2014.02.24

教科書「日本史」への提言~プロローグ

今年の1月6日の読売新聞に下記の記事が出ていました。高校の日本史を必修科目にする検討が2014年から始まったそうです。
>政府が高校での日本史の必修化を検討していることが5日、明らかになった。
日本史は現在は選択科目だが、海外で活躍する日本人が増える中、自国の歴史を十分に学び、理解している人材を育成すべきだと判断した。文部科学相が今夏にも中央教育審議会(中教審)に高校の学習指導要領の改定について諮問する。教科書検定などを経て、早ければ2019年度から日本史が必修科目となる。

新聞の片隅に載っていたこの記事はある意味センセーショナルです。
読者の皆さんも高校時代に日本史や世界史を学んだ経験があると思いますが、歴史とはひたすら記憶ばかりで、授業は眠くてしかたなかった・・・などという方が多いと思います。
私もその一人で、高校を卒業して30年過ぎた今でこそ歴史の面白さや学びの楽しさを味わう事ができますが、中高の社会の授業はおおよそ楽しかったという記憶はありません。
これは英・数・国が必修で社会が選択だったというだけでなく、歴史に学ぶという本質がほとんど教えられてこなかったという事だと思います。
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こちらよりお借りしました。
【歴史を学ぶ意味、伝える意味とは】
今回の日本史必修化の流れは改めて歴史を学ぶ意味が問い直され、教科書の内容も含めて日本中の歴史学者の叡智が結集すると期待がされます。しかし一方でこういう見方もあります。歴史教育とは国家による国民の扇動であるという見方です。極端に言えば韓国の反日教育ですが、国が事実を曲げたり意図的に選択したりして国に都合のよい方向に若者を導くという誘導がしやすい科目であるという事です。安部総理が靖国参拝をした初年にこの動きが出たと言う事、安部内閣が憲法9条を変える本丸である事からして今回の高校日本史必須は、政府の世論誘導政策の一環として見ることもできます。
これがセンセーショナルと考えられる危険性で、当ブログで改めてこのテーマを扱うきっかけとなりました。歴史とは事実を伝えるべきもので、教科書はこの歴史の幹をしっかりと伝えなければいけませんそれが国家や為政者の都合で捻じ曲げられてしまう事はあってはならないのです。

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posted by tano at : 2014年02月24日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.02.20

自考力の源流を歴史に学ぶ(結) ~次代につながる追求土壌~

未分類

本シリーズのプロローグは、「今、なぜ自考力なのか」という問題提起から始めました。
その背景となる現在の状況認識として、
●リーマンショック以降、世界経済は急速に混迷の度合いを深め、昨年はアメリカのデフォルト騒ぎで騒然としたこと。
●311原発事故以降、政府・官僚・御用学者・マスコミによる情報の隠蔽と捏造が繰り返され、その体質が露呈されたこと。
●ネット界を中心に、民主主義の根幹を揺るがすような不正選挙の疑惑が持ち上がっていること。

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こうした背景から、人びとは無意識のうちに彼ら(お上)を見限り、自ら考え、自ら生きていく場を作り出していく方向に舵を切り出しました。その表れが、生きていくことに直結する食や農業、健康・医療、教育などの分野で、自ら探索し追求していこうとする潮流です。このような自給・自考への期待と潮流は、今後どのような方向へ向かい、どのような可能性を秘めているのでしょう?
8年間にわたり、縄文以来の日本人の歴史を追求してきた当ブログとしては、日本人の歴史の中に自給・自考のヒントがあると確信し、本シリーズでその可能性と実現基盤を考察してきました。
今回は、総集編としてこれまでの内容をまとめます。

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posted by matuhide at : 2014年02月20日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.02.15

日本における仏教が果たした足跡~プロローグ

日本は世界でも有数の仏教国です。
ところがその中身についてはインドの釈迦が興した小乗仏教や中国での大乗仏教・密教とは大きく異なり、いわば日本に入る事により、中国の漢字がカナ混じりの日本語になったぐらいに改変され、元の仏教とは似ても似つかぬ日本流の宗教になっていったのです。さらに宗派もいくつにも分かれ、同じ仏教でありながら教えも経典も異なっていきます。現代に至っては神仏習合、さらにはキリスト教まで入り込み、日本人全体が無神論者とまで言われるように無色透明になっていきます
これまで当ブログで何度かこの日本の宗教のテーマを扱ってきました。
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か
シリーズ「日本人は何を信じるのか」~6.葬式仏教とは
なぜインドで仏教が根付かなかったのか6~仏教の成立、社会とのズレ
日本人は縄文体質で基本は自然崇拝で多神教なので仏教には馴染まない、だから大衆の多くは無神論者で仏教とは形式だけを受け継いだ葬式仏教、そういう考えを持ってきました。
しかし、まだしっくりいかない部分も残っています。無神論者とはいえ事あるごとに仏教の儀礼を生活に取り込み、また数ある宗教の中でも最も身近で親しみのあるのも仏教です。
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画像~京都東山の【六波羅蜜寺】・駒沢大学、座禅風景・数珠
なぜ仏教が日本で広がり親しまれてきたのか?
そこには歴史を貫いた何らかの要因があるはずです。

