2008.05.06

中国:祖霊崇拝の起源

※西洋の遊牧父系制が、守護神信仰(後に一神教へ)に収束していったのに対して、東洋の父系制は竜山文化に見られるように、祖霊崇拝によって自部族の結束を強め(後に→儒教へ)に収束していったという違いがあり、その起源に違いがありそうです。中国、母系→父系制への転換期①: BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制へ

先日のこの記事。最近、日本の縄文と中国を調べていて、一つ共通点がある。多くが一神教であるのに対して、祖霊(祖先)崇拝(信仰)強いということだ。(日本の場合は、弥生以降ですが)
今日は、なぜ祖霊崇拝という信仰様式を獲得したか
そこを追求してみたいと思います
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殷王朝でも、祖霊崇拝へと変わっていった…
byさーね

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posted by sawatan at : 2008年05月06日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.05.04

水田・稲作に見る日本人の「勤勉性」

未分類

画像の確認
日本人は勤勉であるとよく言われますが、その一例で面白い記事がありましたので紹介します。

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posted by dai1028 at : 2008年05月04日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.05.03

古代アメリカ文明

いま世界を見渡すと、戦争や紛争だらけです。科学技術も進歩し、豊かさを実現した現代にあっても、戦争=組織化され・正当化された人殺しはなくなる気配はありません。このことから、「戦争は人類の性である」といった諦めの声も聞こえてきます。しかし、人類500万年のうち、本格化した戦争の歴史は、多くの学者の研究や考古学的発見によって、過去5000~6000年程度のことであるということが、ほぼ共通した認識となっているようです。
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posted by hiroshi at : 2008年05月03日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.05.03

アンデスの古代文明に見る闘争とは?

古代アメリカ文明というと、どうしてもインカ・マヤ・アステカになってしまい。旧大陸と比較すると、非常に新しい文明と捉えられてしまいます。
しかし、南アメリカの先端に人類が到達したのが1万1000年前、もちろんもっと古い可能性もありますが。そのころから住み続けて生きた人々の、塗り重ねの結果が、インカ・マヤ・アステカなのです。
先に紹介のあった>モンテ・アルバン<は場所的には、マヤ・アステカの中間に位置しますが、ではインカはいかに?
という事で、古代アンデスを探ります。
さて古代アンデスも私権闘争に明け暮れたのか? それとも違うのか?
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ペルー2006探索の旅カラル(Caral)を訪ねるより http://www.y-asakawa.com/peru%202006/peru%202006.htm
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これも紹介がありましたが>カラル遺跡<まだまだ詳しい事は不明ですが、紀元前2800となると、旧大陸のメソポタミアやエジプトと大差ない時代です。

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posted by dokidoki at : 2008年05月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.05.02

“真似・応用”:現在の日本人から縄文体質を探る

“縄文気質”を考えてみようのmrranさんに続いて現在の日本人から縄文体質を探ってみたいと思います。 今回は「真似、応用」です。
日本人はいつも、自分でものを考えたり造ったりせず、よそで生まれたものの真似、それも「いいとこどり」をして手本より優れたものを作ってきたと言われています。
この「真似て手本より優れたものを作り出す文化」はどこから来ているのだろうか?
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主に「縄文塾」というサイトからお借りして纏めました。
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posted by mukai at : 2008年05月02日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.05.01

古代アメリカ文明は私権闘争の結果築かれたものなのか?

ユーラシア大陸では、5~6000年前にメソポタミヤにおいて掠奪→本源集団が破壊され、私権闘争→(私有と身分をもとにした)私権社会が確立していきますが、これは人類にとって不可避な(必然的な)出来事だったのでしょうか?それとも別の道があったのでしょうか? この疑問は、山奥や海洋の一部の部族を除いて私権社会と化していったユーラシア大陸においては、「もしも」という仮定でしか考える事ができません。 ところがユーラシア大陸とは別に、つい500年前まで一定の進化を遂げた新大陸文明は別の道を辿って文明化した可能性があります。
古代アメリカ文明は(ユーラシア大陸同様に)私権社会だったのか?そうではなかったのか?この疑問こそ古代アメリカ文明を読み解く鍵になりそうです。
メソアメリカの本格的な城塞都市「モンテ・アルバン」から多量に発見されている「征服石板」の史実を見てみます。

