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縄文探求シリーズ【縄文人の食べ物】縄文人は何を食べていた?

こんにちは。カッピカピです。 😀
ちわわさん [1]に続き、今回は縄文人の『食』について書いてみたいと思います。
 縄文時代の食については、当ブログでもたくさんの記事がこれまで積み重ねられてきました。まずは、その一部をご紹介します。
①シリーズ「縄文体質を切開する」~縄文時代はなぜ採取に特化したのか? [2]
②縄文時代の食物 [3]
③山菜と日本人 [4]
④縄文時代“塩”はどこからどうやって採取してたのか? [5]
⑤寒冷化により、まず穀物栽培に転換した [6]
⑥縄文:東西-堅果類食料の違い~生活様式の違い [7]
 ちょっと検索しただけで、これだけの記事が出てくるということはそれだけ、縄文人の食に対する皆さんの関心が高いということですね。
 そこで、まず縄文人が年間を通じて、どんなのもの食べていたのかを具体的に見てみましょう。
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 下図は季節ごとに縄文人が何を食べていたかを示す、縄文カレンダーです。②縄文時代の食物でも同じような図が紹介されていました。
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画像はこちら [10]からお借りしました。
 
 上の図から、縄文人は季節に応じてバラエティに富んだ食生活をしていたことが分かります。は野山でフキ・カタクリなどの山菜、そして潮干狩りをし、捕った貝を煮て乾し、1年分の保存食に加工したと考えられています。
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フキノトウ。今では、春を告げる食材として有名。フキの長い葉柄が「フキ」として売られ食べられている部分。灰汁抜きが必要。
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カタクリ。近年はカタクリの群落が相対的に貴重な存在となっていて、地域住民が熱心に保護活動をしている例が見られる。カタクリの減少は、落葉広葉樹の雑木林が常緑広葉樹林へと遷移してきたことが大きな要素であると言われている。
 は植物が堅くなるため、魚捕りが中心となります。秋は、クリ・クルミ・トチ・ドングリ(これらを総称して堅果類〔けんかるい〕と呼びます)などの採集活動が活発となり、さらに長い冬を越すための保存食としても活躍します。
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クリ(栗)。
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クルミ。
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トチの実。
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ドングリ。図はコナラ。
 冬はイノシシ・シカなどの狩猟がメインとなります。木の葉が落ちて見つけやすいこと、脂肪が多く、毛皮も冬毛になっているので利用価値は高かったと推測できます。
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 以上から、縄文人の生活を支えた生業は、採集、漁労、狩猟であることがわかります。ただ①シリーズ「縄文体質を切開する」~縄文時代はなぜ採取に特化したのか? [2]で、当ブログの管理人ことtanoさんが書かれているように、メインとなる生業は「採取」であることが、貝塚の状況から分かっています。
 約1万年前から地球は温暖化が進み、大陸氷床の融解によって海面が130m以上急激に上昇したと言われています。特に完新世の気候最温暖期と呼ばれる時代には、現在より3mから5mほど海水準が高かったとされており、【縄文海進】と呼ばれています。これで大陸との陸橋が水没し、日本列島が形成されることになりました。
 氷河期から温暖な気候へと変わっていくにつれ、雨が多くなった大地では,落葉広葉樹の森が生まれ木の実を実らせるようになりました。 旧石器時代の人々は,ナウマン象やヘラジカなどの大型動物を獲って食べていましたが,彼らは徐々に滅んでいくことになります。落葉広葉樹の森には大型動物の食べ物が少なかったこと、また、大きな動物は森に住むのに適していないことなどが理由です。 そして落葉広葉樹の森には,木の実を主食とする小型で敏捷な動物が姿を見せるようになりました。豊かな森の恵みは人間だけのものではなく,イノシシやシカなどの小型動物にとっても同じだからです。
 大型動物の捕獲に依存していた人々も,方向転換を余儀なくされました。 狩猟道具も,素早く逃げる小型動物を捕らえるために,それまでの槍主体の狩りから,弓矢などに変わりました。また,小さな動物は捕まえても食べられる量が少ないので,動物以外の食べ物が多く必要とされるようになり、徐々に採取活動が生業の中心になっていったと考えられます。
 陸上では針葉樹林が後退し、6000年前には現在と同じ植生が展開されたと言われています。ほとんどはナラ林で、西日本海岸から九州にかけては照葉樹林が茂りました。温暖化によって人々の生活は大きく変わり、縄文文化ができたのです。
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