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posted by tano at : 2014年02月15日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.02.12

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 4、戦国大名による領国統治の実際

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武田24将像。画像はこちらからお借りしました。
皆さんこんにちは
日本の帝王学、4回目の今回は戦国時代を見てゆきます。
ドラマや映画でも取り上げられる戦国時代。
「戦国時代」と言うと、武田信玄や上杉謙信、織田信長など、まさに「帝王」の名にふさわしい英雄豪傑たちが天下獲りをめざして華々しい合戦絵巻を繰り広げていた様子が思い浮かびます。
しかし、本当に戦国時代は合戦に明け暮れていた時代だったのでしょうか。
信玄や謙信は、家臣や領民に対し本当に強大な権力を握っていたのでしょうか。
戦国時代とは実際どんな時代だったのか、まずはそこから考えてゆきたいと思います。

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posted by yama33 at : 2014年02月12日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.02.07

女たちの充足力を日本史に探る~エピローグ

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こんにちわちわわです。
女たちの充足力を日本史に探るシリーズも、いよいよ今回で最終回を迎えます。
これまで、縄文時代から現代に至るまで、女性の充足性がいかに日本人の活力源となってきたかを、史実を紐解きながら探ってきました。
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各時代に女性たちを取り巻く集団との関係の中で、いかに女性としての役割を見出せるかが、女性の充足力を測るポイントとなることが分かりました。
それではこれまでの記事を振り返ってみましょう。
女性輝いてると思った方↓↓ぽちっと!!

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posted by tiwawa at : 2014年02月07日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.02.04

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 3、鎌倉時代の家訓

未分類

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鶴岡八幡宮
 みなさん、こんにちは!今回は鎌倉時代の為政者・統治者の哲学≒帝王学を時代背景とともに見ていきたいとおもいます。
 前回、桓武天皇から始まるとされる平安時代の帝王学=統治手法を見てきました。当時は、藤原氏の全盛期で、貴族の優雅な文化が有名で約390年間も続きました。初・中期は、神社の格付け(延喜式)の制定による万世一系の天皇制の固定と庶民の共同体を守ることで秩序化され、安定化を目指した社会でした。しかし、後期になると、私権・市場原理の浸透に伴い、変質していき、ほころび始めます。律令制の破綻、税制の破綻が民の生活を圧迫していきますが、一部の農村出身の武士や農民自身は力をつけ始めてきました。
 そして、台頭してきた庶民=武士・農民が、貴族・皇族に代わって新たに政治中枢を打ち立てたのが鎌倉時代でした。しかし、彼らは、社会統治・政治を知らず、無秩序な搾取と略奪を繰り返し、下層農民を圧迫していました。
 こうした中、幕府は、新たな社会秩序の構築に入ります。それは、幕府を超えた武士自身の戒めと弱者保護の政策をもって、公家・皇族の政治と違った政策を採りました。徐々に、下級武士も、民のことを考えないと社会は成り立たないことを理解していき、幕府の政治体制が磐石となっていきます。
 日本の政治体制が、天皇親政、摂関政治、院政、武家政権、執権政治と変わっていく中、現人神信仰・万世一系の天皇制や母系の系譜がほころび始め、力の原理による父系へと転換する中で、その観念に変わる新たな思想が必要になってきた時代でした。
 彼らは、どのような思想で民衆をまとめていったのでしょうか?その武家としての教訓=帝王学とはどんなものだったのでしょうか?
 そのキーワードの一つに、「撫民政策」という政策があります。撫でるように、民衆を大切にするという発想です。さて、この時代の帝王学とは???

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posted by 2310 at : 2014年02月04日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.01.29

女たちの充足力を日本史に探る7~明治以降の一対婚様式が破壊したものとは

当シリーズではこれまで縄文時代、弥生時代、平安時代、武家社会と4つの時代、社会の女たちの置かれた状況、意識を見てきました。今回はこれらの時代を縦断して、あるいはこれらの時代の影響をほとんど受けずに永らえてきた集団を見て行きます。
それは庶民です
庶民の女たちはおそらくは江戸時代、明治の初期までその充足性を維持してきました。
象徴する話をいくつか紹介します。
>白川郷では~
巨大な合掌造りの家に生まれた者は、男であれ女であれ終世その家に住み続け、その構成員に性生活上のパートナー(この地方ではナジミと呼んでいた)ができても、同棲することなく、男が女のもとに通い続けるという「婚姻」生活をしていた。ナジミの間に生まれた子どもは、母の家に属し、したがってそのメンバーたちに育てられた。唯一の例外は家の家長の妻で、彼女だけは他家から迎え入れた。つまり、家長や元家長、将来の家長(家長の長男)たちの妻以外はすべてメンバーは血縁者であった。
青森津軽では~
男女成年に達すれば、自由に相通ず。また配偶(者)を有する男女間といえども、往々驚くべきのことあり。然れども父母ないし他人もあえてこれを怪しまず。』(青森県西津軽郡赤石村地方)
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~津軽の画家 棟方志功より借用

