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官僚制と試験制の通史的総括

官僚制と試験制の通史的総括
10月に始まった「官僚制と試験制」シリーズも大詰めとなりました。まずは過去の議論を通史的に振り返ってみましょう。
① 古今東西を問わず、武力統合を推し進めた古代国家は、多数の兵隊を養うために、徴税官を必要とし、この徴税官を養うために、更に多くの兵隊を必要とし、それによって、さらなる徴税官の拡大を必要とする・・という「軍と官僚制の罠」に陥る。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/11/000952.html [1]
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写真は有名な秦の始皇帝の兵馬俑(へいばよう)
威容を誇るが、これだけの兵隊を食べさせていたと考えると、
「軍と官僚制の罠」はなかなか解けない難問でもある。


② 中国は、北方騎馬民族の襲来を繰り返し受ける中、とりわけ強く「軍と官僚制の罠」に陥いった。そして、帝国と皇帝は栄枯盛衰を繰り返すが、地方軍閥を基盤に持つ官僚たちが、皇帝の専制を阻むという、矛盾にぶつかり、地方軍閥の縁故によらない官僚人事の必要性から、「科挙制度」が作り出された
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/10/000944.html [3]
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写真は今回参考とした試験の社会史(天野郁夫氏)
今回は省略したが、科挙が近大欧州に取り入れられていく課程なども書かれていて試験制度を考える上では必読の書である。

③ 他方、ユーラシア大陸の辺境に位置する日本では、縄文の歴史が長く、侵略戦争の歴史が短かったこともあって、豪族たちが生き残り、軍体も、官僚制も、試験制度も左程、発達しなかった。むしろ、試験制度の持つ弊害の方が問題とされ、江戸時代に至っても、儒学は受け入れても、科挙=試験による官吏登用制度を取り入れることはなかった。それゆえに日本の江戸システムは封建体制と呼んだ方が正解であろう。
  http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/11/000956.html [4] 
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写真は今回参考とした江戸のダイナミズム(西尾幹二)
副題は「古代と近代の架け橋」。西尾氏の近代主義批判を踏まえた江戸評価は江戸を再評価する上で重要である。

④ しかし、明治に入り、欧米が作り出した近代化圧力を受けると「富国強兵」というスローガンを実現するために、中国の科挙を昇華したヨーロッパ型の近代型官僚制度を導入していった。四民平等といった近代思想が日本的な集団主義を解体し、万人の私権欠乏を駆り立て、誰もが立身出世を夢見るようになる。他方、近代思想は自由民権運動を生み出し、反体制的知識人を量産するが、それ故に、国家は体制に従順で、言われたことだけやる「官僚」に様々な特権を付与し、学閥社会を生み出していった。一般に試験制度は「与えられた問題に答える」のは得意だが「問題そのものを考える力が欠如してしまう」という問題を孕んでいる。しかし「富国強兵」という単一の目的意識の前では「試験制度の弊害」はむしろ歓迎されたのだ。それ故に、「太平洋戦争どうする?」という新しい課題を前にして、硬直した思考しかできない戦前の指導者たちは、答えを出せず、うろたえるばかりであった。それ故に、己の特権を守ることが第1の「自閉共同体」へと軍部も官僚も埋没し、無残にも敗北をしていったのである。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/11/000964.html [5]
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=220439 [6] 
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写真は初代文部大臣森有礼。英語を国語とすべきかどうかを検討した欧化主義者として知られる。
戦後のGHQ支配が学歴社会を加速させた。
明治から大正期は学歴社会であっても富裕層にのみ開かれた世襲色の強いものだった。さらに昭和期には財閥の力が強くなり、政治も家柄のよいものが就くようになり世襲色を強めていく。しかし、敗戦すると状況が一変する。財閥がGHQによって根こそぎ解体されると、庶民に対して門戸が開かれる。誰しもが学歴を得ることで社会の統合階級に駆け上がる事が可能になった。英語が堪能でGHQと交渉できる人材が経済の世界でも政治の世界でも優遇され、帝国大学出身者にはわが世の春が訪れた。
実際には東大卒は名門の子弟であったが、高度経済成長期の庶民には手に届く学歴に見えたのだろう。実際、復興以降は授業料を支払う事が庶民から見ても十分に可能になり、これらが受験熱を高め、受験戦争に拍車をかけた。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=219875 [7] 
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写真は「官僚の夏」(城山三郎)
“ひとつのポストについたら、そのポストを死場所と考えろ。その場その場が、墓場なんだ”
“おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ”・・・名言が多い。

