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2010年09月19日

縄文探求シリーズ【縄文人の衣装と装飾】~縄文人はいつから服を着たのか?

こんにちわちわわです。
衣類は化石として残りにくいため、縄文人がいつからどんな服を着ていたのかは、正確には分かっていません。
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しかし、早期の縄文土器に繊維を押し付けた跡が見られたり、旧石器時代に衣服を縫ったであろう針が発掘されていることから、縄文人ははなから服を着ていたであろうと推測さます。
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↑長野県 栃原岩陰遺跡から発見された鹿角製のぬい針(約1万年前)
では、人類はいつごろから服を着出したのでしょうか?
シラミの研究から、人類がアフリカ大陸からヨーロッパへ移住していったであろうとされる約7万年前には衣服を着ていたとする研究発表がなされています。
【逆境⇒進化】初期人類の逆境 vol.1<着物の起原>
体毛の無くなった人類にとって、暑さ寒さをしのぎ、怪我をふせぐためにも衣服は欠かせないものだったのでしょう。
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【縄文人はどんな服を着ていたのでしょうか。】
縄文の衣服
縄文人はどんな服装だったのか?
より
■土偶から見ると
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①襟はVネックで、ウエストがきゅっとしまった少し長めの上着を着ていたり(宮城県の遮光器土偶)、
②襟はVネックで、ケープ状のものをはおっている(関東のミミズク 形土偶)。編み物技術が展開すると、縄文人は植物繊維で衣服を編んで、Vネックで前後を大きくあけた貫頭衣などをつくっていた。
■冬
 鹿、熊、猪などの皮を加工して防寒服をつくっていたであろう。繊維衣服より先に、この動物毛皮があったであろう。
いのしし皮は固いので、鹿皮が好んで使われていたようだ。サケの皮を利用していたことも推定される。
■夏
木や植物などの繊維を両手、手と腿で糸を撚り、その糸で「俵を編むような編機」で編布(あんぎん)をつくっていたようだ。クズ、アカソ、アオソ、イグサなどは、「抜いて裂くと簡単に糸状になる植物」であった。
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土偶のほとんどは女性で、複雑な模様のついた衣服を着ていたのがわかります。模様は魔よけの意味を持ち、大切な子を授かる女性をとても大切にしていたようです。
人口減少に憂う縄文人
【装身具は女性のファッションだったのか?】
縄文時代を通じて、数十万点という大量の装身具が出土しているようです。それらの大部分は土器片などと共に捨て場から見つかっており、墓からの副葬品として出土した物は思いのほか少ないようです。
このことから、縄文人に取り、装身具とは、基本的には日常的なものではなく、祭りなどに関連した「ハレ」の物であり、祭りの時に使用し、その終了とともに捨てられたのではないかと考えられているようです。
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写真は縄文ファッションの世界よりお借りしています。
縄文の衣装や装身具は、女性のおしゃれや、性をアピールするものと考えがちですが、縄文人にとって、集団共認が命綱であり、それを破壊しかねない性と自我の肥大は、徹底的に封鎖する必要があったはずです。
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http://www.mars.dti.ne.jp/~takiura/Jyoumon_Fukusyoku.html
衣服の柄や装身具は女性を飾りたて性の価値を高めるものではなく、女性を守る儀式的色彩が強かったのではないでしょうか。心底から、女性を大切に思う縄文人の心がうかがえると思います。

投稿者 tiwawa : 2010年09月19日 List  

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コメント

こんにちは。
青森、東京、静岡、徳島、九州だけしかデータが無いんでしょうかね? 元データがあれば他の地区も知りたいところです。
それにしても、個人的には、チベットとの関連が気になります。
 

投稿者 ちば : 2011年1月23日 17:54

ちばさんコメントありがとうございます。
>青森、東京、静岡、徳島、九州だけしかデータが無いんでしょうかね? 元データがあれば他の地区も知りたいところです。
この疑問は同じように私も感じましたが、データーはウィキペディアや崎谷氏が紹介した調査データーしか見た事がありません。ただ、徳島があって高知はないのだろうか?とか青森はあって新潟はないのかなど疑問が起こり、知りたい地域はたくさんありますね。
最近は自らの出自を探りたいという人が個人的に染色体分析を有償で依頼し、データーが積みあがっているという話も耳にします。たぶん相当量のデータがどこかにはあると思いますが、どなたか詳しい資料の存在を知っている方がおられれば紹介願いたいところです。
>それにしても、個人的には、チベットとの関連が気になります。
これは私も同感です。
D2が日本とチベットに多いという特徴からチベットと日本の共通性やはたまた文化的交流があったのかなかったのか、その辺りは次の追求テーマになりそうですね。

投稿者 tano : 2011年1月26日 19:33

日本人にもっとも多いD2とO2b
D2(縄文系)は、現代人の中でも極めて古い体質を残した、出アフリカした当時のハプロタイプ「D」をほぼそのまま保った生きた現代人化石のような存在。60000万年前に出アフリカを継承したハプロタイプ。
02b(弥生系)は、約30000年前頃に確立した比較的新しい存在で、変遷を繰り返して来たハプロタイプだそうです。ヨーロッパ人とは、30000万年前に分化して系統を分けたタイプです。
次に多い、C3は、D2同様、極めて古く、人類の初期の形質を受け継いでいると考えられます。
 Y遺伝子分析の結果は、多様な民族に彩られた日本人は、ベースを人類の出アフリカを基礎として、塗り重ねられた存在であることを証明するとともに、受け入れ体質や人類の本源を残した民族ともいえるのではないでしょうか?

投稿者 2310 : 2011年1月29日 22:00

日本人の物作りへのこだわりも古代人の血脈が濃いからなのでしょうか。とても興味深い記事ですね。

投稿者 あ : 2011年5月11日 08:43

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