2009.12.18
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(5)~アイヌ語と日本語の関係~
(画像は「よみがえれ!アイヌ語」からお借りしました。)
新テーマ「アイヌ民族は縄文人の末裔か」
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(1) アイヌの歴史と文化(基礎データー編)
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(2) ~「アイヌ論争」~
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(3) ~「オホーツク文化」~
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(4)~「東北蝦夷とアイヌ人の関係を見る」~
これまでのアイヌ民族の追求によって、アイヌ民族は縄文人の末裔であることが明らかとなりました。今回はアイヌ民族の根幹にある『アイヌ言語』について追求していきます。
アイヌ語は、アイヌ民族特有の言語で広く北海道、樺太(サハリン)、千島列島(クリル諸島)に分布します。日本語と同様に、独立した言語とされています。それは日本語と地理的に比較的に近い位置で話されてきたにもかかわらず、日本語との間にはそれほど共通点が見いだせないからだと言われていますが・・・
本当にアイヌ語は日本語や周辺の地域とは異なった独立した言語なのでしょうか?
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posted by staff at : 2009年12月18日 | コメント (9件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.14
「稲作伝播は私権社会の引き金か?」2~縄文人と農耕技術
シリーズ1「寒冷化適応により生み出された農業」で、農業を受け入れた外圧状況がよくわかりましたね。
今回は日本における過渡期・縄文時代後期~弥生にかけての外圧状況についての投稿「縄文人と農耕技術」を紹介したいと思います。
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posted by dai1028 at : 2009年12月14日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.13
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(4)~「東北蝦夷とアイヌ人の関係を見る」
こんばんわ 😀 このシリーズもいよいよ中盤にさしかかってきました。
一旦ここで、これまでの流れをおさらいしておきたいと思います。
新テーマ「アイヌ民族は縄文人の末裔か」
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(1) アイヌの歴史と文化(基礎データー編)
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(2) ~「アイヌ論争」~
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(3) ~「オホーツク文化」~
第1回でアイヌ文化の歴史を概観していきました。
アイヌの歴史を通史で見ていくと、アイヌ文化形成期には交易民としての特徴がみえてきます。擦文時代での和人、オホーツク文化からの影響が大きいとされ、アイヌ人の交易体質はどのようにして形成されていったのかが注目される点です。
第2回ではアイヌ起源論争のこれまでの歴史と現時点でのアイヌ史観を紹介しています。
アイヌ人の顔体の形質の特徴は北方適応した新モンゴロイドではなく、古モンゴロイドの南方形質を引き継いでいます。古モンゴロイドが基底となりその後、新モンゴロイドと混血して現在に至っている事は明らかです。ただ、南方モンゴロイド起源説と北方モンゴロイド起源説が決着しておらず、現段階では頭蓋骨から埴原氏が前者を支持し、崎谷氏、松本氏がDNAや遺伝子から後者を支持しています。
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posted by tano at : 2009年12月13日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.12
素人の創造シリーズ3~素人と創造
こんにちは、saahです。
これまで2回にわたり「素人の創造」シリーズを紹介してきました。
1回目は主に、
・素人の生み出す最大のもの
・素人が生み出す次の原基的な中身
2回目に
・現代の最大の課題
について明らかにしてきました。
3回目の今日は、「本当の創造は、素人が担ってきた」という事実を紹介します。
これまでも、「素人」とはどういう人のことをいうのか、という点でいろんな解釈をされた方もいると思いますが、今回はその中身、及び素人が作った「真に新しい価値」とは何か、を明らかにしてゆきます。
いつものように先に行く前に応援をお願いします。
posted by saah at : 2009年12月12日 | コメント (10件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.07
アイヌ民族は縄文人の末裔か?(3) ~「オホーツク文化」~
北海道の独自の歴史のなかでも、常呂が位置するオホーツクの沿岸には加えてユニークな過去がありました。
渡来民の時代です。
本州で大和が政治支配を固めつつあった五世紀から六世紀頃、北海道にいた土着の人々である続縄文人とも、本州の人々とも、全く異なる集団が現れました。ちょうど、今よりも気温が低かった時期にあたります。
冷気にさそわれるように南下してきた彼らは、流氷が漂着するオホーツク沿岸に独特な文化を花開かせました。
考古学者たちはこの文化を「オホーツク文化」とよんでいます。
今回は、このオホーツク文化がアイヌ文化と関係があるのか、ないのかを追求したいと思います。
古代オホーツクと氷民文化から【抜粋】させていただきました。
【オホーツク文化=渡来民の文化】
「オホーツク文化」は、サハリンで成立した漁撈や海獣猟など海洋適応に特徴をもつ文化です。
この文化の担い手は、その遺跡の分布範囲や立地状況、推測される生業からみて、船を操ることにたけていたと考えられています。オホーツク人は、擦文人とは異なり、寒冷地適応の形質的特徴をもっており、現在サハリンに住む先住民ニブフの祖先と考えられています。(出土する人骨の形質学的研究によって彼らが続縄文人や擦文人とは非常に異なった顔かたちをしていたことが判明しています。その顔立ちはむしろ大陸のアムール川流域、樺太方面の人々と最も似ているそうです。)
擦文文化が成立した七、八世紀ころ、オホーツク文化は北海道のオホーツク沿岸から千島列島まで領域を拡大して最盛期を迎えながら、同時に中国の北方地域(吉林省・黒龍江省・アムール川流域・沿海地方)の人々と交易をおこなっていました。中国側からもたらされたのは曲手刀子・耳飾り・帯金具・小鐸といった金属製の装飾品、ブタなどでした。オホーツク文化から移出されたのは毛皮が主な交易品だったと考えられています。中国の唐王朝にも朝貢していたと見られています。
「異文化の民」を突き動かしたものは何なのでしょうか?
