2011.03.04
プロローグ「南から見た縄文」
こんばんわ。tanoです、久しぶりの登場です。
2ヶ月前に予告していました「南から見た縄文」~予告編シリーズがいよいよ始まります。
これまでこのブログでは縄文時代を探求しながら日本人の起源をあらゆる角度で追求してきました。先日終了したシリーズ「日本人の起源」ではこの間ストックしてきた関連記事を列挙して、使いやすい情報としてまとめていただきました。
追求には終わりはないですが、かなり出尽くした感も出ています。しかし、この間の探求で大きな宿題が残っている事に最近気が付きました。それがこのタイトルであり視点です。
これまで日本人の起源というとどうしても日本の歴史、縄文時代の歴史を調べていく事に焦点が当たっていました。周辺地域からの影響を受けて結果的にどのように日本で開花したか、変化したかがその検証ポイントでもありました。つまり日本という視点に立って周囲を見るという見方です。今回挑戦しようと思うのは外から日本を見るという視点です。それで南から見た縄文となったわけです。
応援いただける方はクリックをお願いします。
posted by tano at : 2011年03月04日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2011.03.03
ゲルマン民族とヨーロッパ文化の基層
現在でも、米英人を指すときに、(慣例的に)アングロ=サクソン人という用語を使うことが多い。現在世界を席巻している西欧型資本主義も、このアングロ=サクソンが築き、広げていったと言われるくらいだ。
そして、このアングロ=サクソン人は、ローマ帝国末期の紀元400年前後にローマ帝国に進出し、ヨーロッパ全土を支配した『ゲルマン人』の一派(部族)だとされる。
欧米文化の基層がどこで成立したとするのか、という問題を考える上で、アングロ=サクソンの民族性、つまりはゲルマン人の民族性は、大きな課題となってくる。
posted by staff at : 2011年03月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2011.03.02
日本人の起源 14 ~日本人=多様な人種の融合
(グラフは、日本人の源流を探して 様より引用しています)
昨年9月にスタートした、シリーズ「日本人の起源」も今回が第14回目。
今回の記事は、全14回にわたる追求をひとつの図解としてまとめるという課題にチャレンジしました。
この図解化の作業はほんとうに気付き 😮 と驚き の連続でした。
学校で教えられた縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良という時代変遷の背後には、大陸からの渡来人との攻防、共生など様々な闘争の歴史があったのです。
そして今回の図解化にあたってひとつの導きになった研究成果が、「DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか? 」(崎谷満著)で発表されている、
日本では少数になっているが、今でもc3系統、Q系統、N系統、C1系統が存続しており、こうしてみると、日本列島には東アジアの古い歴史に関わる貴重な人々が今でもそのDNAを保存することができたこと、時代ごとに東アジアの変動を表すヒトの避難場所として古いものから新しいものまで重層したヒト集団の複雑な構造を示している事などの点で、貴重な地域であると考える事ができる。
という認識です。
欧米などに比べ日本は単一民族(=閉鎖的社会?)という先入観を大きく転換させました。
「日本人=多様な人種の融合」という認識は、縄文以降続く長い歴史の中で、普遍的な部分と可変した部分がともに残り現在まで続いている日本の「今」をあらわしているとおもいます。
外圧から隔離された孤島の島国でもなく、常に最新・先端の世界的外圧状況にさらされながら集団として適応し、かつ、古来より続く縄文体質(共同体気質)を残している今の日本の姿 です。
共同体気質が現代まで残っている 😀
(期待・応合=共認充足がすべての活力源)
警戒心が低く、応合性が高い
(現実を否定せず受け入れる思考)
モノを考えることが苦手
(架空観念や固定観念を必要としない実現思考の持ち主でもある)
天皇制が現在も続いている
(支配階級と庶民の思考ははじめから分断しているが、それぞれで共生している)
などなど、わたしたち日本人が無意識のうちに行う行為や思考が、どのような歴史の塗り重ねで形成されたのかが、今回の図解化をつうじて見えてきたような気がします。
いま日本や日本人の可能性を追求する書籍やテレビ番組は人気があります。
安易な日本人賛美は歪んだナショナリズムを生み出しますが、事実に則して日本人の可能性とこれからの課題を見極めることは、非常に有意義な課題でした。
長い前置きになりましたが、図解と本文を合わせてじっくりと読んでみてください。
続きを読む "日本人の起源 14 ~日本人=多様な人種の融合"
posted by chai-nom at : 2011年03月02日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.28
縄文探求シリーズ【縄文時代の人口】~東高西低は本当か?(その2)
こんばんは、カッピカピです。:D
前回の『東高西低は本当か?(その1)』にたくさんのコメントを頂き、ありがとうございました。今日は、【縄文時代の人口】パート2として、コメントに入れて頂いた疑問を交えながら、前回ご紹介した小山氏の人口論を検証していこうと思います。
まずは、前回の記事の論点を整理します。
これまでの人口説は、研究者の経験と直感によるものだったり、日本列島の人口密度を均一と仮定したものだった。
遺跡数を根拠に縄文時代の人口をはじめて推計したのが小山修三氏であった。
