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2010年08月02日
シリーズ「インドを探求する」第10回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その2>~
2.仏教誕生
仏教は、一般的には釈迦が真理を悟った時を以って、誕生と言われています。前回(シリーズ「インドを探求する」第9回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その1>~)は、その仏教が誕生するまでの時代背景をまとめました。仏教は、インド社会において、共同体による共認社会から、貨幣経済による私権社会への移行期に誕生しました。つまり、私権への違和感から発生したのです。
そこで今回は、釈迦が得た真理とは何なのか?そして彼は、何を人々に伝えたかったのか?について、まとめていきたいと思います。
○ブッダの誕生
釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、釈迦族の王子として現在のネパール南部に生まれました。16歳で結婚し一子をもうけ、何不自由のない生活を送っていました。そのような王子がなぜ家を出悟りを求めようとしたのか。仏典には次のような出来事が起こったと書かれてあります。
ある時彼が外出のため東の門から出たところ老衰のため哀れな状態となった老人に出会う。別の日南の門から出たところ重病人を見て病の避けられないことを知り、さらに西の門から出た時には、死人が担架に乗せられ嘆き悲しむ遺族がつき従うのを見かける。最後に北門から出たとき、彼は柔和平静な出家者に出会ったというのです。
生老病死を始めとして、世界が苦しみに満ちていると知った彼は、なぜ苦しみに満ちており、なぜ誰もが(自分自身も含め)苦しむのかと考えた末、出家者の生き方を選び(当時は、出家するのが当たり前でした)、妻子を捨てて王宮を出たのでした。29歳のときです。その後彼は6年間、他の修行者に混じって苦行を行いますが、結局真理を得ることはできませんでした。
そして、いたずらに肉体を痛める苦行は人生の苦しみから脱却する方法にはならないと判断した彼は、苦行を止めて川で沐浴をします。疲れ切っていた彼は、その川で倒れてしまいます。その時、傍を通ったスジャータという少女が差し出した乳粥で体力を回復すると、彼は静かに菩提樹の下で瞑想を行います。そして、今まで出会った人々のことを思い返しはじめます。そこでようやく真の智慧を得、ブッダとなりました。
○釈迦の悟った真理
仏教において、釈迦は真理を悟った人であり、人々は釈迦の教えを学びながら、自らも真理を悟る(ブッダになる)ことを目標にします。これが例えばキリスト教のように、唯一絶対の神による救済といった考え方や、ヒンドゥー教のように限られた人間(バラモン)だけが悟りを得る、といった考え方とは異なるのが、仏教の大きな特徴です。では、その釈迦が覚った真理とはどのようなものだったのでしょうか。
釈迦が世の人々に説こうとした教えの本質は、一人一人に与えられた固有の人生を、積極的に肯定しつつ生き抜いていくことのできる智慧と、たくましい生命力が、人間の内なる心に厳然として実存していることを明らかにすることでした。
しかし、この教えの本質をそのまま明かすことについては、釈迦はかなり慎重であったようです。なぜなら、人生を積極的に肯定して生きる、ということを人々にストレートに語れば、人々が誤解する恐れがあったからです。その誤解というのは、現在、自分たちが生きている煩悩(自我的欲望)と、自己中心的な人生をそのまま肯定して、それ以上の高い人生を生きようとは思わなくなるからです。
もし、教えの結果がこのような態度を与えるものならば、釈迦の同時代に支配的であった快楽主義、現世主義と何ら異なるものではなくなります。そこで、釈迦はいったん、人々が生きている人生を「苦」として否定し、煩悩や享楽に振り回される自己中心的なあり方を、徹底的に克服することを強調しました。そして、その否定的な教えを通して、人々が目前の人生に対して、懐疑の眼を持ち、より高い次元の人生へと眼を向け直すことを願いながら、教えを説いたのです。