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posted by tano at : 2014年01月29日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2014.01.28

女たちの充足力を日本史に探る6~武士の女たちは集団を守り、集団に守られていた

 第5回は武士を扱います。
 武士集団は平安時代後期から登場しますが、主に鎌倉時代までが初期の武士の時代です。
 その時代の女たちはどうであったのかを見ていくことで、その後の武士社会、弾いてはその武士社会の名残である明治以降についても考えていけるのではと思います。
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画像はこちらからお借りしました。
 さて、武士社会といえば戦乱に継ぐ戦乱、武力で相手を制圧し、女たちは強い男集団の下、虐げられて生きていたという印象がありますが、まずもって、その歴史観から変えていく必要がありそうです。
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posted by hi-ro at : 2014年01月28日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.01.22

自考力の源流を歴史に学ぶ8~京都職人文化に集積した自考力の叡智

シリーズもいよいよ8回目になります。前回は「百姓」という呼称の本質から自考力の原点に課題発があり、なんでもできる万能能力や総合性とは与えられた課題を選ぶことなく真摯にこなしてきたその結果であることを学び取りました。
今回は古来から職人が結集し、長く職人文化を育んできた京都にその源流はないか探ってみたいと思います。現代を生き抜く経営者の生の言葉をできるだけ多く扱い、その言葉の背後にある、職人文化の歴史が育んだ考え方や価値観に学んでみたいと思います。
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いずれも京都の職人さん達の写真から借用させていただきました。
参考にさせていただいた著書は村山祐三様の「京都型ビジネス」です。
キーワードは著書の中から以下の3つを選ばせていただきました。
・切磋琢磨・おもしろおかしく・人に尽きる
それではこれらのキーワードの中身について京都で暮らし、働く人々の言葉から耳を傾けてみたいと思います。

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posted by tano at : 2014年01月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2014.01.22

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 2、平安時代~平安貴族による安定した社会秩序の形成~

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<平等院鳳凰堂 http://www.google.co.jp/imgres?sa=X&hl=ja&rlz=1T4SNJE_jaJP509JP510&biw=1242&bih=579&tbm=isch&tbnid=LEqV1Tll14VWfM%3A&imgrefurl=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fculture%2Fupdate%2F0710%2FOSK201307090205.html&docid=F6MVmOwL7OAD0M&imgurl=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fculture%2Fupdate%2F0710%2Fimages%2FOSK201307090206.jpg&w=500&h=288&ei=dV7eUteMNoG-kAXU5YH4Aw&zoom=1&iact=rc&dur=2066&page=2&start=8&ndsp=12&ved=0CHoQhBwwCwより引用>
みなさん、こんにちは 今回から『日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~』の本編をスタートさせます。
まずは、平安時代の帝王学を見ていきます。
●平安時代とは?
Wikipedia平安時代http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3より引用します。

平安時代(へいあんじだい、794年-1185年/1192年頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府の成立(平氏政権で一時期福原京が造営された)するまで政治上唯一の中心であったことから、平安時代と称する。

一般的に、平安時代は貴族(藤原氏)全盛の時代と言われています。
この時代は、古今和歌集や竹取物語に代表される詩歌、物語文学、日記・随筆が栄え、その他にも建築、絵画、仏教流布など、様々な文化が栄えました
教科書的にも、「貴族文化が華やいだ平安時代」という紹介が多く、この時代の支配者層(貴族)は、権力の上に胡坐をかいていただけで、帝王学なんて崇高なものは持ち合わせていなかったと捉えている方も多いかと思います
しかし、平安時代は社会秩序が安定していたと言われる江戸時代よりも長い期間続いた時代です。江戸時代は約260年続いたのに対して、平安時代は約390年。
これに対して、平安時代は初期、中期、後期と3つの時代に分けることができるので、一概に時代年数だけで江戸時代と比べるのはどうかという方もいます。
確かに、平安時代は貴族同士の小競り合い、蝦夷討伐などの争いもありましたが、社会が壊滅するほどのカオス(混沌)に陥ったことはなく、大局的に、秩序化された社会が実現されていた時代、あるいは「秩序化された社会を実現しようと試みた時代」と捉えることはできるのではないでしょうか?
当然、統合階級である貴族が遊び呆けていては社会の秩序化は実現されません :blush:
それではなぜ、秩序化された社会が実現できていたのでしょう
平安時代を貴族文化が華やいだ時代と見るのは一面的な見方で、むしろ、平安時代は「日本の帝王学の根底に流れるもの」を創出した時代といえます
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posted by marlboro at : 2014年01月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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