その小山氏の説によれば、縄文時代の人口は東高西低で、地域差が非常に大きく、下記の3つの異なったパターンを示していることが分かった。
パターン1 関東・中部
・縄文中期に高い人口密度をもつ。
・後期の人口減が最も大きい。
パターン2 近畿・中国・四国・九州
・西日本の人口密度は一貫して低い。
・中期から後期にかけて減少した地域はなく、晩期に入ってからも安定的。
・弥生時代に入って急激に人口が増加
パターン3 東北
・中期にかけて人口が増加
・晩期にわずかな減少
・縄文後期から弥生時代への変化は穏やか
ここで注目したいのが、東日本の人口密度の高さです。縄文中期をとってみると、東日本7地域の人口は25.2万人と総人口のなんと96%も占めています。これに対して、西日本7地域ではわずかに9500人でしかなく、東日本の人口は激減した晩期でさえも86%を占めています。これが縄文時代の人口が東高西低と言われる所以です。
本編では、この東高西低論に対する反証を交えながら、この人口分布が形成された理由を探っていきたいと思います。
つづきに行く前に応援クリックをぜひお願いします
続きを読む "縄文探求シリーズ【縄文時代の人口】~東高西低は本当か?(その2)"
posted by hi-ro at : 2011年02月28日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.27
人類の起源に迫るDNA解析ってどの程度あてになるの?
九州大学総合研究博物館より(画像クリックで拡大します)
人類の起源や民族系統分析、進化系統を把握し史実を明らかにすることは、私たちの社会構造や意識構造を理解する上では重要な研究対象であると思っています。学者達は、かつては、考古学や形質人類学などに見られる物証を主に対象とし、年代測定法よりその史実を解析して来ましたが、現在は、DNA解析や血液型解析、HLA解析やタンパク質の分析などから、人類の起源を解析することが可能となり、物証とともに、その史実に迫る研究がなされています。その最先端のDNA解析(mt-DNA(ミトコンドリアDNA)やY染色体亜型分析)が、複雑に連携しあった人類の進化塗り重ね構造をどこまで分析できているのか?=どこまであてになるのか?という疑問が沸いてきます。
【生物史から、自然の摂理を読み解く】というサイトに「進化系統樹作成の根拠となっているDNA解析ってどの程度あてになるの?」という言う記事があり、現在、人類の起源を解明しようとしているDNA解析の課題と問題点が記載されているので、ご紹介したいと思います。
続きを読む "人類の起源に迫るDNA解析ってどの程度あてになるの?"
posted by 2310 at : 2011年02月27日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.21
日本人の起源 13-4 ~日本人の起源データベースⅣ~
日本人の起源データベースの最終版第4弾「Ⅳ古事記・日本書紀の研究」です 事実?目的?何が書かれているか?等々、歴史を紐解く上で重要な視点がたくさんあります。
画像はココからお借りしました
画像はココからお借りしました
記事にある☆印は、「日本人の起源」解明 これまでの成果と残課題からの追加分を示しています。
これで終わりではなく、さらに積み重ねていければと思います 😮
byさーね
応援よろしくです
続きを読む "日本人の起源 13-4 ~日本人の起源データベースⅣ~"
posted by sawatan at : 2011年02月21日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.21
日本人の起源 13-3 ~日本人の起源データベースⅢ~
データベース第3段は、弥生後期から古墳時代末期、7世紀までの歴史です。
日本の場合7世紀末に大宝律令が制定され、以降奈良・平安時代に移行。
王土王民思想に基づく国家づくりを進めていったその集大成が大宝律令といわれ、これにより当時の政権が支配していた領域が大きく拡大され、国家としての統合・独立が進められていく。
そこに至るまでの時代には様々な渡来人が日本において勢力争いを繰り返した。
こういった闘争はありながら、皆殺しの全面戦争には発達せず、共同体気質は引き継がれていく。
記事にある☆印は、『「日本人の起源」解明 これまでの成果と残課題』からの追加分を示しています。
続きを読む "日本人の起源 13-3 ~日本人の起源データベースⅢ~"
posted by chai-nom at : 2011年02月21日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.20
縄文探求シリーズ【縄文犬】~縄文時代、犬は家族の一員だった
こんにちわちわわです。
縄文探求シリーズも今回が最終回です。
これまで縄文人の生活や技術や精神世界に迫る追求を行ってきましたが、締めくくりは「犬」です。
犬は人間によってつくられた最も古い家畜であり、犬の家畜化は後期旧石器時代までさかのぼり、最も古い犬の骨は約1万5000年前のドイツやロシアから、また、最も古い犬の埋葬例は約1万2000年前にイスラエルから出土した事が確認されています。
最初の犬は狩猟採集民によってオオカミを馴化することから始まったといわれています。
その後新石器時代に入り、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタなどの食用家畜動物を作り出すことになりますが、「犬」は狩りのパートナーとして、かつ、人間の伴侶として他の家畜には無い人に愛育された特異な地位を有する動物でした。
それは、人とオオカミとの間に酷似する集団社会の構造と、狩りをする行動様式を背景に築かれたと考えられています。
では、縄文人と「犬」の関わりはどのようなものであったのでしょうか?
