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現在のインドの状況

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 新シリーズ「インドを探求する」で、インドに行く 🙄 ことになったのですが、現在のインドについて余りにも知識が不足しているので、ウィキペディアなどを参考に、まずは現在のインドの状況をまとめておきたいと思います。
<概要> 
南アジア随一の面積と世界第2位の人口を持つ大国である。
 10億人を超える国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されている。
 州境を越えるとまったく違う言語が話され、それぞれの文化芸術があり、中央政府とは別に各州に政府があり大臣がいる。
 主な言語だけで15を超えるためインド政府が発行する紙幣には17の言語が印刷されている。(画像はこちら [2]からお借りしました。)
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 インドで最も多くの人に日常話されている言葉はヒンディー語で、約4億人の話者がいると言われ、インドの人口の約40%を占める。ヒンディー語圏以外では各地方の言語が日常的に話されている。
 ヒンディー語を連邦公用語としているが、800種類以上の言語が話されているインドでは、地域が異なればインド人同士でも意思疎通が難しい場合もある。
 国内コミュニケーションの必要上から第二公用語の英語を非常に重視しており、結果として国民の英語能力は総じて高い。
 現在のインド人は先住民のドラヴィダ人と中央アジア方面からやってきたアーリア人との混血であるといわれている。 Y染色体やMtDNAの研究結果によると、インド人の大半は南アジア固有のハプログループを有している。 またこれらの染色体は他の人種には類を見ない特異な遺伝子であることがわかっている。
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 多くの人はヒンドゥー教徒で、それにまつわる身分差別であるカースト制度の影響は今でも残っている。インド軍内においても出身地別の部隊であったり、士官学校にいけるカーストが限定されているなど軍隊組織にもカースト制度の名残がある。
 インドの人口に占める各宗教の割合: ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%(2001年国勢調査)
(画像はこちら [6]からお借りしました。)
 歴史的に哲学が盛んな国であり、多くの優れた哲学者を生んだ。そのため聖賢の国とも呼ばれているが、イギリスのインド支配により、徹底的に搾取され、17世紀と18世紀には大飢饉が起こり。愚民政策により識字率は60%から10%へ低下した。
1947年のイギリスの植民地からの独立の際、それまでのインドは、インドとパキスタンに分裂した。その後、パキスタンの飛び地となっていた「東パキスタン」が1971年にバングラデシュとして独立している。
<成長著しい近年のインド>
 冷戦が終わり、1991年に通貨危機をきっかけとしてインド型社会主義の実験を終え、経済自由化に政策を転換した。外資の導入、財政出動などにより、経済は成長を遂げた。
 近年はITサービス業を中心に経済成長を続け、ロシア、ブラジル、中国とともにBRICsの一角として注目を集める存在となり、IT分野においてはその技術力が欠かせない存在となっている。
2007年にはゴールドマン・サックスが「インド経済が今世紀半ばに米国を追い抜き、中国に次ぐ世界2位の経済大国に成長する」とのレポートを出した。
農業も盛んで、1960年代から穀物の増産に成功し、食料自給率は100%を超えている
・主な農産物
  パンジャブ地方、ガンジス川中下流域で盛ん。 世界生産量第2位
 綿花 デカン高原で盛ん。 世界生産量第3位
 小麦 北部で盛ん。 世界生産量第2位
 ジュート 世界生産量の60%以上を占める。 世界生産量第1位  
  アッサム地方で盛ん。アッサムティーと呼ばれる。 世界生産量第1位
<海外で活躍するインド人>  
印僑は華僑・ユダヤ人・アルメニア人に並ぶ世界四大移民集団で、海外で成功を収めている。大英帝国の植民地時代から世界各国の国へ移民し、特にイギリスの支配下であった英語圏に圧倒的に多いのが特徴。
 特に、アメリカでは、科学者の12%、医師の38%、NASAの科学者の36%、マイクロソフトの従業員の34%、IBMの従業員の28%、インテルの17%、ゼロックスの13%がインド系アメリカ人であり、インド系アメリカ人は200万人おり、そのうち20万人もの億万長者がいると言われいてます。
<とても親日的なインド> 
第二次世界大戦ではインド国民会議派から分派した独立運動の指導者チャンドラ・ボースが日本軍の援助の下でインド国民軍を結成し、日本軍とともにインパール作戦を行ったが、失敗に終わった。
 1948年、第二次世界大戦の極東軍事裁判において、インド代表判事パール判事(ラダ・ビノード・パール、1885年1月27日 – 1957年1月10日)はイギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪であるとして、日本無罪論を発表した。
 また1951年のサンフランシスコ講和条約には欠席し、これについて国会演説においてインド初代首相ネルーは「彼ら(日本)は謝罪が必要なことなど我々には何一つしていない。それ故に、インドは(サンフランシスコ)講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない」と述べた。1952年4月に国交が樹立し、6月9日に平和条約が締結された。
 広島の原爆記念日である毎年8月6日に国会が会期中の際は黙祷を捧げているほか、昭和天皇崩御の際には3日間喪に服したほどで、インドは極めて親日的な国家である。
 しかし、インド人の日本への留学者は毎年1000人以下と、他のアジアの国の留学生の数に比べて極端に低い。
 
 世界最大の民主主義の国であり、IT産業を中心に優秀な人材を輩出し、成長めざましいインドは、未だに「日露戦争で、アジアの小国の日本が、ロシアという西欧の列強の一つを破ったことが、インドの独立の可能性を示唆した。日露戦争の日本の勝利が、インド独立のきっかけにもなった。」と、日本に謝意を呈し、教科書には「忠犬ハチ公」の話が載っているというとても親日的な国でもあるのですが、我々日本人は、インドのことをあまりにも知らなすぎるようです。
インドの概況がわかったところで、次回は巷のインド評について紹介してみたいと思います。

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