ところが、仏教徒の一部の人々(主に上座部派)は、この釈迦の教えを、その奥にある真意に気付かずに、文字通り受け止めたため、仏教を厭世的・消極的なものとして、展開してしまったのです。それが終には、「灰身滅智(けしんめっち)」といって、煩悩を起こす自らの身体を灰にして無くし、様々な迷いを生じる人間の智慧を滅することこそ悟りであると捉えて、結果的に、この現実の生とこれを取り巻く社会から逃避することとなったのです。
この傾向を是正し、釈迦の本来の真意に立ち返って、仏教の真実の精神を躍動的に継承したのが大乗派でした。ここにおいて、単に形式的に、人間の煩悩や迷いの心を断ち切るというような考え方ではなく、人間一人一人の生命の奥底に内在する仏の智慧と生命の力を、引き出し顕在化することによって、煩悩の持つエネルギーを正しく活かす道を浮かび上がらせました。
これが、煩悩を菩提へ、生死の苦を涅槃の悟りへと転換する原理として、大乗派では特に大切にされた道です。それゆえに、大乗の教えは、極端な禁欲に囚われるのではなく、かといって煩悩・欲望に翻弄され、享楽に流されるというのでもなく、その「中道」を生きるあり方を積極的に切り開いたものと言えます。
○智慧と慈悲、そのための事実の追求へ
釈迦は、自らの覚った真理を自分一人の中にとどめるのではなく、全ての人々に伝えようとしました。仏教においては世界を理解する智慧は常に、人々の苦しみを取り除き、楽を与えようとする慈悲の実践(抜苦与楽)と結びついています。抽象的な論議、議論のための議論は必要ではありません。
この世界で、苦悩や欲望に囚われた人間は矢に当たった男と同じだと釈迦は言います。その男にとっては、何よりもまず矢を抜き、傷の手当をすることが必要であるのと同様に、人々に必要なのは苦しみの原因である煩悩や欲望(自我)という矢を取り除くことであって、世界は永遠であるとか、死後どのようになるかなどという問に答え、単に好奇心を満足させることは、本来の目的の妨げになると考えたのです。
ある時釈迦は、川を渡る筏の譬えを用いて、こう弟子たちに言いました。
「みんなに言いたい。私の教えもこの筏と同じなのです。私の教えは大河を渡るための手段であって、執着する目的ではないのです。だから、私の教えに執着してはなりません。時には捨てるべきなのです」と。
釈迦は、インド中を命がけで法を説いて歩いた(何度も殺されかけた)にもかかわらず、その法ですら捨てる場合があると言いました。法はあくまでも人を救うためのものであって、法自体が目的なのではないのです。つまり、釈迦は命がけで法を説いたというより、命がけで人を救いました。様々に工夫しながら、様々に心を尽くしながら、教えを説き、さらにその教えさえも捨てて、新たな教えを工夫し続け、どこまでも事実を追い求めたのでした。
そして、仏教においては、事実の追求を男達が担い、女達がその事実を素直に受け入れ、広める役割を担うという流れができました。
以上見てきた様に、仏教は一般に言われているように、現実逃避だとか、ただ単にヒンドゥー教(カースト制度)を批判しただけといった理解では、不十分であると思われます。
釈迦にはじまる仏教は、日常起こる現象から、事実を突き詰めた結果として、カースト制度批判、私権否定となったのでした。決して、現実から目を逸らすことはありませんでした。
シリーズ「インドを探求する」第11回~なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その3>~は、仏教の発展から、衰退への流れを見ていきます
投稿者 jomon10 : 2010年08月02日 TweetList
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コメント
投稿者 村石太ちゃんマン&村石太博士 : 2011年1月6日 09:06
進化と性器で 検索しています。性器の場所というのか 排尿の穴と同じというところが 進化して かわらないかだろうか
だから もっときれいな場所に性器が 進化して変わらないだろうか?おしりの穴よりは ましだったかもしれない。
古代の性教育は どうだったんだろう。なんか プログとかなり違うコメントです。すいません。