2014.05.02

日本人の可能性について記事紹介 ~現実を肯定的に受入れる、共認原理に基づいた組織運営~

みなさん。こんにちは。

暖かくなってきましたね!夏を予感させる陽気になってきました。 日本の気候は、四季に象徴されるように暑かったり、寒かったりで本当に変化が多いのが特徴です。そんな厳しい環境にいながらも我々の祖先たちは、厳しい自然環境を受け入れ、皆と課題を共有して、これまで暮らしてきました。暑い季節は、どのようにしのぐか、寒いもまた同じで、その工夫が様々な部分に我々日本人の工夫思考となって現れています。自然への同化、感謝を通し、いかに外圧を克服するかといった視点から、今では世界でも群を抜いた「工夫思考・追求力」を構築したといえるでしょう。

さて、GWに入り、普段よりちょっとお時間もあると思いますので、ここで私達日本人についてのいいところを振り返ってみましょう。いくつか記事を紹介します。

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posted by katsuragi at : 2014年05月02日 | コメント (1件) | トラックバック (1) List  

2014.04.24

日本における仏教が果たした足跡4~日本での初期仏教に「教え」がなかったのはなんで?

インドは結局仏教が馴染まず、カーストを肯定したバラモン⇒ヒンズー教の主流が継続されてきました。それはカースト(階級社会)を維持する事を、社会の統合軸として外せなかったからです。ここでは私権社会をコントロールする上で2つの方向性を垣間見る事ができます。

ひとつは階級の固定です。階級を固定する事で無用な争いを無くし、結果としての社会の安定構造を作り出すという方法です。もうひとつは私権社会が作り出す矛盾した現実に対して受け取り方(心の状態)を変える事で適応しようとする方法です。

簡単に言うと通常では認めがたい不合理でも、受け取る側の心を変えてしまうことで受け入れる事ができるという方法論です。インドは前者を選び、中国、日本は後者を選んだのです。

 インドで変化した大乗仏教は、言い換えれば仏教のその効果(心の状態)と階級否定だけを残し、教義や中身はその時々の必要なものに組み替えてよいという立場を作り出した宗教でした。

仏教が変化の宗教であり、解釈の宗教であると言われる所以はそこにあり、仏教の多様性、変幻自在の特性はインドを離れた日本、中国においてなお一層の働きを成したのです。

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posted by tanog at : 2014年04月24日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.04.22

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 6、明治時代~「富国強兵」・近代国家を担う人材の育成~

開国開国

 みなさん、こんにちは!

 前回は、江戸時代の「武士道」を通して培われた全人教育=帝王学をご紹介しました。この時代、領地や民を統治する者は、様々な共同体を調整・運営し、共存・存続させていくことを求められました。江戸時代には、藩校のみならず、民衆にも共同体教育が行き届いていたからこそ、激動の明治期に日本はスピード感をもってこの危機を乗り越えていったと考えられます。 

 今回は、激動の江戸末期から明治時代の帝王学を見ていきます。特に、この時代は、良くも悪くも、近代国家の基礎が形成された時代でした。「富国強兵」の名のもとで、日本は大きく変わってしまった時代でした。

  私たちが古来より連綿と受け継いできた、共認原理による社会統合システムが、私権・市場原理に基づく中央集権国家の体制へと変貌を遂げたわけですが、そこには、統治するものの帝王学なるものがあったのでしょうか?彼らは、欧米列強の下僕と化してしまったのでしょうか?また、庶民は、お上の仕事として容認・捨象して、よき日本の本源性を失ってしまったのでしょうか?

 では、明治時代の帝王学を見ていきましょう。

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posted by 2310 at : 2014年04月22日 | コメント (0件) | トラックバック (1) List  

2014.04.21

日本における仏教が果たした足跡3~仏教が中国・日本に受容されたのはなんで?

 前回(日本における仏教が果たした足跡2)は、インド国内における仏教の多様化の様子を原始仏教から密教までみてきました。
 初期から比べると、かなり様変わりしている様子がおわかりいただけたかと思います。

 しかし、仏教以外の宗教、特に一神教を思い浮かべてみると、ここまで変わっている様子は見られません。そこからまた、仏教の特徴が見出せるのではないでしょうか?
 そこで今回は、仏教と一神教との違いから、多様化に対する考察をし、中国・日本において、主に大乗仏教が受容された理由を探って行きます。

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posted by tanog at : 2014年04月21日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.04.15

日本における仏教が果たした足跡2~仏教が多様化したのはなんで?

