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2010年09月28日

2600年前頃、古代宗教・思想の世界同時成立期・・・・そして大転換期の現代

古代文明は、シュメールにしても殷にしても強大な部族が都市国家を作り、周辺の農耕部族を支配していた。農民を含めた統合のために守護神信仰や神話を作り、都市の中心に巨大な神殿を作っていた。そして都市国家同士は、周辺の農地を巡り相争っていた。
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神殿を中心とした都市国家:メソポタミアのカファジャ
しかし2600年前に大きな変化が現れる。2600年前、同時期に仏教・儒教・ユダヤ教という古代宗教が登場し、その300~400年後にそれぞれの地域で統一国家が成立していく。

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2600年前、現代に至る大宗教の誕生や哲学の出現、科学的な世界観の成立・・・。
ドイツの哲学者ヤスパースは、この時代を「軸の時代」と呼んで以下のように述べている。(『歴史の起源と目標』より)

この時代には、驚くべき事件が集中的に起こった。シナでは孔子と老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生し、墨子や荘子や列子や、そのほか無数の人びとが思索した、―インドではウパニシャットが発生し、仏陀が生まれ、懐疑論、唯物論、詭弁術や虚無主義に至るまでのあらゆる哲学的可能性が、シナと同様展開されたのである、―イランではゾロアスターが善と悪との闘争という挑戦的な世界像を説いた、―パレスチナでは、エリアから、イザヤおよびエレミアをへて、第二イザヤに至る予言者たちが出現した、―ギリシャでは、ホメロスや哲学者たち―パルメニデス、ヘラクレイトス、プラトン―更に悲劇詩人たちや、トゥキュディデスおよびアルキメデスが現われた。
以上の名前によって輪廓が漠然とながら示されるいっさいが、シナ、インドおよび西洋において、どれもが相互に知り合うことなく、ほぼ同時的にこの数世紀間のうちに発生したのである。

 
 
●何故このような百花繚乱というべき思想が現れたのか?
るいネット より

それまでの部族連合国家では守護神信仰や神話の共認によって統合されていたが、部族間の緊張圧力や交易や連合、さらには服属部族をどう支配するかといった課題に対しては、部族間の意思疎通が不可欠であり、その部族の中でしか通用しない守護神や神話では統合できない。部族を超えた普遍性のある観念が必要になった。こうして各部族の潜在意識のレベルで社会統合機運が上昇し、それを鋭敏にキャッチして、守護神や神話を超えた、より普遍的な観念(古代宗教)を作り出したのが、釈迦や孔子やユダヤ教の預言者たちである。

これらの思想・哲学・宗教は淘汰・集約・精錬され、精神的な統合軸となって巨大帝国の形成を可能にする。(下図)。
(それを多くの学者は“精神革命”と呼んでいる。)
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 『文明の誕生』 伊東俊太郎著より
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 巨大帝国に覆われる1C頃の世界  (リンク よりお借りしました)
●2600年前以前は、どのような時代か?:遊牧民侵入→都市国家群立時代
この“精神革命”に先立って、遊牧民のユーラシア規模の連関をもった大移動(侵入)が少なくとも3回あった。前1900年ごろの戦車を伴った大移動。前1200年頃の鉄器をもたらした大移動、そして前800年頃の騎馬を用いた侵入である。
このようにして以下の地域には遊牧民の農耕地支配による都市国家を形成することになる。
・中国における殷・周の形成
・ギリシャにおけるドーリア人の侵入
・メソポタミアへのイラン人侵入
・インドへのアーリア人の侵入
・パレスチナへのイスラエル人の侵入

かれらは、侵入した地で都市国家を形成、支配地の拡大や人口増大とともに次第に都市が群立し、互いの縄張りを相争うようになり、これらをまとめていくためには、鉄器etcを用いた強大な武力で制圧するだけでなく、普遍的な上位の思想で統合する必要があった。
中国やイスラエルのように父権的な天の道や、天の神たる一神教に収束していったのは彼ら遊牧民の思想が大きく影響しているとも考えられます。(詳しくは要追及)
●現代につながる国家・市場の思想的・制度的なバックボーンになった。
上の表に見られるように、これらの思想が生み出されたことによって、始めて国家(~世界帝国)が統合された。例えば、中国では儒教による礼的な秩序が、身分序列制度を補強し、さらに法家による思想が民衆を監視する警察官僚機構を生んだ。
ユダヤ、ローマでは、元々本源集団を失っていたことにより、人々は律法→非現実的な終末思想を持つ一神教(ユダヤ・キリスト教)に収束していき、宗教が強力な統合軸を形成した。そして後に理想論的な近代思想へとつながっていく。
また地理的に特殊な島嶼地域で、古代交易都市から発達したギリシャは、交易市場のための数量化や科学的方法の追及、市場拡大のための民主制の統合形態を追及し、近代の民主制や自然科学にもつながっていく。
●生存圧力→掠奪闘争・同類闘争を統合するための思想群
これらの思想群の成立背景は、大きく見れば、
生存圧力→遊牧発の掠奪闘争→
        土地を巡っての縄張り闘争=同類闘争(戦争)
                      →都市国家→巨大国家

という流れにある。より強大な武力集団を形成した者が勝つ(同類闘争)ので、村落よりは都市国家が勝ち、都市国家よりは巨大国家を形成したものが勝っていく、それを可能にしたのが都市国家の守護神信仰や上記の思想群だったのだ。
古代の思想群は、現代までの思想的な枠組みとなり、巨大国家や市場を支える制度を作っていた。
●現在求められているのは、全く新たな新たな認識群!
しかし翻って現代、日本においては1970年の豊かさが実現して以来、国家も市場も完全に行き詰まり、迷走している。いわば2600年前の精神革命はすでに旧いものに成り果てたのではないだろうか?
日本では貧困の消滅に伴って、私権闘争の大元にあった生存圧力が機能しなくなったからだ。その直後から、かっての思想・哲学もまったく輝きをうしない、無用な観念に成り果てた。
従って現代求められいるのは、全く新たな観念体系。新たな観念体系は、真っ先に貧困が消滅し、力の原理が消滅した日本においてこそ求められている。新たな観念体系が普通の人々から生まれ、新たな活力源と共に世界を覆っていく、実はそんな日が近いのかもしれません。
(by Hiroshi)
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参照:
 『文明の誕生』伊東俊太郎
 社会運動の総括1 『現実否定の自己欺瞞』
 5/30なんでや劇場レポート「観念力を鍛えるには?」(4) 求道者と解釈者では思考の自在さが全く違う 

投稿者 ihiro : 2010年09月28日 List  

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コメント

>複雑に連携しあった人類の進化塗り重ね構造をどこまで分析できているのか?=どこまであてになるのか?という疑問が沸いてきます
なかなか遺伝子情報も決め手がない感じですね。でも一方でY染色体からの分析で、民族構成がかなり鮮明に見えてきたのも事実だと思います。年代はまだ怪しそうですが。
この投稿のように、問題点や限界をよく押えたうえで参照する必要がありそうですね。

投稿者 Hiroshi : 2011年3月5日 19:19

>遺伝子解析から、民族分析・人類起源の年代特定を行うには、そのDNAの塗り重ね構造を明らかにしていく必要がありそうです<
最近はY遺伝子に焦点を当てた分析が注目を浴びていますが、この方法も、かなりの確率で誤差があると聞いています。
まだまだ遺伝子分析による人類起源の探究も発展途上なのでしょうが、遺跡発掘のみに頼る手法では考えられなかった事実探求の可能性があるように思います

投稿者 ryujin : 2011年3月10日 23:06

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