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教科書「日本史」への提言2~文明史から学ぶ歴史認識の見直し

今回は、「人類の登場」に続いて、「文明の発生」を学んでみましょう。

教科書には、人類史に文明が登場した状況が、次のように記述されています。

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4大文明 

古代世界各地で生まれる文明

『新石器時代になると、大河の流域では農作物の栽培が発達し、人々は定住生活を行うようになりました。作物の収穫が増え、食料にゆとりができるようになると、食料を管理し、農作業や軍事の指揮をとる、強い権力をもつ王が現れました。王は、城壁に囲まれた都市をつくり、神やその代理人として祭りや政治を行い、広い土地と農民や奴隷を支配しました。祭りや戦いに用いる金属器がつくられ、税を記録し、王の命令を伝えるために文字も生まれました。』

文明と大河

『このような、都市のおこりと金属器や文字の使用を重要なしるしとする古代文明は、保存できる作物の栽培が行われたアフリカやアジアの大河流域に生まれました。

紀元前3500年ごろ、ティグリス・ユーフラテス川流域にメソポタミア文明が生まれました。多くの神々をまつる神殿を中心に都市が誕生し、その後いくつもの王国が争いました。その争いの中で世界で初めて、鉄製の武器が用いられました。

紀元前3000年ごろ、ナイル川流域にエジプト文明が発生しました。王は神の生まれ変わりとしてあがめられ、国家を支配しました。巨大なピラミッドは、強大な権力があったことを示しています。ナイル川の定期的なはんらんによって運ばれた土が、豊かな実りをもたらし、王権を支えました。

紀元前2300年ごろ、インダス川流域にインダス文明が生まれました。モヘンジョ=ダロなどの都市は、計画的に建設され、上下水道や公衆浴場などの公共施設が整っていました。』

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うーん・・

史実とされることが淡々と記されていますが、歴史の出発点でもある「文明の発生」を読み解くには、はなはだものたりない内容です。

なぜ王が誕生したのか?なぜ強い権力が生まれたのか?なぜ奴隷や支配が生まれたのか?なぜ戦争が発生したのか?それらの答えに繋がるヒントや認識が何も語られていません。

 歴史とは先の記事にも書きましたが、外圧とその結果を後の時代の人が読み解き、なるべくしてなった歴史の必然構造を掴む事です。そこで今回は、「外圧適応⇒可能性収束」 (外圧にどう立ち向かい、乗り越えていくか)という生物史を貫く進化の基本構造に着眼して、「文明の発生」を読み解いてみたいと思います。 

 文明とは何かを読み解く為には文明誕生前夜の外圧状況が必要です。

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メソポタミア文明が生まれた紀元前3500年の少し前、今から6300年前、地球は寒冷化に向かいます。その結果、北部の積雪量が増加して、南部の熱帯域が南下、メソポタミアの低地の気候はそれまでの雨季・乾季のある湿潤な気候から乾燥化へと向かいます。

 大河周辺のステップ地帯(草原地帯)で生活していた遊牧民は、乾燥化による草原の縮小で大河流域に移動、大河のほとりで生活していた農耕民との接触頻度は増していきます

 かたや外敵からわが身や羊を守りながら移動する武装集団の遊牧民。かたや土地に根付いて土地や収穫物を集団管理していた農耕民。乾燥化が進み、草原を失い、食うや食わずの危機的状況になったとき、いさかいが激化して遊牧民による農耕民への攻撃、収穫物の略奪となることは必然です。

 この略奪闘争こそが戦争の原点であり、その勝者が王として土地を支配し、農民を奴隷として支配したのが古代国家の始まりです。しかし周辺には他の遊牧部族が虎視眈々と豊かな土地を狙っています。王は城壁を築き、軍事を強化し、彼らの侵略を防ごうとします。こうして他の略奪部族との戦争が常態化していき、支配しては滅ぼされ、新たな支配者が生まれるという、おなじみの文明史が始まったのです。

 また、時の支配者となった遊牧部族は、その移動生産のスタイルから、各地で物品を取引する交易集団の側面も持っていました。略奪によって土地を支配し、交易によって富を集積する国家の原型がここに誕生したのです。文明のキーワードとされる文字も、作物を収奪して管理するため、交易の取引記録のために発明されてきたのです

 こうしてメソポタミアで始まった略奪闘争→国家の成立は、瞬く間に周辺地域に波及していきます。略奪闘争の敗者はほうほうのていで逃げ出し、新たな略奪対象に向かいます。略奪闘争は玉突き的に広がっていき、わずか数百年の間にナイル川流域のエジプト文明、インダス川流域のインダス文明として歴史に登場してくるのです。

 こうしてみると、私たちの文明は“略奪闘争”から始まった事がわかります。

文明史5000年を通じて、略奪集団は国家に代わり、略奪行為は侵略戦争に名を変えて正当化されてきたのです。

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教科書は現代文明を正当化する西洋史観の延長で書かれています。文明化への史実は必然構造であり人類の進化構造であるという歴史観です。

しかし、人類の文明史はわずか5000年で長い人類史の中ではわずか0.1%にすぎません。

略奪で始まった文明は弱肉強食の動物の本能構造に似ていますが、動物には同類を殺しあうという本能は持ち合わせていません。むしろ文明時代とは、人類が極限時代に生き伸びる為に獲得した共に生きる機能(=共認機能)を阻害し、後退させた時代でもあるのです。

現在、この5000年間の文明時代に作られたシステムに綻びが生じ、至る所で辻褄が合わない状況になっているのは、かつての文明社会の構造が永続的なものではなかった事を示しており、これから登場するあたらな外圧に適応できない事をあらわしています。その打開の糸口はどの学者からも提起されていません。もちろんその学者で作られる教科書には絶対に登場しません。

どうすれば新しい時代の可能性を見つけ出す事ができるのでしょうか。

それには私たちの立脚点を改める事が必要です。それは歴史という過去を現在を正当化する為の道具にするのではなく、歴史(生物史から人類史)を俯瞰して見えてくる必然構造を学ぶ事だと思うのです。

 

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