2011.02.14
日本人の起源 13-2 ~日本人の起源データベース2~
日本人の起源データベース第2段は縄文~弥生~古墳時代について紹介します。
記事にある☆印は、『「日本人の起源」解明 これまでの成果と残課題』からの追加分を示しています。
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posted by dai1028 at : 2011年02月14日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.14
日本人の起源 13-1 ~日本人の起源データベース1~
写真は雀雀録さんのページからお借りしました。
12回に渡り、「日本人の起源」について時代を追いながら追求を重ねてきました。
大きく分けてみると、
1.日本列島にどのように人類が辿り着き、そしてどのように縄文人が形成されていったのか。
2.渡来人はどのように縄文人と融合し、弥生人を形成していったのか。
3.古墳~大和時代を通じ、どこから渡来人は到来し、支配階級を形成していったのか。
4.神話、神社の形成から、支配階級の勢力争いを整理
という流れで追求してきました。
ブログ『知られざる人類婚姻史と共同体社会』の2008年12月の記事、
「日本人の起源」解明 これまでの成果と残課題で、それまでの追求成果を整理した「日本人の起源データベース」がまとめられていましたが、今回、2008年12月以降のるいネットや縄文ブログ等での追及成果、そして今回の12回シリーズを追加して改めて「日本人の起源データベース改訂版」を作成しました。
日本人の起源には、まだまだ分からない点、追及したい点がたくさんありますが、今後更なる追及に向かうデータベースとして活用いただければ幸いです。
今回から4回に渡りデータベースをお送りしたいと思います。
第1回目は、「人類の拡散~アジア人の起源」データベースです。
記事にある☆印は、「日本人の起源」解明 これまでの成果と残課題からの追加分を示しています。
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posted by sinkawa at : 2011年02月14日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.13
縄文探求シリーズ【縄文時代の道具】~縄文土器を総括する(後編)~
こんにちは、sasaです。
縄文時代全般を通じて、文様が最も装飾的となった縄文中期、立体的な隆線が器面を縦横にめぐり、大きな把手や突起が発達しました。
特に、関東・中部の勝坂式土器様式や新潟県地方の火焔土器様式、東北南部の大木様式などはその代表といえます。
これらの各様式では、浅鉢の製作が盛んになり、煮沸用以外の器種が増加しました。
土器シリーズ後編は、その中でも飛びぬけて派手で美しい、火炎土器の謎に迫りたいと思います。
いつも応援ありがとうございます:-)
それでは、続きをどうぞ、
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posted by staff at : 2011年02月13日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.12
戦争の起源~人類史上初の戦争は、5500年前、イラン高原で勃発した!
中央のコーカソイド(白人)がオリジナルの写真。左端はアジア系、右端はアフリカ
写真はこちらからお借りしました。
2月6日のなんでや劇場では、ヤンガードリアス以降のコーカソイド部族の移動が扱われました。
ユーラシア大陸の各地域=タテ割りで通史を押さえ、それをさらに、時代区分で横刺しにして
コーカソイドの部族移動を概観するという試みでした。
今回は、その議論の中で当然にして出てきた
「人類の戦争は、いつ、どこで始まったのか?」
という疑問に対する現時点での答えを記事として取上げます。
話はY染色体の分布にまで及びますが、前半の議論は下記ブログにアップされていますので、
参考にしてください。
2/6なんでや劇場「コーカソイドの移動」(1) 1万年前以前の極寒期には南欧以北の欧州は無人だった
2/6なんでや劇場(2) 原欧州人とシュメール人の出自
では、応援よろしくお願いします。
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posted by urara at : 2011年02月12日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.07
縄文探求シリーズ【縄文時代の人口】~東高西低は本当か?(その1)~
こんばんは、カッピカピです。 😛
これまで、縄文人の『食』と『植生』について記事を書いてきましたが、今回はその集大成として、縄文時代の『人口』について書いてみたいと思います。
人口量や人口密度は、その社会の生業や構造のあり方に深く関わっており、社会や文化を研究する上で欠かすことの出来ない問題と言えます。しかし、先史学の分野での人口に関する研究は一般に不振でした。それは、考古学の取り扱う資料が、偶然に保存された遺跡や遺構、および自然遺物などのモノであり、人口とか社会組織などの現象はすでに消滅してしまっているからです。
このような難問に対して、先人達はどのようにして答えを出していったのでしょうか。まずは、これまで行われてきた先人達の研究成果を紹介していきたいと思います。
続きは、ポチっと押してからどーぞ。
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posted by hi-ro at : 2011年02月07日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.03
【中央アジア】遊牧民の展開
今回は中央アジアの先史時代に遡って当時の様子をみてみたいと思いますが、その前に、中央アジアってそもそもどこなのかご存知でしょうか?
