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中国最古の祭祀 ~その意味は?~

前回の記事 [1]では、紅山文化のあらましを紹介しましたが、今回は宗教センターについてその意味合いを追求してみたいと思います。
紅山文化(5000~6000年前)は採集、狩猟、漁猟を基盤としており、中国の他地域がすでに農耕、牧畜へと移行していることからすれば、紅山文化が縄文文化に最も近い関係にあるといえます。
紅山文化の社会では宗教が発達し、5000年前には空前の規模の宗教センターが出現します。
その祭祀遺跡は、女神廟、祭壇、積石塚群、金字塔形大型建築から構成されており、女神廟の中には数多くの女神土偶が奉納されていました。
この女神像はなにを意味する 🙄 のでしょうか?
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写真は、東山嘴遺跡の祭壇跡から発掘された土偶です。(写真は考古用語辞書 [2]さんから拝借しました)突き出たおなかは、妊婦を表したものとされています。
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牛河梁遺跡で発掘された女神廟は、全長22mの多室構造となっており、その中には少女の女神、豊かな乳房の妊娠中の母親神、等身大の女神などさまざまな裸体の女神があり、一番奥の主室にはあぐらをかいた高さ5m の中心的女神が奉納されていた様です。
当時の人々は、女神廟の中にいくつも奉納されている女神像を順番に巡りながら、母なる大地や、祖先に祈りを捧げていたのだと思われます。これは、祖先祭祀の意味合いや、農耕社会の大地を母親とみなす信仰の表れとも言われています。
廟内には、その他にも熊、猪、巨鳥崇拝を表す塑像があり、女神廟が自然崇拝、トーテム崇拝を経て、祖先崇拝に繋がる信仰の聖地としてみられていたとする見方が提示されています。
女神廟前で発見された双輪の轍跡からは、多くの人々が四方八方から祖先祭祀のために聖地にやってきたことが想像され、大勢の男女が集って子授けの女神を祭ったという古代文献に描かれた祭りがあった場所だとも見られています。
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また、金字塔形の強大な石造建築には、天は円、地は方であるとする天円地方、上円下方の思想が表現されており、天地人の合一、陰陽合一といった中国哲学の源流がここに見られます。この配置は、明代の北京の天壇とも共通しているとも言われてます。
どうやら、この中国最古の祭祀センターは、子孫繁栄を祈る人達が集う聖地だった様です。
さらに、ここで生まれた哲学は、現在に至るまで生き続けており、この中国北方の紅山文化発祥の地が中国文明の起源といえるのかもしれません。

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