容易に考えつくのは外圧状況の変化ではないでしょうか。
そこで、まずは、当時の気候状況を押えておきたいと思います。
その前に応援よろしくお願いします。
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posted by naoto at : 2009年12月07日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.07
「稲作伝播は私権社会の引き金か?」1~寒冷化適応により生み出された農業
新シリーズはじまります!
これまで、「日本人の本源性」、「日本人は闘えるのか?」、「東洋や西洋」などの日本人論が続き、また「官僚制の歴史」における国家制度の追求どは力作が続いています。
今回は社会統合の様式、なかでも弥生時代の稲作との関係です。
歴史を長~く見れば、共同体社会から私権社会へと転換して現代まで続いています。
私権社会では、土地や財や女の私有を巡って争う事で勝者敗者が生み出され、身分秩序のヒエラルキーを生み出し、最終的にはその力で統合されてきたわけです。
さて、日本において稲作が始まったのは弥生時代ですが、歴史本などを見ると、稲作によって戦争や階級社会がもたらされた、と目にする事があります。つまり生産様式が新たな社会構造をもたらしたと。
リンク(稲・鉄器・戦争から階級社会へと弥生時代を追及されています。)
果たして事実はどうなのか?、どのように私権社会が始まったのか?
まずは「人類はなぜ大地を耕しはじめたのか? 寒冷期と農業の起源」より見ていきます。
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posted by nishipa at : 2009年12月07日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.07
素人の創造シリーズ2 ~素人は、全てを生み出す事が出来る2
素人の創造シリーズ1で、過去を振り返り 素人が生み出した創造物について考えましたが、シリーズ2では、現在の 課題と状況について考えてみましょう。
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posted by ryou at : 2009年12月07日 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.06
縄文時代の交易ネットワーク拡大の推進力とは?
縄文ネットワークに引き続いて私たち日本人の祖先にあたる縄文人について見て行きたいと思います。
「縄文ネットワーク」からの抜粋、盛んな交易【*贈与】を記載します。
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盛んな交易【※贈与】
代表的な交易品は、石器製作の材料となった黒曜石です。原産地はいくつかに限られており、遺跡から出土した石器類がどこの黒曜石で作られたのかは組成分析で正確に特定できます。交通機関もない時代、原産地からは驚くほど遠くの集落にまで黒曜石は行き渡っており、しかも遠いほど複数の産地からのものが混在しています。つまり複数の交易ネットワークがその集落をカバーしていたことが伺えます。新潟県に産地が限定されるヒスイも、北海道までの交易ルートに乗っており、その他多くのものが交易されたようです。大きくて壊れやすい土器さえ、100キロ以上に及ぶ物流ネットワークに乗っているのです。
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「日本人の源流を探して」から引用させていただきました
交易とは市場があるかのように見えますね。上記の物流ネットワークの拡大の推進力が「贈与の力」なのか、それとも「交易の力」なのかを追いかけて見ます。
興味のある方はポチッとお願いします。
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posted by sakashun at : 2009年12月06日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.05
官僚制と試験制の構造的欠陥
前稿の通史分析を踏まえて、官僚制と試験制の構造的欠陥を総括してみる。結論を先に書くならば
官僚組織は国益(国家私権)を集団私権に矮小化し、試験制度はみんな課題を自分課題に矮小化させる。という点につきるのではないだろうか。
写真は戦後官僚が築き上げた無駄の象徴=八ツ場ダム。官僚が絵を描いて天下り先機関が事業を遂行するという絵に描いたような二重利権の温床。
posted by staff at : 2009年12月05日 | コメント (7件) | トラックバック (0) TweetList
2009.12.04
官僚制と試験制の通史的総括
官僚制と試験制の通史的総括
10月に始まった「官僚制と試験制」シリーズも大詰めとなりました。まずは過去の議論を通史的に振り返ってみましょう。
① 古今東西を問わず、武力統合を推し進めた古代国家は、多数の兵隊を養うために、徴税官を必要とし、この徴税官を養うために、更に多くの兵隊を必要とし、それによって、さらなる徴税官の拡大を必要とする・・という「軍と官僚制の罠」に陥る。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/11/000952.html
写真は有名な秦の始皇帝の兵馬俑(へいばよう)
威容を誇るが、これだけの兵隊を食べさせていたと考えると、
「軍と官僚制の罠」はなかなか解けない難問でもある。
posted by staff at : 2009年12月04日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList