2008.02.07
失われた2万年のアメリカ史(メソアメリカ)
今、メソアメリカ文明(マヤ・アステカ・インカ文明)がNHKや展示会で紹介され多いに注目されています。メソアメリカ文明は、我々が習った世界史の教科書に全く登場してこなかった地域であった為、未開民族の話程度に思っていましたが、
しかし・・・・
![]()
写真はオルメカの巨石の頭像
posted by hiroshi at : 2008年02月07日
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2008.02.07
縄文時代:アクセサリーの意味~集団統合のために
現在では、アクセサリー
は女性のみならず、男性もシルバーアクセサリー
などを身に付けるようになりましたね。縄文時代も、同じ様に身に付ける装飾というものが出土しています。
現在は、自分をキレイに見せたり…というような意味合いであると思いますが、縄文時代はどんな意味があったのか
追求してみたいと思います


今日参考にさせて頂いた縄文世界さんのサイトより~土製耳飾~土のピアス!
byさーね 
日本のアクセサリーの起源っ 
応援よろしくお願いします

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posted by sawatan at : 2008年02月07日
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2008.02.05
余剰が冨の集中と戦争をもたらすって本当?
こんにちわちわわです。
日本史の教科書では、概略すると、弥生時代に入って水稲栽培が広まると余剰生産物が生じ、すると冨が支配階級に集中し、戦争が発生する。と書いてあるようですが、本当でしょうか?

狩猟採集民から農耕転換した縄文人の集団内では、蔡紀のための統合者的存在はいると思われますが、自我が共認によって封鎖され、私有意識も存在していない集団内では、余剰が生じたからといって、冨の集中、ましてや戦争に直結するとは思えません。
問題は私有意識の有無にあると思います。
稲作を日本にもたらした渡来人は略奪で国を追われた私権闘争の経験者であり、既に私有意識を顕在化させた民族のはずで、彼らが稲作を生業とする生産集団の統合者に座る事によって、冨が私物として認識されるのであり、私権拡大の邪心によって他集団へ収奪に走るようになったのではないでしょうか。
大和朝廷の国家成立も私権拡大の過程であろうし、私婚制度が根付いているのも貴族階級のみであることからも、渡来人による覇権争いが弥生以降の日本の歴史なんだと思います。
渡来人このやろ!と思った方↓↓ぽちっと!
posted by tiwawa at : 2008年02月05日
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2008.02.04
中国の人口が爆発したのはなんで?
十二億に達する中国の人口。そして海外にも5~6千万人といわれる華僑が存在する。急激に人口が増え始めたのは18世紀前後頃かららしい。

画像の拡大
posted by ihiro at : 2008年02月04日
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2008.02.03
中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史③~夏王朝は羌族の手によるものか?
中国西北部の高地にいた古代羌族が、黄河上流に斉家文化、長江上流に三星堆文化を起したであろうことは前稿で書きました。今回はさらにその続きです。
●まずはトルコ石のお話から。
下の左の写真は斉家文化(BC2000)の玉製牌飾?らしく、右の写真は二里頭文化初期(BC1700頃)の青銅製牌飾です。(こちらよりお借りしました。)


いつもありがとう♪ 応援よろしくです。
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posted by nishipa at : 2008年02月03日
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2008.02.02
中国文明:中国考古学の実情
以前、tanoさんが投稿されていました良渚遺跡跡発掘で中国の王朝史は遡るのか? 😉
答えにはならないのですが、まずは、中国の考古学事情についての記事をアップしたいと思います。というのも、いろんな情報を集めてみると、どうもこの現実をおさえておかねばならないと感じました ![]()

道端に放置される土器片(All aboutより)
byさーね 
本当の中国の姿は 
応援よろしくお願い致します。 
posted by sawatan at : 2008年02月02日
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2008.02.01
縄文人の労働とはどうだったんだろう?
こんばんわ。tanoです。
年末に三内丸山の特集記事を書いてから1ヶ月放置していましたが、第2弾を再開したいと思います。
>第2弾で三内丸山の大きな経過、発祥、周辺との関係を見てきました。
次回はさらにその社会構造に迫ってみたいと思います。(三内丸山は語る2)
社会構造をいきなり書くと大変なので以下の3つの記事を紹介したいと思います
1.縄文人の労働とはどんなだった?
2.過剰生産のない縄文社会。
3.相続のない縄文社会。
今日は第1回で縄文人の労働観についてです。
posted by tano at : 2008年02月01日
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2008.01.31
縄文集落の規模と分業
前編に引き続き、今回は「縄文集落の規模と分業」についてレポートします。
早期2万人、前期10万人、中期26万人、後期16万人と推定されている縄文人。
彼らの集落規模と、そこでの分業を追ってみたいと思います。
今回も、参考にさせて頂いたのは縄文文化と現代です。
(一部編集、並びに参照文中の引用元は割愛させていただきました。)
応援よろしくお願いします!
posted by naoto at : 2008年01月31日
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2008.01.30
縄文集団の形成過程
縄文集団がどのように統合されていたのかを追求していく上で、集団のおかれていた状況と形成過程をおさえることは不可欠となります。
そこで今回は、2回にわけ、前編では「縄文集団の形成過程」を、後編では「縄文集落の規模と分業」をレポートしてみたいと思います。
今回、参考にさせて頂いたのは縄文文化と現代です。(一部編集、並びに参照文中の引用元は割愛させていただきました。)
応援よろしくお願いします!
posted by naoto at : 2008年01月30日
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2008.01.29
ストーンサークルは「生きるために死がある」を体現した祭り場
ストーンサークルは、 「縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か?」でも紹介しましたが、約3,500~4,000年前、東北から北海道にかけて急速に広まった巨大な構造物である。

また、この時代は温暖化がピークを過ぎ、急速に寒冷化した時代であり、何故これほど大掛かりな構築物をつくる必要があったのか?
縄文の大集落、三内丸山遺跡は、ちょうどこのストーンサークルが登場する前である。このような大集落は縄文中期に姿を消し、その後は小規模な集落が増えてくる。
その原因は、気候の寒冷化による食糧の減少か?謎はまだまだ多いが、
哲学者である梅原 猛氏は以下のように述べている。
>分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。
これはいったいどういうことか?何故、そういうことが言えるのか?
知りたいっと思った方は、ポチッとお願いします。
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posted by simasan at : 2008年01月29日
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