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水田・稲作に見る日本人の「勤勉性」

画像の確認 [1]
日本人は勤勉であるとよく言われますが、その一例で面白い記事がありましたので紹介します。

 日本の川は流れが速く(幕末に西洋人が拝見したところ「鉄砲水」と言ったそうです)その川から水を流しいれてはためて水田を作り、稲を育ててきたのですよね。川の流れを変えるというより、川の力を借りる形で水田を作り、稲作業を行ってきたそうですね。
 一方、他のアジアの国では米を作るには大河をそのまま利用しているのだそうです。大河は流れが遅く、なかには馬鹿でかい水溜りのようなところもあるので、そこを稲作場として利用するのだそうです。日本と違い、貯水、注水などの工夫をせずに全てそのような場所などに稲を植えつけるなり、種をまくなりしてあとは大河の流れに任せているそうです。よって、米の収穫はすべて大河の流れに任せるという運任せの稲作業を行っているということです。
 これに比べると日本の場合は、川の流れが速い上に川が自然と水田に適した場所を作ってくれないのか直接これを利用せずに、外部から流れる水を取り入れて水量を調節し、人選的に水田を作る形となりました。この結果、水量や面積などは人々が直接調節せねばならず、稲に適した環境を作り上げるために思考誤差を繰り返し、収穫量をあげて米の質を上げていったわけです。
 よって東南アジア稲作が運任せであるのに対し、日本の稲作は努力しだいで良質にもなり、豊作にもなるという違いがあり、このけっか、日本は稲作を基盤として、他の分野に対しても勤勉で努力をする民族として育ったのでしょう。働くことに美徳を感じるようになったのもわかります。 
 

(玄洋日誌より抜粋 [2])
 同じ水田・稲作でも気候・環境によっては全く異なる外圧がかかるんですね ~ 日本人の「勤勉性」が世界中に脚光を浴びたのは1970年代の急激な高度経済成長ですが、脈々と続く民族性がそれを支えていたのだと思います 😀
 日本で本格的に水田・稲作が始まったのは大陸より伝わった弥生以降です(縄文時代も水田・稲作が全く無かったわけではないが、自然に出来た水溜りを利用する程度で、弥生以降のような川から水を引く大規模なものでは無かったようです)。
 では、縄文時代はどうだったのか?次回は日本人の勤勉性と縄文の気質に相関関係があるかを探ってみたいと思います 😀
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