2010.04.24
宗教ってなに?~4.宗教の変換について
こんにちは。カッピカピです。 😀
ちわわさんからの期待を受け、「宗教ってなに?」シリーズ第四回目の記事を書いてみたいと思います。第四回目のテーマはズバリ、宗教の変換についてです。
宗教の変換を、メソポタミアの歴史から追っていきたいと思います。
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posted by hi-ro at : 2010年04月24日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.23
「縄文体質を切開する」 4~縄文時代の男とは?女とは?
こんばんは。前回は、集団における本源規範についてでしたが、今回は、集団の根幹となる、男らしさと女らしさについてです。
ちょぺっと幸せな歯科医師の日記 より
前回のエントリーでは、
最大の活力源である性の肯定視を基底部におく縄文人は、徹頭徹尾、肯定視観に貫かれた存在だったということができるのではないでしょうか?肯定視観に導かれた期待・応合の圧力から溢れ出る「みんな一緒」「みんなの役にたちたい」・「喜んでくれて嬉しい」という想いこそが、縄文人の本質であり、集団全体がこのような本源規範に貫かれていたのだと思います。
と結ばれているように、縄文時代は、性をベースにした男女の期待と肯定視を活力源としていた時代だったと思います。
一方で、現代を見れば、男女同権的な考え方が、じわじわと日本にも導入されていますが、何か違和感を持っている人たちも案外多いように感じます。
この違和感の出所が、過去から脈々と受け継がれてきた、日本人における男女のあり方に照らしあわせているからではないでしょうか。
今回は、この日本人における男らしさ、女らしさの原点を、縄文時代にまで想いを馳せて、もう少し考えて見たいと思います。
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posted by yuyu at : 2010年04月23日 | コメント (11件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.21
鎖国が生み出した江戸の自給自足経済、自然循環型社会
外交的理由から始まった鎖国ですが、鎖国することで、日本の経済は大きく変わっていきます。
↑江戸一目屏風 津山藩御抱絵師・鍬形蕙斎(くわがたけいさい)が文化6年(1809)に首都江戸の全景を詳細に描いた景観図。鳥瞰(ちょうかん)技法や西洋画風表現を駆使しながら、19世紀初頭の江戸の繁栄を描いた肉筆画として、世界的にも著名な作品。
※今回の記事は「文明としての江戸システム」講談社日本の歴史19鬼頭宏著を参考に作成しました。
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posted by staff at : 2010年04月21日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.17
宗教ってなに?~3.不安発の古代宗教と感謝・同化の精霊信仰
こんにちわちわわです
前回はカッピカピさんが、精霊信仰と守護神信仰の違いを丁寧に解説していただき、カッピカピさんを思わず信仰してしまいそうになりました。
今回は、その続きで、精霊信仰の本質が感謝と同化にあることを、現在も精霊信仰を続ける部族の言葉を読み解きながら見てみたいと思います。
カッピカピさんにこれからも鋭い追及を期待している方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2010年04月17日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.13
「縄文体質を切開する」3)縄文時代の集団はどうあったのか?
いよいよシリーズ投稿も3回目です。
前回までの投稿で、縄文時代の外圧状況 と 縄文時代の生産様式 をおさえてきました。
当時の状況が、かなり具体的になってきたのではないでしょうか
今回は、縄文時代の集団に焦点をあて、当時の集団のあり方をあきらかにしていきたいと思います。
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posted by naoto at : 2010年04月13日 | コメント (0件) | トラックバック (1) TweetList
2010.04.12
鎖国とはなんだったのか?~鎖国政策の原点、秀吉のバテレン追放令を読む
前回は、幕藩体制=参勤交替が、江戸時代の安定的な経済発展の基盤になったことを紹介しました。もうひとつ、江戸時代の安定的な経済発展の基盤として重要な仕組みが鎖国です。今日は、何故日本は鎖国したのか?鎖国によって日本経済の仕組みがどのように変わったのか?について考察してみたいと思います。
● 日本は何故、鎖国を選択したのか?
まず鎖国に至る基本的な出来事をまとめると
1541 ポルトガル船、豊後に漂着
1543 鉄砲伝来
1544 ポルトガル船、薩摩に貿易を求める。
1549 ザビエル鹿児島上陸、キリスト教伝来
1587 豊臣秀吉によるバテレン(神父)追放令
1610 スペインに通商を許可
1613 平戸にイギリス商館を許可
1618 外国船貿易港を長崎・平戸に制限
1622 キリスト教徒55人を長崎で処刑
1624 スペイン人の来航禁止
1631 朱印船の制を定める
1633 奉書船以外の海外渡航・渡航者の帰還を禁止(鎖国令のはじめ)
1635 日本人の海外渡航の禁止・在外日本人の帰国を禁止(鎖国令強化)
1636 ポルトガル人を長崎出島に移す
1637 島原の乱おこる
1639 ポルトガル船の来航禁止
1641 オランダ商館を平戸から長崎出島に移す(鎖国の完成)
となっています。大きな流れでみると、織田信長の時代にどんどんすすんだ南蛮文化流入の流れを秀吉が止めた。その後、国内統一の過程で、外交通商の窓口を限定していった。という見方ができます。
↑秀吉のバテレン追放令
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posted by staff at : 2010年04月12日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.12
王権の生産 最終章
こんにちは♪milktea です
前回までに国家成立の道のりの中で、日本の『王』がどのように誕生し、また引き継がれていったかを考察してきました。そのまとめはシリーズ6で示した通りです。
今回、エントリーの締めくくりとして『私見ー天皇の存在意義』を示したいと思います。
私見であればこそ、本当にこれで伝わるのか、何度となく自問しました。一読していただければ嬉しく思います。またご意見をいただければ幸いです。
それではまず、こんな問いかけから始めたいと思います。
「日の丸ではダメですか?」
posted by milktea at : 2010年04月12日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.09
シリーズ「縄文体質を切開する」~縄文時代はなぜ採取に特化したのか?
