2010.09.28
2600年前頃、古代宗教・思想の世界同時成立期・・・・そして大転換期の現代
古代文明は、シュメールにしても殷にしても強大な部族が都市国家を作り、周辺の農耕部族を支配していた。農民を含めた統合のために守護神信仰や神話を作り、都市の中心に巨大な神殿を作っていた。そして都市国家同士は、周辺の農地を巡り相争っていた。
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神殿を中心とした都市国家:メソポタミアのカファジャ
しかし2600年前に大きな変化が現れる。2600年前、同時期に仏教・儒教・ユダヤ教という古代宗教が登場し、その300~400年後にそれぞれの地域で統一国家が成立していく。
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posted by ihiro at : 2010年09月28日
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2010.09.26
縄文探求シリーズ【縄文人の食べ物】縄文人は何を食べていた?
こんにちは。カッピカピです。 😀
ちわわさんに続き、今回は縄文人の『食』について書いてみたいと思います。

縄文時代の食については、当ブログでもたくさんの記事がこれまで積み重ねられてきました。まずは、その一部をご紹介します。
①シリーズ「縄文体質を切開する」~縄文時代はなぜ採取に特化したのか?
②縄文時代の食物
③山菜と日本人
④縄文時代“塩”はどこからどうやって採取してたのか?
⑤寒冷化により、まず穀物栽培に転換した
⑥縄文:東西-堅果類食料の違い~生活様式の違い
ちょっと検索しただけで、これだけの記事が出てくるということはそれだけ、縄文人の食に対する皆さんの関心が高いということですね。
そこで、まず縄文人が年間を通じて、どんなのもの食べていたのかを具体的に見てみましょう。
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posted by hi-ro at : 2010年09月26日
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2010.09.23
シリーズ「日本人の“考える力”を考える」第6回 縄文人の信仰は如何にして受け継がれたか
■縄文時代の精霊信仰・自然信仰

自然の恵みが豊かだった縄文時代、食料を確保する手段として、狩猟採集生産か漁猟採集生産を営んでいた。四季の変化もあり、多様な動植物が存在していた日本列島では、恵みをもたらす自然への感謝の気持ちが、精霊信仰→自然信仰へと発展していく。
各共同体ごとに恵みをもたらしてくれる自然への信仰が強まっていったが、”自然”というような抽象的な概念が登場することは無く、(精霊信仰から発展したことからも分かるように)非常に具体性を持ったもので、一つの山、一つの川、海のある部分、などへの信仰であった。例えば富士山の神や三輪山の神、玄界灘の海の神、住之江の海の神などのように、特定の場所の自然物に宿る神であった。
このような極度な具体性が、縄文時代・日本の信仰の特徴で、中国大陸の「天」や西洋の「ゴッド」というような抽象的な信仰は生じなかった。抽象的な神は「頭の中」に存在するものであり、それはすなわち現実とは切り離され「持ち運びができる」ということである。一方で具体的な神とは、自然そのものに宿る神であり「持ち運びができるものではなかった」。また、様々な自然物に囲まれている縄文人にとっては、具体的な自然物一つ一つに宿っている神が無数に存在することになる。
「無数に存在する」「極度に具体的な」「移動しない自然神」への信仰が、縄文人の信仰形態であり、日本人の信仰の原点でもあるのだ。
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posted by staff at : 2010年09月23日
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2010.09.20
シリーズ「日本人の起源」(2)
「日本人の起源を探る」シリーズは前回の「予告編」を受けていよいよ第1弾の「日本人形成のシナリオ(入り口として)」です
・人類の移動は良く知られたとおり以下の図で表されます
「新人アフリカ単一起源説」に基づいて描いた新人(現代型サピエンス)の拡散。

一方、ウォルポフ(ミシガン大学アナーバー校教授)らは、100万年余り前にアフリカから出た原人達が、世界各地で次第に地域色を強めて新人へと進化した、とする「多地域進化説」を提唱して反論しており論争が続いている。
クリック御願いします
posted by ryujin at : 2010年09月20日
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2010.09.19
縄文探求シリーズ【縄文人の衣装と装飾】~縄文人はいつから服を着たのか?
こんにちわちわわです。
衣類は化石として残りにくいため、縄文人がいつからどんな服を着ていたのかは、正確には分かっていません。

しかし、早期の縄文土器に繊維を押し付けた跡が見られたり、旧石器時代に衣服を縫ったであろう針が発掘されていることから、縄文人ははなから服を着ていたであろうと推測さます。

↑長野県 栃原岩陰遺跡から発見された鹿角製のぬい針(約1万年前)
では、人類はいつごろから服を着出したのでしょうか?
シラミの研究から、人類がアフリカ大陸からヨーロッパへ移住していったであろうとされる約7万年前には衣服を着ていたとする研究発表がなされています。
【逆境⇒進化】初期人類の逆境 vol.1<着物の起原>
体毛の無くなった人類にとって、暑さ寒さをしのぎ、怪我をふせぐためにも衣服は欠かせないものだったのでしょう。
縄文人おしゃれ!と思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2010年09月19日
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2010.09.18
シリーズ「日本人の“考える力”を考える」第5回(後)~神話を国家起源に持つ日本の可能性と限界性
●漢帝国に伍しようと「易姓革命」を志向した天武天皇が「記紀編纂の勅」を下した。
天孫族と国神族は融和し大きな部族連合を作り出した日本ですが、朝鮮半島の動乱を受けて、百済系、新羅・高句麗系の落ち武者たちの間で、百済復興を巡る路線対立が先鋭化し、磐井の乱、壬申の乱を契機として、事態は抜き差しならない、緊張状態へと移行していきます。しかも、朝鮮半島の動乱の原因をなした中国では漢が大帝国として確立、圧倒的な脅威として存在するようになります。そんな中、律令制度の導入と、歴史書の編纂により、統一国家を作り出し、中国に伍する力をつけたいと願ったのが天武天皇でした。

