2009年6月7日

2009年06月07日

日本民族に流れる「みんな一緒」の縄文気質

日本人の底流に流れる共通の共認内容として、「みんな一緒の安心感覚」という概念が先日のなんでや劇場にて提起されました。(リンク)  
この意味で日本人は単一民族である、と考えるのは至極的を得ていると思います。
出自やDNAの違いなどは関係なく、共認内容が民族性を規定するものだということです。
「みんな一緒の安心感覚」の出処は人類共通のものであり、元々はサル時代に形成された不全から解脱する為に形成された機能で、相手の不全(期待)と自分の不全(期待)を同一視する共感回路を原点としています。つまり、相手と同化することによって充足(安心感等)を得る機能でもあるわけです。(るいネット
“相手と同化し安心充足を得る”
大陸と比べ殆ど戦争の歴史がなく、渡来人も受け入れた、まさに縄文体質なのだろうと思います。
この「みんな一緒」の縄文体質、思い当たるのはいくつもありますが、
その中でも、宗教や規範について少し書いてみます。
●宗教観について
日本には宗教はたくさんありますが、基本的には無宗教だと言われますね。
読売新聞が行なった「宗教」に関する全国世論調査の結果では、
何か宗教を信じているかの問いには、信じていないが75%と、信じている23%を大きく上回った一方、神や仏にすがりたいと思ったことがあるとの問いには54%があると答え、ないと答えた44%を上回っている。宗教を信じていないと答えた人でも、47%があると答えている。
また、75%が宗教を信じないと答えているにもかかわらず、ふだん神社や寺、教会などに行くと答えた人は81%と日本人の宗教観を見ることができる。(リンク)とあります。
掠奪戦争⇒生涯固定の身分序列⇒武力支配国家を築き、「みんな一緒」の本源社会をことごとく解体
した西洋では、失われた本源価値を頭の中で再生するための幻想観念=宗教が不可欠のものでした。
これに対し、「みんな一緒」の安心基盤=共同体社会を長い間維持してきた日本においては、そのような観念は不要だったのです。
●規範観念について
宗教よりも大事なものとして、日本人にピッタリとくる感覚は、「お天道様が見ている」、「世間様に顔向けできない」というような規範ではないでしょうか。(最近はあまり聞かれない??)
語源は知りませんが、「お天道様」や「世間」こそは「みんな」に近いように感じます。
「みんな」を羅針盤として生きてきた共同体社会が残した社会規範であり、このような伝統的な規範に照らして日本人は自らの行動を律してきたのだと思います。
相手と同化し安心充足を得る「みんな一緒の安心感覚」は、このように日本固有の誇るべき共認内容と思いますが、一方では数千年の同類闘争の歴史を持つ大陸民族に対しては大きな弱点構造でもあるわけですね。
どうすればいいのか? 歴史に学びながらみんなで追求していきましょう!
ありがとうございました、応援ヨロシクです!
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投稿者 nishipa : 2009年06月07日  



 
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