2011.08.26

著書分析より明らかにする日本支配の始まり4~神話から倭族の系統を明らかにする~

こんにちは そしてはじめまして、はるちゃんです
前回に引き続き、シリーズ「著書分析より明らかにする日本支配の始まり」第四弾です
今回は鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族~神話解読と現地踏査~』を参考に、長江で豊かな文明を築いてきた倭族がどのようにして朝鮮半島へたどりついたのかを神話の分析から考えていきます
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長江から朝鮮半島にやってきた倭族の系統は二つあると考えられています。朝鮮半島に渡った二系統の倭族がどのように日本に渡来し弥生人となっていったのかに迫っていきたいと思います
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posted by staff at : 2011年08月26日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2011.08.24

縄文晩期とはどのような時代か?4~弥生への転換は戦争をともなったのか?~

 このシリーズでは、これまで、縄文晩期の寒冷化の危機に直面して、渡来民と平和的に融合し、稲作などの渡来文化を積極的に受け入れていった様子を見てきました。
 
 実際、弥生文化は水田稲作農耕をはじめ、数々の新しい文化を大陸から受け入れて形成されましたが、竪穴住居に住むという伝統竪穴そのものの構造は大きな変化なく継続されています。また石器、土器、木器、骨角器などの製作技術およびそれに関連する使用の技術や慣行なども、いずれも基本的には縄文文化のそれをひきついだものだということが明らかになっています。
 たとえば、石鏃、石匙、石錘などの打製石器が弥生時代にもよく用いられていますが、これらはいずれも縄文文化の伝統をひくもので、当時、東アジアの世界では、打製石器の技術はすでにほとんど消失しており、その技術は日本などの辺境に残存するに過ぎませんでした。その意味ではきわめて特徴的な伝統技術でした。

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 また弥生土器は一般に製作にロクロを用いず、600~800度の酸化焔で窯を使用せずに焼きあげます。この製作方法は基本的には縄文土器と変わりません。つまり弥生時代になっても、まったく別種の土器が作り始められたというのではないのです。
 つまり、まず縄文文化が存在し、その中に外来の文化が取り入れられて、新しく弥生文化が成立した。つまり弥生文化を生み出した主体はあくまで縄文時代以来の文化の伝統だったと考えられるのです。
 一方、日本列島で戦争と呼ぶような事態が起こり始めたのは、弥生時代からだと言われ、弥生への転換は日本列島の最大の激変期であったといわれています。 
今回は、日本列島で、縄文晩期から弥生への転換がどのように進行したのかを追求します。
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posted by tama at : 2011年08月24日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2011.08.23

日本の支配階級の意識構造を解明する ~極東アジアの支配の歴史8 中国とインドシナ半島の関係

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>次回は、朝鮮、日本以外の東南アジア諸国が、大国中国に対しどのように接していったのかをお届けする予定です。
日本の支配階級の意識構造を解明する ~極東アジアの支配の歴史7 中国の朝貢制度とは 
この間大陸中国~朝鮮半島を中心に、アジアの歴史を追求してきましたが、今回は視点を変えて、中国の南、インドシナ半島を代表する国家であるベトナムの歴史を調査しながら、中国との関係を考察してみたいとおもいます。
ベトナムの歴史とベトナム人の気質を調べていく中で、属国意識の中身が少し解明できたようにおもいます。
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posted by chai-nom at : 2011年08月23日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2011.08.20

著書分析より明らかにする日本支配の始まり3~日本に伝わる倭族の習俗~

未分類

こんにちわちわわです。
前回の~長江の倭族が日本にたどりつくまで~では、呉が越に敗れた紀元前473年以降、倭族である呉の農民が稲作を携えて朝鮮半島と日本に流れてきたことを紹介しました。
今回は引き続き、日本に伝わる倭族の習俗に焦点を当てその根拠を補強するのと同時に、後に朝鮮半島からも倭族がやってきた事実も証明していこうと思います。
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以下、『古代朝鮮と倭族』より要約します。
朝鮮半島の中・南部には倭族に属する辰国が建国されていた。それが後に馬韓・辰韓・弁韓に分立するが、それら三韓はなお馬韓の辰王によって統べられていた。
ところが、東扶余国から帯方群に亡命していた王子が、4世紀半ばすぎ東晋の支援のもとに、馬韓を討ち、馬韓の地に百済国が建国される。
支配者の交替はただ政治権力の移行に止まらず、かつての風俗慣行までも変容される。殊に馬韓の神話は、更迭した百済の王権によって抹消され、今ではその内容を知ることができない。
しかし幸いにも、馬韓の特殊な習俗としての「蘇塗」のことが、『後漢書』『三国志』『晋書』の馬韓伝に記されていた。
「又蘇塗を建て、大木を建て以って鈴鼓を懸け、鬼神に事う」 (後漢書・東夷伝・馬韓)
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        済州島のタプ
「蘇塗」とは円いドーム形の仏塔に似た築造物で、円錐状に石を積み上げた塔をさしたものと解される。また、蘇塗のある範囲を聖域と認め、その聖域をも蘇塗と呼んでいた。
蘇塗のある地域へ逃亡者が逃げ込むと捕らえることができず、そのため悪人をつくりやすいと記されている。聖域にのがれると、誰であろうとも捕らえられないというのは、世界に広く見られる習慣である。
前記三書以後の文献から蘇塗の習慣は消滅するのだが、朝鮮本土の錦江流域済州島には現在でもまだ息づいて残っていた。それは塔(タプ)と呼ばれ、村の入口に設けられて悪鬼や病魔の侵入を防ぐことから、防邪塔ともいわれている。
その頂部には自然石の立て石、もしくは自然石の鳥の形象物が置かれている。
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posted by tiwawa at : 2011年08月20日 | コメント (6件) | トラックバック (0) List  

