こんにちわちわわです。
衣類は化石として残りにくいため、縄文人がいつからどんな服を着ていたのかは、正確には分かっていません。
しかし、早期の縄文土器に繊維を押し付けた跡が見られたり、旧石器時代に衣服を縫ったであろう針が発掘されていることから、縄文人ははなから服を着ていたであろうと推測さます。
↑長野県 栃原岩陰遺跡から発見された鹿角製のぬい針(約1万年前)
では、人類はいつごろから服を着出したのでしょうか?
シラミの研究から、人類がアフリカ大陸からヨーロッパへ移住していったであろうとされる約7万年前には衣服を着ていたとする研究発表がなされています。
【逆境⇒進化】初期人類の逆境 vol.1<着物の起原> [1]
体毛の無くなった人類にとって、暑さ寒さをしのぎ、怪我をふせぐためにも衣服は欠かせないものだったのでしょう。
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【縄文人はどんな服を着ていたのでしょうか。】
縄文の衣服 [4]
縄文人はどんな服装だったのか? [5]
より
■土偶から見ると
①襟はVネックで、ウエストがきゅっとしまった少し長めの上着を着ていたり(宮城県の遮光器土偶)、
②襟はVネックで、ケープ状のものをはおっている(関東のミミズク 形土偶)。編み物技術が展開すると、縄文人は植物繊維で衣服を編んで、Vネックで前後を大きくあけた貫頭衣などをつくっていた。
■冬
鹿、熊、猪などの皮を加工して防寒服をつくっていたであろう。繊維衣服より先に、この動物毛皮があったであろう。
いのしし皮は固いので、鹿皮が好んで使われていたようだ。サケの皮を利用していたことも推定される。
■夏
木や植物などの繊維を両手、手と腿で糸を撚り、その糸で「俵を編むような編機」で編布(あんぎん)をつくっていたようだ。クズ、アカソ、アオソ、イグサなどは、「抜いて裂くと簡単に糸状になる植物」であった。
土偶のほとんどは女性で、複雑な模様のついた衣服を着ていたのがわかります。模様は魔よけの意味を持ち、大切な子を授かる女性をとても大切にしていたようです。
人口減少に憂う縄文人 [6]
【装身具は女性のファッションだったのか?】
縄文時代を通じて、数十万点という大量の装身具が出土しているようです。それらの大部分は土器片などと共に捨て場から見つかっており、墓からの副葬品として出土した物は思いのほか少ないようです。
このことから、縄文人に取り、装身具とは、基本的には日常的なものではなく、祭りなどに関連した「ハレ」の物であり、祭りの時に使用し、その終了とともに捨てられたのではないかと考えられているようです。
写真は縄文ファッションの世界 [7]よりお借りしています。
縄文の衣装や装身具は、女性のおしゃれや、性をアピールするものと考えがちですが、縄文人にとって、集団共認が命綱であり、それを破壊しかねない性と自我の肥大は、徹底的に封鎖する必要があったはずです。
http://www.mars.dti.ne.jp/~takiura/Jyoumon_Fukusyoku.html [8]
衣服の柄や装身具は女性を飾りたて性の価値を高めるものではなく、女性を守る儀式的色彩が強かったのではないでしょうか。心底から、女性を大切に思う縄文人の心がうかがえると思います。