中国における龍とは? |
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2008年03月02日
中国:巨大国家の成立構造・・・・・戦乱→人々の潜在的な思念が儒教と巨大国家を生み出した・・・・
紀元前6百年頃から相次いで、世界的な宗教が生まれています。ユダヤ教、仏教、そして儒教。
この時代に世界的な宗教が相次いで生まれたのは、なんでだろう?この時代は、巨大な国家が成立し徴税や身分制・奴隷制などの支配機構が、完成した時代。
特にユダヤ教、仏教の場合は、巨大帝国が成立していく状況で、異民族による支配と奴隷的な境遇の中で、なんとかしてその苦しみから逃れたいという人々の思いがあり、その思いを対象化した仏陀やモーゼが、なんとか頭の中だけでも救いを求めて、神への信仰や解脱への道を作っていった。
中国の儒教の場合は、状況が少し異なっていたようです。中国では、紀元前770年~紀元前221年の秦の成立まで、実に500年にわたって中国は戦乱が続き、諸国がせめぎあう不安定な状況が続いていた。(春秋戦国時代)
【戦国時代の中国】戦国の七雄よりお借りしました
中国の場合、異民族支配や奴隷という状況下ではないが、その巨大さ故に諸侯のせめぎあいになかなか決着がつかず、不安定で戦乱が絶えない状況にあったこと。絶え間ない戦乱と略奪の中で、人々は安定や秩序を強く求め続けていたこと。
そんな時代に、人々の潜在的な期待(思念)に応えようと、様々な“答え”を用意した諸子百家が登場したのだ。
儒家、道家、法家などに代表される、いわゆる「諸子百家」は、この春秋戦国の世に現れた。ある者は諸侯たちが戦乱に明け暮れて上下の序列をないがしろにする世情を憂え(儒家=孔子、孟子など)、ある者は戦乱と謀略の憂き世を嫌い、人間の精神に対する洞察を行い(道家=老子、荘子など)、ある者は諸侯の争いに乗じて身の富貴を得ようとして(縦横家=蘇秦、張儀など)、それぞれ自分の思想・学説を世に問うていった。
諸子百家といっても、その思想は大きく分けて10の学派に分かれる。儒家、道家、法家、墨家、名家、縦横家、兵家、農家、陰陽家、雑家、また初期は軽んじられていて学派に入れられていなかったものとして小説家がある。
これらの学派のうちで最も繁栄したのは、漢代から歴代王朝に国教として取り入れられた儒家(儒教)である。他の学派は、儒教が国教として体制に取り入れられてからは、あまり歴史の表舞台には登場しなくなり、ひっそりと存続していた。
道家/儒教/諸子百家 より引用
【諸子百家の系統図】 中国的こころよりお借りしました
この思想闘争を最終的に制していったのは、儒教だった。人間の上下の序列関係を明確に規範化することで、国家秩序に安定をもたらした。
この思想は、人々の安定化、秩序化への希求にも沿っていたため、その後の中国の統合的な観念となり、国家という支配体制を固める側からの必要性とも相まって、国教化していった。
中国が、その後も国家の興亡を繰り返しながらも、巨大国家へと統合されていったのは、この思想の影響は無視できないように思える。
(それは同じユーラシア大陸の逆側にあるヨーロッパと比べると分かりやすいかもしれない。ヨーロッパが古代にはローマ帝国として統一されていたにも関わらず、その後再び統一されることがなかったのは、キリスト教という個人救済の宗教だったこととは無縁でないように思う。近世になってキリスト教の土壌の上に個人主義思想が生まれる。)
このように考えると、巨大な国家を作り出しているのは、国家という暴力的な力のみではなく、安定と秩序を求める人々の統合欲求とでも言うべき思いがベースになっていることが分かる。
(ただ、国家という機構のみでは、真に安定はできず、常に興亡を繰り返してきたのも歴史の事実で、国家に代わる統合機構をどう構築するかは、人類の大きな課題なのだと思う。)
(by Hiroshi)
投稿者 ihiro : 2008年03月02日 TweetList
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