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posted by nandeya at : 2008年05月01日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.05.01

“縄文気質”を考えてみよう-2

“縄文気質”を考えてみよう-1に引き続き、今回も外国人から見た日本人像を紹介したいと思います。
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今回も『ぼやきくっくり』さんの『外国人から見た日本と日本人の姿(1)~(5)』からお借りしました。
今回は前回よりもう少し新しい文献(1920年代~2006年)を紹介します。
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posted by mrran at : 2008年05月01日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2008.04.29

中国古代:竜山文化期の遊牧民族動向

中国、母系→父系制への転換期①:BC3000年の竜山文化は既に父系制・身分制への時代は、やはりその後の王朝成立や春秋戦国時代への歴史過程を考えると、中国史上転換点 の時期であると思います
今日は、中国を調べるのではなく、周辺地域からこの時代の遊牧民族の動きを追ってみました 😮
地図でいうとこの辺り
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byさーね
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posted by sawatan at : 2008年04月29日 | コメント (1件) | トラックバック (0) List  

2008.04.27

中国最古の祭祀 ~その意味は?~

前回の記事では、紅山文化のあらましを紹介しましたが、今回は宗教センターについてその意味合いを追求してみたいと思います。
紅山文化(5000~6000年前)は採集、狩猟、漁猟を基盤としており、中国の他地域がすでに農耕、牧畜へと移行していることからすれば、紅山文化が縄文文化に最も近い関係にあるといえます。
紅山文化の社会では宗教が発達し、5000年前には空前の規模の宗教センターが出現します。
その祭祀遺跡は、女神廟、祭壇、積石塚群、金字塔形大型建築から構成されており、女神廟の中には数多くの女神土偶が奉納されていました。
この女神像はなにを意味する 🙄 のでしょうか?
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写真は、東山嘴遺跡の祭壇跡から発掘された土偶です。(写真は考古用語辞書さんから拝借しました)突き出たおなかは、妊婦を表したものとされています。
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posted by maeyan at : 2008年04月27日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.04.22

弥生時代⇒家族の登場

当グループでは現在、縄文末期から弥生にかけての社会構造と縄文人の意識状況について調べています。と言ってもその決定打はなかなか見つかりません。先日naotoさんが末期の縄文時代の状況を諏訪地方の記述からエントリーされましたが、それも一つの事例紹介としては有効だと思います。
つまり人口が1000年間で1/3に減じた縄文社会の食糧事情とは滅亡寸前であったという事です。
縄文から弥生にかけての集団の変化とはそういった外圧状況の中で起こりました。
ただ集団規模や居住形態は縄文末期から弥生前期にかけてほとんど変わりません。集団規模は30人規模で、居住形態は竪穴式住居です。しかしミクロに見ていくと劇的な変化があるのです。
私はそれを大集団の中に登場した家族の存在だと考えています。家族の起源は考古学や人類学でもさまざまでここでは細かく紹介しませんが、人類は家族から始まったとされる極論から大集団と居住単位や婚姻形態を基にする家族とは構造的に異なる存在とする理論と考え方が分かれます。
家族とは一旦、以下の定義をします。
①共同居住 ②血縁がある ③婚姻形態がある ④生産と消費を共同で行う。 ⑤財産の私有権がある
①~⑤までを行う最小単位を家族と仮に呼ぶことにする。
縄文時代も5~6人で共同居住していたが、①~③を満足しても④、⑤は明らかに異なり、生産は集団全体で行い、消費も集団全体で行っていた。当然、財産の私有もなかった。
弥生時代になると子割りした農地を管理する集団が必要になり、5~6人の規模で①~⑤を概ね満たす小集団が登場した。当然経済的な自立は難しく、④、⑤はまだ緩やかなものであった。しかしそれがその後の家族の起源になったのである。
鷲田豊明氏は「環境と社会経済システム」の中でから弥生と縄文の集団に関して以下のように記述しています。は私の意見です。
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posted by tano at : 2008年04月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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