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官僚制と試験制の構造的欠陥

前稿の通史分析を踏まえて、官僚制と試験制の構造的欠陥を総括してみる。結論を先に書くならば
官僚組織は国益(国家私権)を集団私権に矮小化し、試験制度はみんな課題を自分課題に矮小化させる。という点につきるのではないだろうか。
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写真は戦後官僚が築き上げた無駄の象徴=八ツ場ダム。官僚が絵を描いて天下り先機関が事業を遂行するという絵に描いたような二重利権の温床。


① 官僚制は、武力支配を補完する仕組みとして成長してきたが、武力支配は究極的には、様々な土着的集団を解体し、皇帝=国家と皇帝=国家に忠誠を誓った官僚たちへと収斂していく。その意味では官僚とは、皇帝=指導者の従順な下僕であり、皇帝によって与えられた「特定の問題」に対して効率よく答えを出す「専門家集団」である。「集団」である以上、「集団の存続」が自己目的と化す。それ故に、「官僚機構」は際限のない肥大化の道を歩み始める。
② 企業集団のような民間集団であれば、競合集団が存在しているため、社会が必要としていないのに、自らの集団の膨張のみを目的とするようなば馬鹿げた集団は淘汰されるしかない。しかし集団を超えた国家の次元に位置する「官僚機構」には企業間競争のような同類闘争の競争圧力は働きにくい。そうした集団間競争という圧力を超えたところに位置するという特権性は、官僚機構が自閉化し、腐敗する構造的原因をなしているのだ。つまり超集団=社会を統合する組織が単一の集団である、という点が、「官僚機構」の最大の問題なのである
③ しかも、官僚は試験制度を通じて選出されるが、試験制度、とりわけペーパーテストは個人課題化し、現実の対象性を喪失し、観念世界に自閉しやすいという欠点を持つ。(口頭諮問やゼミ形式の問答であれば、まだしも対象性が担保されるが)こうして、自閉集団の中で自閉した観念世界に埋没することに長けたエリートが、現実世界を動かす権力を持ってしまうという、究極の社会統合矛盾が起こってしまうことになる。
④ とりわけ、貧困の消滅によって国家私権が衰弱した現在は、「国家、国民のため」という対象性を喪失し、自閉化した官僚集団が、国益よりも自分の利益を優先し、国家を解体へと追い込むという極めて危険な状態をもたらしつつある。
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写真は今話題の「笑う警官」角川春樹が暴走する警察官僚に放つ痛快なる一撃。
>宗教集団や政治集団はもちろん、マスコミも学会も国家(行政組織)も、夫々は単一の集団でしかない。ところが、集団というものは自己収束(もっと言えば自己閉鎖)性が強い。従って当然、彼ら官僚や学者やマスコミや政治家たちの、自集団の利益が第一になってしまう。そもそも、各集団を超えた次元にある社会を統合する組織が、実は単一の集団でしかないというのでは、社会を統合する資格などない。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=7#03 [2] 
では、その突破口はどこにあるのか。
>集団を超えた次元に存在する社会を統合(もちろん変革も)する為には、単独の集団原理とは全く異なる原理の統合組織が必要なんだという事に、未だ誰も気付いていない。しかし、万人が参画できる、社会統合組織の条件は簡単で、二つだけである。
>社会統合は、全員が担うべき当然の役割=仕事だとすれば、その仕事に対してそれなりの収入が保障されなければならない。しかも誰もが何らかの専業に就いているとしたら、この組織は誰もが副業として担うことができる半事業組織でなければならない
>収入保障は万人が社会統合に参画する為の不可欠の条件であって、私益追求の為の仕事は収入になるが社会統合の為の仕事は収入にならないというのでは、特殊な思想・信念に固まった人しか動かないのも当然である。それに、全員の社会を、特定の思想に固まった集団が動かすというのは、大きな間違いである。万人の属する社会を導くことができるのは、万人が認める事のできる事実に基づく理論体系(=科学)だけであって、特定の思想などに社会を統合する資格はない。これが社会統合組織の、もう一つの条件である。
>これらの条件を充たす、集団原理を超えた社会統合システムの原型となるのが、半専任(副業)の人々で組織されたネットワーク集合である。
>このネットワーク集合なら、皆等しく半専任なので官僚化(=専任特権化)の危険を完全に無くすことができるし、常に強い成果圧力が働いているので、公務員に見られる様な「親方日の丸」に陥る危険も完全に払拭できる
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=7#05 [3] 
現在、政治主導による官僚組織の改革が進んでいるが、アメリカの二大政党制が見せかけであることが証明しているように、エリートが交替するだけの政治改革など、所詮、見せ掛けの改革に過ぎない。民主党の仕分けが証明しているように、その一見、華やかな体制改革の中に、エリート世界しかしらない市場原理主義者が跋扈している。庶民の現実を背景に闘っているのは、亀井大臣ら少数である。
勿論、事業仕分けが一般公開され、多数の傍聴人がその場に居合わせ、「必要か否か」を考えるようになったという現実は、大きな進化でもある。こうした試みを「半専任・半事業の社会統合ネットワーク」へと発展させていく、そのような世論を作っていくことが、この時代を生きる私たちの仕事である。そして、そうした社会組織理論を構築すべく歴史に学び、自然に学ぶことも重要な仕事である。「人類はどこで道を誤ったのか?」を探る、私たち「縄文と古代史を追求しよう」仲間の挑戦はまだまだ続きます。今後とも応援、よろしくお願いします。
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写真は事業仕分けの模様。ロック歌手の内田裕也も傍聴した。仕分け人にロバートフェルドマンら、市場原理主義者が跋扈しているといった問題もあるが、そうした事実も含め、衆人監視の圧力が形成されつつある状況は評価できよう。

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