ウィキペディアでは『旧ソ連諸国のうちカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5ヶ国を意味することが多い。』とされていますが、アジアの中央部という言葉が示しているように、国境という概念ではなく地理的範囲での見方が良いように思われます。
そうした場合、中央アジアは、東はゴビ沙漠、西はカスピ海、南はコペト・ダー、ヒンドゥ・クシュ、コンロンの山々、そして北はアルタイ山脈とカザフ高原に囲まれた横長の長方形の地域となります。
[拡大図] |
この地域は、アジアの内陸部に位置し、年間降雨量の極めて少ない、極度の乾燥地帯に属します。そして、そこにはタクラマカン、キジル・クム、カラ・クムといった広大な沙漠が横たわり、この地域で人間が居住できるのは、アルタイ山麓からカスピ海の北岸へと続く広大な草原地帯と、天山、アルタイ、ヒンドゥ・クシュ、コンロンなどの山々の谷間とか中腹にみられる山間牧地、そして高山の雪解け水を集めて流れる河川の流域と、天山その他の山麓につくられたオアシス地に限られています。
この3つの地域に居住する人々は、その生活様式によって2つに区分されることになります。つまり、北部の草原地帯と山間牧地は、夏営地と冬営地の間を季節移動する遊牧民であり、南部のオアシス地は農業を主とする定住民です。
両者の生活様式・文化の違いは相互補完的な共存関係だけでなく、時には支配と被支配という関係をも築くことになります。その為、この両者をみていく必要がありますが、まずは草原の民である遊牧民について見てみたいと思います。
posted by yoriya at : 2011年02月03日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.01
縄文探求シリーズ【縄文時代のまつり】 その充足パワーで超集団=社会を統合
😀 くまなです
大湯環状列石
・「祭り」ということばには、踊ったり騒いだりすることのほかに、神・精霊を祀る、マツリゴトをする、さらには男女が交わるという意味もあります。縄文時代の祭りとは、それらを包摂したまつりの起源ともいうべきものです。縄文人は何のために、どんなまつりをしていたのでしょうか?
・単一集団で暮らしていた当初段階と、人口が増加し集団が拡大・分化していく中期以降では、まつりの意味も様相も大きく変わっていきます。その様子を追っていきます。
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posted by kumana at : 2011年02月01日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2011.01.31
日本人の起源12~出雲から大和への国譲りは何を意味するか
http://kodaishi-21.web.infoseek.co.jp/hm-16.html日本人の起源シリーズ12弾です
前回の「日本人の起源11~日本ではなぜ権力が共存したのか?」http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2011/01/001183.htmlでは、日本古代の体制変化(江南人⇒新羅⇒百済)の仮説や’10年末なんで屋劇場での大陸との関係,Y染色体の認識を中心に、るいネットの追求投稿,他サイトを調べながら日本古代史の図解作成が試みられました。
今回は前回の図解を更に検証し、修正を加えました。
クリック御願いします
古代出雲の神殿復元像
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posted by ryujin at : 2011年01月31日 | コメント (0件) | トラックバック (1) TweetList
2011.01.29
日本語は文法も語彙も南方由来の言語
画像は『知られざる人類婚姻史と共同体社会』よりお借りしました。
当ブログでは「日本語の起源」に関する記事は意外に少なかったんですね。
『日本語はもっとも自然に近い発音を持つ言語』・・・探してみましたが、一つしかありませんでした。
ということで、今回は「日本語の起源」について紹介します!
るいネット: 『日本語の起源をアルタイ語とするのは誤りではないか?』より
金田一京助という著名な言語学の方が日本語の起源について著書で言及している。それをまとめたブログがあったので、そちらを紹介して金田一氏の論点について考察してみたい。
>金田一京助の日本語の起源に対する論拠は明快である。「日本語の起源は、原アルタイ語族ではないか」というものである。その根拠を説明する。
金田一氏の主張は、文法がアルタイ語系でありながら隣接する現在のアルタイ諸語(朝鮮語、モンゴル語等)と異なるのは、日本が原アルタイ語で隣接国がその後変化したからであるとしている。
これは金田一氏が言語は文法が先天的で、語彙は後天的でかつ変化が容易であるという自説を論拠にしている。しかし果たしてそうであろうか?
むしろ、歴史的には支配者ー被支配者の関係の中で文法は変わるが言語は温存されるというのが通説で、そのような言語変化をクレオール語と呼んで一般化されている。語彙(=単語)とは、ある対象物をどのように表現するかという事であり、長い年月を掛けてその地域の人々が培った共認そのものでもある。早くから植民地化されたインドでさえ、英語を話したのは支配されたからではなく、イギリス人と交易や交渉や仕事をする為であったという話を聞いた事もある。それは支配者が文法を変えることは容易だが、単語を全て変えることは不可能に近いからである。
さらに支配の手が及ばなかった北海道のアイヌ語が日本語と語彙は同じで文法が異なるという点からも文法が後天的に日本語に作用している事が伺える。言語学という学問がどちらを基層にしているかまでは調べていないが、私は語彙が基層で文法は塗り重ねだと思う。
さて、どのように考えればよいのでしょうか?
応援ヨロシクです。
posted by nishipa at : 2011年01月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2011.01.29
縄文文明こそ日本文明
(上記写真は縄文式土器で、リンクより引用させていただきました)
縄文時代の文明とは、果たしてどのような文明だったのでしょうか
縄文人の生活や風習、文明は、当ブログでもたくさん追求されておりますが、改めて、るいネットの秀作投稿に縄文時代の文明をまとめてある投稿がありましたので、みなさんにも紹介させていただきます 😉
紹介の前にいつものヤツをお願いします
posted by marlboro at : 2011年01月29日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList