2008.03.11

縄文人が水田稲作を始めなかったのはなんで?

こんばんわ。tanoです。
水田稲作は縄文時代には定着しませんでした。なぜでしょうか?
以前私は佐々木高明氏の著書から抜粋して、るいネットの縄文人と農耕技術で以下のような投稿をしました。
縄文人が稲作を拒否したのかについては・・・下記のくだりで説明できる。
”後期、畑稲作が始まった後も平行して網羅的食料体系は残っており、稲作が始まった後、他文明で見られる、階層社会の成立や戦争の開始といった社会のシステムや枠組みを大幅に変換させるような形跡は見られなかった。
それは、畑稲作は既存の共同体組織で充分に対応できたと思われるし、余剰を生み出さないイデオロギーが残存し、自然を大きく破壊しない、サイクルを変動させないタブーが存在したとさえ想定できる。
後期に登場した呪術の技術はそれ(自然との関係の破壊)を戒めるために使われたとも考えられ、そのことにより、縄文時代の農耕は伝統的な獲得経済の一部を構成したにとどまり、けっして支配的な食料獲得様式にはならなかった。”

稲作を拒否したのではなく、稲作による社会の変質を拒否したのである。
今日は、縄文人が稲作を拒否したのか、稲作ができなかったのか?について考えてみたいと思います。
まずは縄文人が稲作をできなかったという立場です。
仮説)
1.水田稲作は灌漑など高度な技術で渡来人が持ち込まなければ到底できないような技術だった。
2.水田稲作が可能な稲は陸稲とは異なり、多段階の品種改良が行われた上で栽培が可能になる。
つまり種や苗がなければ栽培ができない。

だから渡来人が技術を持ち込んで縄文人の集落に融合する事で水田稲作を伝える事ができた。
::::学説ではそうなっています。
本当にそうなのでしょうか?まずは仮説を疑ってみます。
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posted by tano at : 2008年03月11日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.03.07

新大陸の文明は石器時代?金属の使用から文明を問い直す。

歴史学では、「石器時代」→「青銅器時代」→「鉄器の段階」という順で文明が発展したと捉えられています。
その視点でみるとインカ・マヤ・アステカといった新大陸の文明は(青銅の使用すらない)未発達な「石器時代のままの状態」で高度な文字や天文学、建造物をつくった不思議な文明という見方がされるわけです。
“鉄や銅を使う必要がなかった文明の不思議“ 2008/02/23参照
金属の剛性と靱性、そして加工の難度は、
銅<青銅<鉄
の順で、これは「武器」つまり、「殺傷能力」を向上させる必要性が、よりそれに適した金属の使用を生み出していった過程だといえます。
“旧大陸における鉄器の発達の歴史” 2008/02/25 参照

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新大陸では、金属が、武器や道具に使われなかったのはなんで?を考えてみましょう。

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posted by nandeya at : 2008年03月07日 | コメント (7件) | トラックバック (0) List  

2008.03.06

日本の長寿の源流は、縄文人にある?!

縄文のネタをネットで探していて、とても面白いブログを見つけました 😮
沖縄の歴史・文化とは!
その中でも、このネタはなかなか縄文人ってすごいなと思わせる仮説です。
縄文人の謎・ロマン 日本人長寿の源流は縄文人に遡る!

日本が男女とも“世界一の長寿国”である記録は、今年も継続されている。
先日発表された日本人の平均寿命は、男性が79歳・女性がほぼ86歳と男女とも世界一の長寿王国が続いている。
現代医薬や医療機器の恩恵を欧米諸国ほど受けていない日本、又今日の環境汚染問題は先進国として恥ずべき社会問題化して久しい。社会環境的・物理的・医療的に日本人長寿の原因は見当たらない。
そこで日本人長寿の根源は、縄文人に遡るという仮説を立ててみたい。

根拠もしっかりあり、とても面白い仮説です。縄文人…自然の摂理にに学ぶべきっ!と改めて感じました 😮
byさーね
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posted by sawatan at : 2008年03月06日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2008.03.05

星を見ていたら暦が生まれた。

未分類

こんにちは、カッピカピです。
 今回は、「ナイル川とアスワンハイダム」に引き続き、ナイル川にまつわる、あるお話を紹介したいと思います。
 テーマはずばり『暦』です。
 現在、国際的に使われている暦、いわゆる西暦は、太陽の年周運動を基準にした暦、すなわち「太陽暦」(The solar calender)です。わが国日本も、この太陽暦を1872年(明治5年)から採用しています。
 この世界中で慣れ親しまれている「太陽暦」、元を辿れば、古代エジプト文明まで遡れてしまうことをみなさんはご存知でしょうか。
続きはポチっと押してからどーぞ。
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posted by hi-ro at : 2008年03月05日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.03.04

東アジア文明という見方

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中国の歴史観は、日本から見れば、自国中心の見方に偏っている様に見えるが、お隣韓国から見ても同様に見えているらしい。一方で、韓国の歴史観も、自国中心という観点では似たような限界を抱えているらしいが、最近の古代中国史の研究成果からは、この狭い見方を乗り越えて、新しい東アジアの歴史観が浮かび上がってきた様だ。
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以下、東亜日報から引用。

中国の東北工程は、韓国史への歪曲した見方だけを認識させたのではない。これまで韓国が関心を寄せてこなかった東北アジアの古代史に関する新しい見方をも目覚めさせた。韓半島という狭い空間に縛られ、文献資料だけに依存していた実証史学の限界を飛び越え、歴史研究の地平を満洲、モンゴル、中央アジアに拡張し、考古学と神話研究の領域まで積極的に取り込んだ。
小説家の李炳注(イ・ビョンジュ)氏は、「太陽にさらせば歴史になり、月光に染まれば神話になる」と書いた。東北工程の反作用を通じて、韓国歴史の研究で皓々たる月明かりだけが漂っていた分野に燦爛たる日の光が注ぎ始めた。その具体的な兆しとして、4大歴史認識の転換を紹介する。

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posted by maeyan at : 2008年03月04日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.03.03

中国の母系から父系への転換期はいつか?