2011.08.18

属国意識の源流を辿る3~日本の属国意識を決定付けた白村江での大敗北

古代から中世に掛けての極東アジアは、大国である中華帝国が中心となって歴史が動いてきた。もちろん日本列島もその呪縛から逃れられなかった。
今回は、弥生時代から平安時代初期までの日本列島の歴史を中国大陸・朝鮮半島との関わりから概観し、日本支配者層の「属国意識」の源流とあり様について考えてみたい。
中世日本の支配者層に中国への属国意識を決定付けたのは、「白村江の戦い」である。圧倒的な戦力を持った唐帝国・新羅に、無謀にも挑み大敗した結果、日本の支配者層の属国意識は決定的となった。
なぜ、無謀にしか思えない戦いを挑んだのだろうか?そこに至る過程を追ってみたい。

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posted by staff at : 2011年08月18日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2011.08.16

日本の支配階級の意識構造を解明する ~極東アジアの支配の歴史7 中国の朝貢制度とは 

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写真はこちらからお借りしました。
  
    
朝鮮を始め、日本、東南アジア諸国は、近代まで中国に対し朝貢を行うことで戦争を回避し、自国の安全保障を行なってきました。
そして、この朝貢制度により、属国というアジア特有の国家間の序列関係を形成していきました。
 
今回は、中国・アジアに特有な朝貢制度について考えて見たいと思います。
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posted by sinkawa at : 2011年08月16日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2011.08.16

旅日記シリーズ~伊勢の原風景に迫る

今年の夏は台風の影響で冷夏とおもいきやここ数日は猛暑が続いていますね。旅行へ行かれた方も多いのではないでしょうか?今日は不定期の旅日記シリーズをお届けしたいと思います。今日紹介するのは、三重県度会町の久具都比売神社です。実はこの地にはるいグループの仲間が経営する「るい農園」があり、この春、田植え、茶摘みの手伝いに行ってきたのです。その帰りに、この神社へ参拝してきました。
まずこの度会町について、るい農園のHPより紹介します。http://nouen.rui.ne.jp/shoukai-2.html#mie
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posted by staff at : 2011年08月16日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2011.08.15

中国の民衆史~中国の農民反乱~

「中国の民衆史」シリーズ、「中国の民衆史~農業生産と集団~」以来だいぶ間があいてしまいました
今回は、中国の農民反乱の歴史を調べてみました
農民が反乱を起こして王朝が転覆するような歴史は、世界でも中国のほかに例がありません
中国の歴史において、民衆が反乱を起こした事例を調べてみました。
すさまじい反乱が起こっています
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posted by pingu at : 2011年08月15日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2011.08.12

「お盆」と「ケガレ」から考えてみた事

もう直ぐお盆が来ます。
既に帰省などしてつかの間のお盆休みを楽しんでいる方も居られると思いますが、縄文フログのお盆特集として今回は「お盆」について考えてみたいと思います。
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参考にさせていただいたのは波平恵美子氏の「ケガレ」という著書です。お盆とはこの日本人特有の「ケガレ」という観念から生まれてきているようです。
ケガレとは一般に人が死んだ時に祓いや清めをする儀式のその状態を表しています。
そしてケガレと祟りというものが、日本人古来から現在まで変化はしているもののほぼ一貫して深く内在している事は、私達の日常の意識や行動を考えても納得行くところです。
例えば正月に誰もが神社に行く行為、また葬式はどんなに略式になっても通夜を行い、葬儀をして送り出します。それは亡くなられた方の為でもあり、残った遺族の為でもあるわけです。
また日常ではありませんが私たちが営む様々な神事もケガレを除く儀式としてあります。
私は建設関係の仕事をしていますが、建物を建てる際には必ず神式の安全祈願を行ない、お祓いをします。そして現在ではほとんど無くなりましたが、出産や月経などの非日常の行為もケガレとして長い間、民間宗教の中に存在していたようです。
いつものやつお願いします↓
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posted by tano at : 2011年08月12日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2011.08.09

日本の支配階級の意識構造を解明する ~極東アジアの支配の歴史6  李氏朝鮮の歴史と意識構造②

今回第6回は前回に引き続いて李氏朝鮮の歴史と意識構造について見ていきます.
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李氏時代の市場」画像出典リンク
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posted by ryujin at : 2011年08月09日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

 
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