 前回(日本における仏教が果たした足跡1)は、インドにおけるブッダ誕生から初期仏教の形態を見ることで、仏教は「学問」なのか「宗教」なのか?を追求しました。 

 学問的要素は強いものの、「宗教」として成立した仏教ですが、ブッダの死後、インド国内において、様々な経典が作られ、部派もたくさん現れます。

 今回は、その成立過程を追うことで、仏教が多様化するのは何故なのか?どうして、中国、そして日本で受容されたのか?を中国・日本で主に受容された大乗仏教を中心に、探って行きたいと思います。

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2014.04.11

沖縄に在る“力”に学ぶ~プロローグ

今回のシリーズは沖縄を扱っていきたいと思います。まず最初になぜ今回、沖縄なのか?の問いを立ててそれに答えておきたいと思います。沖縄についてはずっとどこかで一つのテーマとして扱いたいと思っていました。

沖縄は文化、性質共、最も日本人の原型を成している と聞いたことがあります。これまで沖縄は言語学、DNA分析では原日本人であることが言われてきており、その説には2つのルートがあります。

一つは沖縄源流論です。~元々縄文人が沖縄から流れてきて日本に漂着、その後の縄文時代を形成したという説です。もう一つは九州からの移動論です。~南方系渡来民が九州で縄文文化を作り、そこから流れてきた縄文人が沖縄に定着し、その後の沖縄の歴史を作ったという考え方です。2つは未だに決着を見ていませんが、いずれにせよ沖縄には縄文時代に形成された文化がその後の歴史に大きな影響を与えている という事です。

私は沖縄が最も日本的(縄文的)であるとする要因は石器時代を含めた創始の時代より、その後の歴史にあると思っています。

沖縄は本土の歴史に比べて800年から1000年ほど遅れています。文字が使用されたのは13世紀以降、鉄器を用いた農業が始まるのは14世紀です。仏教は13世紀まで伝わらず、国家という形態をなすようになるのも15世紀初頭です。つまりは、紀元前3世紀から始まった本土での弥生化、朝鮮半島経由の農業国家の歴史の洗礼をほとんど浴びていないのです。沖縄は日本文化に取り残されたという見方はありますが、その事により沖縄は長く、縄文時代に培った人的、文化的資産が残存熟成し、今日まで縄文時代がほぼ直線的に繋がっている稀有な地域の一つでもあるという見方が成立するのではと見ています。

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沖縄の海

http://oknwphoto.blog103.fc2.com/blog-entry-20.htmlよりお借りしました。

 

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posted by tanog at : 2014年04月11日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2014.03.27

教科書「日本史」への提言2~文明史から学ぶ歴史認識の見直し

今回は、「人類の登場」に続いて、「文明の発生」を学んでみましょう。

教科書には、人類史に文明が登場した状況が、次のように記述されています。

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4大文明 

古代世界各地で生まれる文明

『新石器時代になると、大河の流域では農作物の栽培が発達し、人々は定住生活を行うようになりました。作物の収穫が増え、食料にゆとりができるようになると、食料を管理し、農作業や軍事の指揮をとる、強い権力をもつ王が現れました。王は、城壁に囲まれた都市をつくり、神やその代理人として祭りや政治を行い、広い土地と農民や奴隷を支配しました。祭りや戦いに用いる金属器がつくられ、税を記録し、王の命令を伝えるために文字も生まれました。』

文明と大河

『このような、都市のおこりと金属器や文字の使用を重要なしるしとする古代文明は、保存できる作物の栽培が行われたアフリカやアジアの大河流域に生まれました。

紀元前3500年ごろ、ティグリス・ユーフラテス川流域にメソポタミア文明が生まれました。多くの神々をまつる神殿を中心に都市が誕生し、その後いくつもの王国が争いました。その争いの中で世界で初めて、鉄製の武器が用いられました。

紀元前3000年ごろ、ナイル川流域にエジプト文明が発生しました。王は神の生まれ変わりとしてあがめられ、国家を支配しました。巨大なピラミッドは、強大な権力があったことを示しています。ナイル川の定期的なはんらんによって運ばれた土が、豊かな実りをもたらし、王権を支えました。

紀元前2300年ごろ、インダス川流域にインダス文明が生まれました。モヘンジョ=ダロなどの都市は、計画的に建設され、上下水道や公衆浴場などの公共施設が整っていました。』

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posted by tanog at : 2014年03月27日 | コメント (7件) | トラックバック (0) List  

