2009年6月21日

2009年06月21日

地方豪族と大和朝廷を繋ぐ「部民制」とは?

屯倉を探る(2)~中央集権化に先駆けた徴税システム~の一文の抜粋です。屯倉にいた大和朝廷の影の存在基盤として以下のように渡来人が記されています。以下抜粋
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◆屯倉の朝鮮系渡来人による活躍
屯倉での流通品=地方から大和朝廷への貢納品としては、
(1)稲、(2)食料品、(3)衣料品(4)鉄、(5)貴重品が上げられています。(るいネット:屯倉を紐解く③~徴税品目編~)これら屯倉における貢納品の管理には、帳簿管理(文字と算術)が必要となり、また屯倉での稲作のための開墾・灌漑工事や製鉄etcには先端の技術が欠かせません。
その先端の技術をもたらしていたのが、朝鮮からの渡来人なのです。
抜粋終わり
渡来人の技術が影の力となってインフラの整備、貢納品の製作、帳簿を管理することで税を朝廷へ納めことを可能としていたようです。が、地方豪族と朝廷の関係をもう少し具体的に知りたかったので調べて見ました。実は、527年磐井の乱以降に多く造られる屯倉の出来る前から渡来人は朝廷と地方豪族との「交換条件」で存在していたようです。 🙄
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投稿者 sakashun : 2009年06月21日  



 
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