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星を見ていたら暦が生まれた。

こんにちは、カッピカピです。
 今回は、「ナイル川とアスワンハイダム」 [1]に引き続き、ナイル川にまつわる、あるお話を紹介したいと思います。
 テーマはずばり『暦』です。
 現在、国際的に使われている暦、いわゆる西暦は、太陽の年周運動を基準にした暦、すなわち「太陽暦」(The solar calender)です。わが国日本も、この太陽暦を1872年(明治5年)から採用しています。
 この世界中で慣れ親しまれている「太陽暦」、元を辿れば、古代エジプト文明まで遡れてしまうことをみなさんはご存知でしょうか。
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 エジプトはナイルの賜物――
 とは前5世紀のギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉ですが、一体どういうことなのでしょうか。金岡 新さんが書かれた「世界史講義録」 [4]から引用してみます。
————————–引用開始——————————–

 エジプトでは前5000年頃に農耕が始まります。前2700年頃には統一王朝が成立します。エジプトは周囲を砂漠に囲まれているのでメソポタミアのようなめまぐるしい民族の侵入や王朝の興亡はあまりなく、独特の文化を築きます。
 エジプトが文明をもてたのは、なんといってもナイル川のおかげ。ナイル川が毎年もたらす肥沃な土壌と水がエジプトの豊かな農業を可能にしました。毎年ナイル川の洪水で上流から栄養分をたっぷり含んだ土が流れてくる。だから何もしなくても地力が維持できるのです。あとは洪水が引いていく時に水の管理さえしっかりできればよい。

————————–引用終了——————————–
 
 同じ場所で続けて作付けすると、土中の養分が不足し、上手く作物が育たないという、いわゆる連作障害がありますが、エジプトでは、ナイル川の氾濫により、上流から肥沃な土壌が運ばれてくるため、毎年、同じ場所で同じ作物を育てることが出来ることになります。
 そうなると、このナイル川の氾濫がいつ起こるのかが、非常に重要になってきます。当時の人々にとって、1年の決まった季節にあるナイル川の氾濫の時期をあらかじめ予測して、農耕の準備を始めることは生きていく上で必要不可欠なことでした。
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 長い年月のうちに人々は、明け方前に東の空に明るいシリウスが輝き始める日がナイル川の氾濫の時期を知る目安になることに気づくようになりました。やがて明け方前にこの星が輝き始める日を新年として暦が作られるようになり、世界最古の太陽暦が生まれたのです。
 もちろん、現在使われている西暦が、そのままエジプト王朝から踏襲されているなどというわけではありませんが、流れとしては、「エジプト系太陽暦」ということになっています。

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