国益より省益、省益より自分の権益を求めだした官僚たち。
「官僚たちの夏」に象徴されるように、戦後の官僚は、「敗戦」という現実を前に、「経済復興」という「国益課題」に向けて邁進した。霞ヶ関の殆んどの役人は精励潔白で自分たちが日本の再建を背負っていると考え退官した後も民間に入り指導をし、官民が共に日本再建に向けて歩む役割を果たした。いわゆる天下りである。しかし天下りも、経済成長が一定の成果を収めると、国益よりも省益へと矮小化され、更に小泉改革以降、省益よりも自分の利益へとさらに矮小化されていく。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=220362 [8] 
今や必要か否かという点では極めて怪しいダム、ワクチン、オリンピック誘致、といった無駄事業を量産し続け、その果てにそうした無駄事業の主体となる公益企業に天下りしては法外な役員報酬を手にしている高級官僚たちは、二重に無駄を積み上げるだけの「税金泥棒」に過ぎない。
戦後「官僚」が優秀とされたのはまだしも「国益=国家私権」という目的を踏み外すことがなかったからだ。しかし、70年貧困が消滅すると「国家私権」はどんどん衰弱する。そして、そのような「全体的な私権追求の場の圧力」の衰弱故に、逆に「企業私権」「家庭私権」「個人私権」を追及する少数の私権派がウィングを拡大するようになっていく。偽ニッチの台頭である。そして、小さい頃、仲間集団の遊びに背を向けて、一人、受験という個人私権課題に埋没して、優秀な学歴と地位を手に入れた「エリート」こそが、こうした「偽ニッチ化」を主導した連中である。(和歌山の片田舎に生まれ、強烈なエリート意識に芽生えて行った竹中平蔵氏はその代表格である。)http://amesei.exblog.jp/1708133/ [9] 
つまり「国家私権」の消滅によって「国家のため」という対象性が喪失し、官僚組織が自閉化していった。そして官僚制度の「国家よりも省益」という問題性と試験制度がもたらす「仲間課題よりも自分課題」という問題性が、重なったところから、官僚たちの暴走が始まったといえるのではないだろうか
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最後の写真は竹中式マトリクス勉強法。この本は断じて参考にしていませんが、以下はWEBにアップされている竹中氏の勉強論。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/33?page=3
米国の金融破綻が発端となり、世界経済が危機的な状態に陥っています。米国で金融を破綻させたのは、勉強に勉強を重ねた人たちだったのではないでしょうか?という問いに対して・・・
>勉強が足りないから、ああいうことになったんだと思いますよ。サブプライム問題にしたって、貸し付けそのものが悪いわけではない。土地の値段が上がり続けるはずだから何とかなるだろうという判断が間違っていたわけですよね。ウォール街には「人間力を鍛えるための勉強、人と人をつなぐ勉強」が欠けていたということかもしれません。金融工学は世の中で戦う際の武器となります。でも、それだけではダメなんです。根本的な人の心理とか、社会の営みの仕組みにも目を向けないと。歴史を学べば、物事には必ずアップ&ダウンの局面があることとか、繁栄の後には必ず厳しい時代が来ることなどが分かるはずです。そういう広い意味の勉強が足りなかったんだと思いますよ。
・・・・・一言。お前が言うな!
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