2014.03.23

日本における仏教が果たした足跡1~仏教が多数の宗派に分かれているのはなんで? その答えを「ブッダの仏教」に探る

 仏教は、キリスト教やイスラム教など、他の宗教にくらべてはるかに多様性の高い宗教です。日本の仏教だけでも禅宗、浄土宗、浄土真宗、天台宗、真言宗、日蓮宗など、数多くの宗派が並び立ち、世界全体で見れば、それこそ数えきれないほどの異なる宗派・教団が活動しています。仏教は「仏教」という一つの言葉でくくるのが難しいほど、多様で多彩な様々な思想の集合体といえます。

 実は、日本人が日本の仏教と異なる仏教があることが知ったのは、明治時代に入ってからでした。文明開化でヨーロッパの文化に触れた日本人は、そこでヨーロッパ仏教学という学問に初めて接します。その仏教学を通じて、日本の仏教とは異なる仏教が存在し、それがスリランカ~東南アジアにかけて広がっていることを初めて知ることになります。さらに、調べていくと、もともとのブッダの教えは、日本の仏教とは異なっていることも分かってきました。

日本の仏教とは、インド亜大陸で誕生し、中国大陸、朝鮮半島を経て日本に伝わったものですが、それはインド亜大陸で誕生した当時のままの仏教ではなく、その伝来の途中で何段階かに亘り、社会的、地域的、民族的な変化を経てきたものだったのです。

 なぜ、これほどまでに仏教は多様性が高いのででしょかしょか?

 そもそも、ブッダの仏教は宗教とよべるものなのでしょうか?

 「日本における仏教が果たした足跡」を探求していく手始めとして、第1回はこの疑問からスタートしてみます。最初の一人、ブッダが始めた「ブッダの仏教」の誕生に焦点を当て考えてみます。

 

日本に仏教が伝わったのが約1500年前、日本人がブッダの仏教を知ってから僅か100年余り。「ブッダの仏教」は、今だ追求過程にある新しい学問領域で、素人には手強い課題ですが、ここは本ブログの特色である「なんで?」を切り口にして、当時の社会状況⇒人びとの期待・欠乏⇒どのように仏教はそれに応えたか?、その歴史を俯瞰してみたいと思います。

 

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posted by katsuragi at : 2014年03月23日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2014.03.09

教科書「日本史」への提言~人類の99%を占める先史時代

未分類

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みなさんこんにちは。
みなさんは学生の頃 歴史の授業は好きでしたか?
このブログを読んでいただいているという事は、今は歴史に興味を持たれているのだと思います。私は学生の頃、歴史の授業が大嫌いで、社会人になってから興味を持ちました。
最近になり、中学校の歴史の教科書を紐解く事があったのですが、なぜ歴史嫌いだったかがわかりました。それは歴史の教科書が単純に面白くないからです。もう少し言うと、それぞれの事象の因果関係などがほとんど書かれておらず、リアリティーが無いからです。そこで当シリーズでは日本の歴史教科書を自分達で作るならばどうするか?子供達の役に立つ教科書とはどんなものか?を考えていき教科書に提言していきたいと思っています。
当シリーズでは日本史への提言と題して主に日本の通史への提言を進めていく予定ですが、日本史を扱う上でどうしても押さえておきたい部分があります。それが人類史の99パーセントを占める先史時代とその後の世界規模での文明時代への移行期です。そこについては3回に分けて教科書と提言を対比させていきます。

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posted by shinichiro at : 2014年03月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.03.05

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 5、江戸時代の武士道教育

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写真はこちらからお借りしました。
  
  
前回は、室町・戦国時代の帝王学をお届けしました。
室町・戦国時代は、闘争に次ぐ闘争により私権獲得だけを争っていた時代、統治者である武士が民を一方的に押さえつけて支配していた時代だと捉えがちですが、それは西洋の歴史を範とした間違ったイメージ、現実とはかけ離れたイメージであることが、前回の追求で分かりました。
戦国時代の統治者は、「惣村」や「国人」などの共同体組織の基盤や権利を護り調整することによって領国を統治するのが役割であり、領民からの期待に応える存在だったのです。
戦国時代の動乱期を経て、江戸時代は一転して戦闘の無い、安定・秩序化の社会作りに邁進していきます。
その中で武士たちは戦闘という役割を失う代わりに、統治者として領地や民を治めることを第一の責務としていきます。
江戸時代に確立した「武士道」は、正にそのような中で形成されていったのです。
今回は、「武士道」とはどのようなものなのか、、そして武士道に則り人材を育てていった「藩校」教育を通して、江戸時代の帝王学を探求していきたいと思います。
先ずは応援、お願いします。

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posted by sinkawa at : 2014年03月05日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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