写真は天武天皇
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posted by staff at : 2010年09月18日
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2010.09.18
シリーズ「日本人の“考える力”を考える」第5回(前)~神話を国家起源に持つ日本の可能性と限界性
●大陸渡来の私権闘争圧力を受けて日本人はどのように「ものを考えた」か?
縄文文明は日本人の考える力の基盤をなしており、とりわけその自然の摂理に対する謙虚な自然観、そしてその自然にいかされる範囲内で助け合って生きていこうという人間観にこそ、今後の日本人の考える力の原点があると考えられます。しかし日本が高度な縄文文明を開花させていた一方、大陸では、農耕文明が始まり、とりわけ遊牧民族たちによる農耕地帯への侵略を契機に、部族間の争いが激化していきました。そして部族レベルで生じた集団自我(自分たちさえよければいい)という意識は家族レベル、個人レベルの自我(自分さえよければそれでいい)へと拡大していきます。そして日本にも大陸難民を媒介に私権意識が混入しはじめ、日本も私権闘争をどう止揚するか、という課題に直面していくことになります。そんな中、日本人は、どのように「ものを考えた」のでしょうか。その思考の足跡について、記紀を中心とする神話から考察してみたいと思います。

写真はオオクニヌシとナヌカワヒメ
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posted by staff at : 2010年09月18日
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2010.09.13
シリーズ「日本人の起源」

いま市場は行き詰まり、多くの経営者が先を読めないでいる。経営者だけではない。政治家も、官僚も、学者も、マスコミも、これまでこの社会を統合する役割を担ってきた者たちの誰一人として、明確な変革の方向を打ち出せないでいる。なぜか?それは時代が、これまで彼らのやってきた小手先の改革で済むようなレベルを遥かに超えた、根本的な変革を必要としているからである。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=2
そんな閉塞状況を突破し、人類の進むべき方向を確定する為にはとことん歴史を遡って、人類の原基構造を解明してゆく必要があるでしょう。
最近では江戸回帰や歴史探索・さらに源流の縄文への探索を行っている方も少なくないようです。今回のシリーズでは、歴史に関心の高い人からまだまだ興味をお持ちで無い人まで、皆が追求に向かえる内容を盛り込んで、日本人の起源について纏めていきたいと思います。
posted by dai1028 at : 2010年09月13日
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2010.09.09
シリーズ「日本人の“考える力”を考える」第4回~銅器にみる縄文以来の自然観
こんばんは。考えるシリーズ4回目です。
シリーズ第3回において以下のことが提起されました。
集団と集団を繋ぐ手法に土器製作の技や中身の競争を組み込んだのです。また同じような文様を土器につける事で集団間の友好や相互理解を図ったのではないかと思います。土器の文様は集団内部ではなく外の集団に対して発する為のメッセージであり、それらの評価を巡って競争が起きていた事が伺えます。
縄文中期の土器の“凝り”とはこのように集団内、集団間での認識競争であり、その成果物を巡って切磋琢磨する共認闘争の時代の幕開けではなかったのでしょうか。
このような認識闘争を通じて贈与ネットワークが形成されていくことになりますが、その原点にあったのは縄文人の応合性にあったようです。
複雑に抽象化された縄文土器とは、縄文人の(他集団に対する)応合性の発露であって、世界にも類を見ない高い芸術性は、縄文人の高い応合性に支えられていたのだ。
では、応合性に支えられた縄文土器の“凝り”は、弥生時代になってどのように変遷していったのでしょうか?
文様の変遷を追いながら弥生時代を見ていくことにしましょう。
「考えるシリーズ」応援願います。
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posted by yoriya at : 2010年09月09日
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2010.09.06
【縄文に何を学び、何を創り出していくか~最終回】
ようやく【縄文の集団に学ぶ】シリーズの最終回となりました。まずは、前回記事のおさらいです。
>こうして見ると日本人はいつの時代でも、現実を直視し集団内における当事者意識を強く持ち、集団の共認充足を基盤とし、相手を肯定しする中で集団統合を行なってきたと言えそうです。
そして人間としての本性である本源性、共同性を色濃く残し続けてきました。
共認原理の時代を開くのは、このような本源性、共同性を有した日本人である可能性が高いと思われます。
一方で、集団内で統合するのは得意でも、集団を越えた社会全体の統合と言う観点で見た時にはどうなのでしょうか。
現代社会において、政治,経済の崩壊,会社、学校、家庭とあらゆる集団内で問題が噴出し、もはや社会の様々な局面で悲鳴をあげているような状況です。
このような中で、縄文の集団に何を学び、我々日本人は何をすべきか?考えてみたいと思います。
byさーね
応援よろしくです!!
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posted by sawatan at : 2010年09月06日
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