こんばんわ。
シリーズ「縄文体質を切開する」の第2回をお送りします。
前回はtamaさんより「縄文時代の外圧って何?」で縄文時代に自然外圧と同類圧力の2つがあった事をあきらかにしました。さらに自然外圧については島国と火山地帯の真ん中という地理的環境と組み合わさってその中で自然観を培った民族が日本人としての原型をなしてきたとしています。
さて今日はそれを受けて縄文時代の生産様式を見ていきたいと思います。
改めてここで明らかにするまでもないのですが、縄文体質に同化するためには生産を抑える事は避けて通れません。
まず最初に縄文人の主たる生業はなんでしょうか?
「狩猟・採取・漁撈」
ブッブーです。
「採取・漁撈」 😀
もっと言えば「採取、採取」でした。貝や昆布などの海の採取とどんぐりや栗などの山の採取です。
縄文人は採取生産に特化することで世界で最初に定住化した民族ではないかと言われています。考えてみれば当たり前の事ですが人類の定住革命は農耕や栽培生産発ではなく、徹底的な採取生産によって始まったのです。
ではなぜ縄文人は採取のみに特化することが可能だったのでしょうか?
なぜ狩猟をしなかったのでしょうか?
これは可能というより豊かな日本の地形が生み出した偶然なのかもしれません。
前投稿でもありましたが、採取生産の特化に至った経緯は日本列島の黎明期に遡ります。
さて次に進む前に一押しお願いします。
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posted by tano at : 2010年04月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.07
幕藩体制→参勤交代制が可能にした江戸時代の経済発展
「ポスト近代市場の可能性を日本史に探る」シリーズも11回目を迎えました。
中央集権体制から法体験体制への移行期=中世を経て、江戸時代の幕藩体制が確立します。
徳川幕府が築き上げた幕藩体制は、「地方分権」と「中央集権」を兼ね備えた優れた統治システムでした。幕藩体制は江戸250年の安定と平和をもたらしただけでなく、鎖国体制下での経済発展を成し遂げる基盤となりました。
鎌倉時代の封建体制→戦乱→江戸時代の幕藩体制へと移行して行ったのは、なぜなのか?
江戸時代の経済発展は、なぜ可能だったのか?
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posted by staff at : 2010年04月07日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2010.04.06
シリーズ:『イスラムを探る』 プロローグ
現代日本に暮らしていて、最も遠い世界と感じるのがイスラム教の世界ではないでしょうか?しかしそんなイスラム世界も、日本人に意外と近いところがあるとしたらどうでしょうか?
1年半前の金融崩壊を契機に、ようやく欧米主導の市場社会の行き詰まりが、誰の目にも明白になってきたように思います。西欧発の市場社会とそれを支えてきた近代思想(個人主義)は、最終的に、国家から養分を吸い取り崩壊しつつあります。
欧米主導の近代国家モデルに代わる、次代の社会はどのような社会になるのでしょうか?その一つの鍵になるのは、市場崩壊時にどの国・地域が生き残ることができるか?というところが鍵になるはずです。自分第一(→秩序崩壊へ直結)ではなく、集団性・共同性の高い社会が生き残るはずです。
日本と同じくらい集団性・共同性が高いとしたら、それはイスラムではないか?だとしたら、市場社会崩壊後、混乱する国際情勢の中で協働できるのはイスラム世界ではないのか・・・というのが仮説・問題意識です。
※僕らは、イスラムについてはかなり偏ったイメージを植え込まされていると思います。女性蔑視とかひどいところではテロリストのイメージとか。・・・・・それらは欧米主導の価値観とその伝道師である学者・マスコミによって植え付けられている。
【イスラム教分布地図】リンク よりお借りしました
ここではできるだけ先入観を排除しながら、以下9回程度にわたり追及していきたいと思います。
イスラムについては、るいネットでも追求がかなり蓄積されています。その成果も紹介しながらできるだけ体系的にまとめたいと思います。
追求していく過程で多少内容は変えるかもしれませんが、ご期待を。
応援よろしく!
posted by ihiro at : 2010年04月06日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList