令を読む (怒るでしかし~)
⑪鎖国が生み出した江戸の自給自足経済、自然循環型社会 (怒るでしかし~)
⑫幕藩体制の崩壊と開国~カネを哂うものはカネに泣く~ (うらら)
⑬鉱山開発と三貨制度~家康はどのようにして近世管理市場を構築しえたのか? (怒るでしかし~)
○以下はるいネット掲示板での論考です。
封建制が近代市場社会を生んだ3(商業権力を制御した江戸システムの可能性)
戦国時代の制覇力は経済力か?~楽市楽座より~
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posted by staff at : 2010年05月15日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.14
縄文体質を切開する8~「考えない日本人」とこれからの可能性は
「縄文体質を切開する」というシリーズをこれまで展開してきましたが、その中でどうしても押さえておかなければならない日本人の体質があります。
これは先日のなんでや劇場で語られたことですが、日本人の持つ舶来信仰という中身です。(このシリーズでも第6回で少し触れられています)さらにそこから派生し、垣間見える「考えない日本人」という特質です。
日本は有史以降、大陸の外圧に対応してこれまで3度の大きな変化を繰り返してきました。いずれも集団や制度や文化においてそれ以前の日本と180度変わるくらいの大きな変化です。その対処の方法を見ると日本人の特質が浮き彫りになってきます。
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posted by tano at : 2010年05月14日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2010.05.13
ポスト近代市場の可能性を日本史に探る~通史的まとめ(前編)
縄文ブログ会員のみなさんの協力のもと、ポスト近代市場の可能性を日本史に探るシリーズ13話が完了しました。その記事を踏まえて日本市場史から見えてきたポスト近代市場の可能性についてのまとめを2回に分けて投稿します。
●以下は序論から中世までの論考です。
○ブログ記事より( )内は担当した会員です。
序:「ポスト近代市場の可能性を日本史に探る」をはじめます(怒るでしかし~)
①古代市場の萌芽は贈与ネットワークにあった 前編・後編(tano)
②古代日本外交史 ”主体的”外交への転換(ないとう)
③神道の広まりが租税を可能にし、市場発達の基盤を作った(ないとう)
④日本古代市場の魁=修験道ネットワーク(怒るでしかし~)
⑤宮廷サロンをつくった商人とそれを支えた受領(うらら)
⑥中央集権から封建制へ~武士の台頭(yoriya)
⑦中央集権から封建制へ~農民の武装化と地方市場の拡大(yoriya)
⑧中世市場をリードした「堺」の武器と茶の湯(tano)
○以下はるいネット掲示板での論考です。
単一民族日本が持つ特殊性と可能性について
貴族階級の豪奢と横暴がもたらした都市難民と寺社勢力の台頭
古代日本に、中央集権国家は実現したといえるのか?
一遍上人の登場は市場と仏教の関係を示唆している
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posted by staff at : 2010年05月13日 | コメント (7件) | トラックバック (0) TweetList