2009年6月14日

2009年06月14日

古墳時代の鏡にもある‘みんな一緒’の縄文気質

『縄文と古代文明を探求しよう!』 では、古墳時代のカテゴリーはありませんが、先日の
【日本人:遺伝子的には北東アジア系、でも心は縄文系なのはなんで?】 → http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/06/000834.htmlの記事のコメント欄にも書かせて頂きましたが、古墳時代の遺跡に、縄文人の知恵や気質が存在する と感じていることが、私はあって、今日は、記事としてエントリーしてみようと思います。
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今の私達は、博物館の考古の部屋に入れば、そこに並べて置かれてある 縄文式土器と弥生式土器を殆ど同時、一度に目の当たりにすることが出来ます。
インパクトの強いのは縄文式土器の方で、現代人の実用品としての器にも通じて、珍奇な印象の殆ど無い弥生式土器とを見比べれば、それらは全く 異質、別種、又、計り知れない時の隔たりをも感じて、心が遠くなるような思いさえしてきます。
縄文式土器と弥生式土器の作り手、両者の感性は明らかに違います。
ところが、この日本列島に於いて 過去のある時期に両者は融合を遂げた、そう考えざるを得ないものが、古墳時代の遺跡の中から見出されるのです。
その一つは、古墳の副葬品である 鏡 の文様です。
奈良県北葛城郡広陵町の新山古墳から出土した鏡の中に、直弧文鏡 と名付けられた有名な文様が描かれたものがあります。
直線と弧線がシャープに描くその模様こそは、縄文式土器に描かれている幾何学的な文様 そのもの だと私は確信しています。
縄文の文様を描く線の太さは一定を保っていませんが、土器の周りを実は正確に分割して、同じ模様のモチーフを繰り返して描いています。
直弧文鏡 も、鏡という円を正確に分割して、縄文の文様にあるモチーフを今度は太さも一律でブレの無い線で描ききっているのです。(ー ー その文様の完成度の差は、銅と土という 用いる材料の違いに因るところもあるのかもしれません)。
縄文時代の人々は 鏡 を作っていません。鏡は、大陸からもたらされたものです。
ですから、直弧文鏡 が縄文の文様を描いている、と見た時に、そこに、少なくとも二つの別の文化が交差していることが分かってくるのです。
古墳を築くことも、それは縄文人の習慣にはなかったことですが、円や三角や四角の幾何学模様を組み合わせて前方後円墳の形を創造することが出来たのは、縄文人の形に対するセンスを持ってしてのことだと思われ、
ですから私は、ある時期に この日本列島の広い地域を「前方後円墳」が席捲したのは、縄文人の集団の存在の広さを表わすものだという風に感じてなりません。

投稿者 ruiblog : 2009年06月14日