古代中国では、生産性の向上をきっかけに、男女の役割分担が変わっていく中で、母系社会から父系社会に転換していくという説や、洪水の治水が父系への転換のきっかけになってきたという説等、いろいろ諸説ある様です。
じゃあ、その転換期はいつなんだろう 🙄 と思っていたところ、こんな記事がありました。
中国における最古の国家 は夏、殷(商)、周に始まるというのが通説ですが、これ以前に中国の北方で栄えていた紅山文化(BC3000~4000)において、最近、気になる研究結果が提示されました。
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写真は、紅山文化を代表する猪竜という玉飾りです。これは、中国で始めて登場した竜の原型とされています。
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posted by maeyan at : 2008年03月03日 | コメント (6件) | トラックバック (0) List  

2008.03.02

中国:巨大国家の成立構造・・・・・戦乱→人々の潜在的な思念が儒教と巨大国家を生み出した・・・・

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紀元前6百年頃から相次いで、世界的な宗教が生まれています。ユダヤ教仏教、そして儒教
この時代に世界的な宗教が相次いで生まれたのは、なんでだろう?この時代は、巨大な国家が成立し徴税や身分制・奴隷制などの支配機構が、完成した時代。
特にユダヤ教、仏教の場合は、巨大帝国が成立していく状況で、異民族による支配と奴隷的な境遇の中で、なんとかしてその苦しみから逃れたいという人々の思いがあり、その思いを対象化した仏陀やモーゼが、なんとか頭の中だけでも救いを求めて、神への信仰や解脱への道を作っていった。
中国の儒教の場合は、状況が少し異なっていたようです。中国では、紀元前770年~紀元前221年の秦の成立まで、実に500年にわたって中国は戦乱が続き、諸国がせめぎあう不安定な状況が続いていた。(春秋戦国時代)
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【戦国時代の中国】戦国の七雄よりお借りしました

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posted by ihiro at : 2008年03月02日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.03.01

中国における龍とは?

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唯一現存しない動物の干支=「龍」と中国について調べてみました。
NHKスペシャル「四大文明」中国のエピローグに以下の記載があります。
以下抜粋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中国で創造された龍という動物は、中国文明の象徴といえる。
中略
水中では魚のように鱗を持って自由に泳ぎ回り、空中では翼を広げて乱舞した。これほど水中から宇宙まで自由に飛びまわる動物はいない。龍の姿にはその時代の人々の思考が凝縮している。自然界の大河の流れ、天にかかる虹、天に広がる星宿、その姿に蛇や鰐に似た巨大な動物を見出した。そしてこの地上を治める人間にも龍の姿が重ね合わされた。
皇帝には自然界と人間社会を統率することが求められ、龍の化身となることによって権威を獲得したのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とあります。ではこの龍はいつ頃から登場したかをみて行きます。
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posted by sakashun at : 2008年03月01日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.02.29

水田稲作は縄文人も求めていたから拡大した

縄文時代から弥生時代への変遷は縄文晩期のBC1000年ごろから北九州を中心に波状的に拡大していき弥生時代前期には近畿まで拡がっていきました。この1200年間が大きくは日本における私権社会への転換期に当たるのですが、この期間に何があったのか?どのようにして縄文社会は渡来人の文化に取り込まれていったのか?しばらく方々のサイトを探索して事実に相当する記事を集めていきたいと思います。
渡来人との融合、水田稲作の伝播により社会構造は大きく変化していきます。
今回はHP「日本人の起源」さんより紹介させていただきます。非常に的確に分析しており弥生前夜の水田稲作の伝播についての状況がよくわかります。リンク
水田稲作は大きくは渡来人の縄文人支配の結果ではありますが、そうではない、”縄文人が大陸に技術を盗みに行った”という歴史事象も残っています。以下、NHKレポートをまとめた記事です。ちょっと、とんでもですが・・・。
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posted by tano at : 2008年02月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.02.28

精霊が見えなくなったのはなんで?

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今回は、祖霊信仰に潜む問題点を考えてみたいと思います。
精霊信仰(=事実観念)による技術の進展→生産性の上昇は、集団規模の拡大を生み出します。
その結果、それまではもっぱら自然外圧を主対象としてきた人々が、同類圧力という新たな外圧にさらされることになります。
同類圧力がもたらす緊張状態は、集団の結束強化を促すこととなります。
具体的には、拡大した集団を分割することによる共認強化と集団の多段階編成による統合強化を図ることとなります。
このとき、すべての人に備わっていた「万物の背後に霊を観る」能力が衰弱化の兆しを見せます。
いったい、何がおこったのでしょうか?
精霊信仰の真髄は、万物との同化にあります。
これを妨げるものは、「自我」しか考えられません。
同類闘争圧力の増加→「自我」に基づく自集団の正当化。
そのための正当化観念が「祖霊信仰」だったのではないでしょうか?
精霊信仰と違い、「祖霊信仰」は「善・悪」や「好き・嫌い」といった感応観念の地平にあります。
「祖霊信仰」を強めれば強めるほど、万物の背後の霊が観えなくなる。
かといって、自然への超越観が完全に失われた訳ではありません。
そこで登場したのがシャーマンという特殊(といっても、従来はみなが持っていた)能力を備えた人だったのでしょう。
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posted by naoto at : 2008年02月28日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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