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2009年12月06日

縄文時代の交易ネットワーク拡大の推進力とは?

縄文ネットワークに引き続いて私たち日本人の祖先にあたる縄文人について見て行きたいと思います。

「縄文ネットワーク」からの抜粋、盛んな交易【*贈与】を記載します。
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盛んな交易【※贈与】  
 代表的な交易品は、石器製作の材料となった黒曜石です。原産地はいくつかに限られており、遺跡から出土した石器類がどこの黒曜石で作られたのかは組成分析で正確に特定できます。交通機関もない時代、原産地からは驚くほど遠くの集落にまで黒曜石は行き渡っており、しかも遠いほど複数の産地からのものが混在しています。つまり複数の交易ネットワークがその集落をカバーしていたことが伺えます。新潟県に産地が限定されるヒスイも、北海道までの交易ルートに乗っており、その他多くのものが交易されたようです。大きくて壊れやすい土器さえ、100キロ以上に及ぶ物流ネットワークに乗っているのです。
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sannnaimaruyama_koueki.jpg
「日本人の源流を探して」から引用させていただきました
交易とは市場があるかのように見えますね。上記の物流ネットワークの拡大の推進力が「贈与の力」なのか、それとも「交易の力」なのかを追いかけて見ます。
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るいネットから以下の投稿を引用します。
黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②
以下、引用
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さて次の問題は、この時代の上記の貴重品が広範に広がっていたのは、贈与によるものか、交易によるものかどちらなのか、である。
結論から言えば私は「贈与」によるものであると思う。
何故なら、まずこれだけの広域かつ多方面の広がりからみて、交易である事は考えにくい。何故ならば上記の物品(原石)が採掘できる場所は限られており、かつ仮に交易であれば、一般的に考えて特定の部族間でやり取りされるはずである。つまりこれだけの広域の広がりを説明できない。
逆に贈与であれば、潜在的な緊張関係のもとでかつ友好の意思を多方面に示す必要性が高く、広域に渡ることが説明がつきやすい。
もう一つの理由は原始共同体は自給性が非常に高い事による。交易するということは、他の部族に、自らの生活条件及び生存条件の一部を依存する事を意味する。これは,自給度の高い歴史を積み重ねてきた共同体集団からは、極めて出てきにくい発想である。
 その意味で、私は交易とは自ら生活に必要な生産活動を行わない、遡っても略奪部族、ひいてはその後の支配階級の需要に端を発する様に思われる。また実際交易を後の時代に中心的に担っていたのは、周辺に追いやられた、遊牧部族や海洋部族でその最初の姿は、盗賊や海賊的行為によって得た品の売却であった様である。(つまり半略奪、半交易)
 もし当時の日本列島に少数ながら略奪性の高い部族がおり、それが略奪した品と引き換えに生活上の必需品の一部を得ていたとすれば、交易であるという仮設も成立しうる。しかし私の現在知る知識の範囲内では、そのような部族の存在は確認できていない。
 上記の理由より交易の可能性は極めて少ないと思われる。かつ上記の類推より当時の集団間の関係がおぼろげながら浮かび上がってくる。
 逆に先日のNHK番組が何をもって「交易説」を唱えているのか、その根拠が知りたい。何か明確な根拠があるのであろうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり
特に以下の部分が新鮮でした。
>私は交易とは自ら生活に必要な生産活動を行わない、遡っても略奪部族、ひいてはその後の支配階級の需要に端を発する様に思われる。< 🙄
略奪が発生しない限り交易=市場は生まれないということで、縄文ネットワークは贈与という推進力で動いていたのでしょうね。
この投稿への以下の返信も面白いで読んで見てくださいね。
『贈与』という同類間の緊張緩和システム ゲンさん
「縄文時代の商人たち」という論理の飛躍した学説岡本さん
又、縄文と古代文明を探求しよう!から
黒曜石の広がりは、交易か贈与か?
ヒスイの広域に渡る存在は、交易か贈与か?

投稿者 sakashun : 2009年12月06日 List  

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コメント

縄文の皆さん、こんばんわ~。
わたくし、父は縄文顔、母は弥生顔のミックスです。
きょう、図書館でマルセル・モース『贈与論』を借りてきました。ちくま学芸文庫から新訳が出ているようですが、借りたのは、有地亨訳(勁草書房)の新装版です。
224頁「安南人の慣習では、贈物を貰うことは危険である。」ナンノコッチャ?
こういう難しげな本は横に置いといて、素人の発想で、上のカッピカピさんの発表にコメントをさせていただきます。
黒曜石や翡翠の移動があった。それを交易と決めつけて、縄文時代に商業活動があったかのような解釈には抵抗がある……ということでしょうか? 批評対象のNHK番組は、かなり以前のもののようで、見ていないのです。すいません。NHKからは、返事が来ないのでしょうか?
NHKについては、『日本と朝鮮半島2000年』の最終回で、金玉均が登場したので、歴史番組の体裁で、視聴者を笑わせるトンデモ番組かと疑っております。
金玉均と囲碁の話が、番組では、まったく出てこないのですもの。じつは、『囲碁の力』(石井妙子著、洋泉社、2002年)という本も、きょう、図書館から借りてきて、それに、金玉均のことが書いてあります。ネットでも、「金玉均 囲碁」で検索すると出ています。
黒曜石や翡翠を、碁石のように移動させた“神の手”の正体は?
「阿倍仲麻呂 安南」で検索して、あっ!と閃きました。

投稿者 タツ : 2010年2月13日 20:40

>「だましの原理」が多用されていれば、世界四大文明と同様に、どこかで巨大な権力が誕生し、滅亡と興隆を繰り返したことでしょう。
たしかに~☆
縄文の遺跡からは争いの跡は出てこないと聞きました。
みんなが自分の利鞘を稼ぐことをしだしたら、必ず権力争いが発生し、あちこちで争いが勃発するはず!
縄文時代の物流は”贈与”だった可能性が大になってきましたね♪

投稿者 ぴんぐ~ : 2010年2月16日 18:03

タツさん、コメントありがとうございます。
>黒曜石や翡翠を、碁石のように移動させた“神の手”の正体は?
 神の手の正体は、ズバリ、縄文人の他集団との闘争を回避し、友好を維持しようとする”意識”そのものだったのではないでしょうか。
 生存圧力が低下すると、人口の増加と生存域の拡大が起こり、集団同士の縄張りが接近します。このことを我がブログでは『同類圧力の高まり』と呼んでいます。この同類圧力の高まりを受けて、人類が取る選択肢は2つあると考えられます。一つは、他集団と闘争すること。もう一つは闘争を回避すること。
 縄文人とは、弥生人が現れるまでの長い間、闘争回避を貫ぬき通した人種だったのではないでしょうか。

投稿者 カッピカピ : 2010年2月16日 22:31

ぴんぐーさん、コメントありがとうございます。
>縄文時代の物流は”贈与”だった可能性が大になってきましたね♪
 確かに、贈与だった可能性が高そうですね。もし交易だった場合、多少は効率を考えると思うので、翡翠の産地である新潟県糸魚川から北海道まで手を広げる理由が見当たりません。このことからも、贈与説に軍配が上がりそうですね。

投稿者 カッピカピ : 2010年2月16日 22:41

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