その前に、犬かわいいと思った方↓↓ぽちっと!!
続きを読む "縄文探求シリーズ【縄文犬】~縄文時代、犬は家族の一員だった"
posted by tiwawa at : 2011年02月20日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.19
遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より
るいネットからの秀作投稿を紹介します。
今回は、「遺伝子学から見た人類拡散の多様性」についてです。DNA分析には、ミトコンドリアDNA(以下mtDNA)とY染色体から分析する2つがあるようです。
科学の力で分析にするにも、その中身(事実の高さ)が問われます。この2つの考え方を以下のるいネットの彗星さんの投稿「なぜ、Y-DNAでないと民族系統分析ができないのか?」をお借りしてまとめます。一読して下さい。現在はY染色体分析が主流になります。 🙄
その後に、その分析から分かった内容を「遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より」をお借りしてお話したいと思います。
日本は世界でも珍しいY染色体亜型分布を持っているようですよ!?
●Y染色体の世界分布 からお借りしました
では、「遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より」より引用します。
近年、人類史の拡散経路を明らかにする上で崎谷氏のY染色体による分類が注目を浴びている。また、崎谷氏の論説によると日本は世界的にも極めて珍しい多様な人種が集まっており、日本人を見ることでアフリカから出て今日まで至る人類の分化の経路が見えてくる言及している。以下、崎谷氏の著書「DNAでたどる日本人10万年の旅」の中から、いくつかの投稿に分けて紹介していきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■出アフリカ三大グループが共存する日本列島の多様性の高さ
DNA多型分析を人類学に応用する事は、まずミトコンドリアDNA研究者の手で始められた。しかし、その後、長期にわかるタイムスパンの追跡にはY染色体分析が適している事がわかり、10年ほど前から多くの研究者が急速な進歩を示して、今では世界的な人類の移動の歴史がほぼ再現できるところにまでなった。
なお、ミトコンドリアDNAは母方だけの遺伝様式を、またY染色体は父方からの遺伝様式を追跡する事になるので、これらはちょうど補い合う事になる。しかし、ここでは詳細なことには立ち入る事ができないので、Y染色体によるDNA多型分析を中心に話を進める事にする。
Y染色体は大きく分けてAからRまでの18の系統に分けられる。
大別すると
・A系統(アフリカに固有)
・B系統(アフリカに固有)
・C系統(出アフリカの第一グループ)
・D,E系統(出アフリカの第二グループ)
・F~Rまでの系統(出アフリカの第三グループ)
の5つのグループに分かれる。
現生人類の発祥の地アフリカに留まったA,B系統を除くと、アフリカから出ていったグループは3つの系統、つまりC系統、D系統、E~R系統に分かれる。この出アフリカ三大グループの末裔が全世界に広がっていった結果、現在の全世界的なヒト集団の分布に繋がっている。
Y染色体亜型の分布は世界各地で大きな地域的差異を生んでいる。たとえばパプアニューギニアには地域特性としてM系統やC系統が見られる。またアメリカ大陸の先住民にはQ系統が広く分布し、C系統と合わて地域特異的な亜型分布を示している。アメリカ大陸へ移住したQ系統とC系統はシベリアを経て移動したことが推定されており、シベリアには特にC系統(いわゆるアルタイ系言語集団)の高い集積がみられる。なお、シベリア北部から北ヨーロッパにかけてN系統(ウラル系言語集団)の特異的分布が見られる。ヨーロッパではR系統が高い頻度で見られ、ヨーロッパ系言語が流入する以前の先住系ヒト集団を示すようである。なお、地中海世界の南ヨーロッパ、北アフリカ、中東にはE系統の集積が見られる。
このE系統と近縁のD系統が世界的にも稀な例として日本列島とチベットに今でも高い率でみられる。
日本列島におけるY染色体亜型分布の特徴は高いD系統の分布だけに限らず、この出アフリカの3系統のいずれにも由来するグループ、つまりC系統、D系統、およびN系統、O系統が今でも共存していることが全世界的に見て非常に珍しい状況を生んでいる。ヨーロッパは非常にDNA多様性が高い地域ではあるが、出アフリカの二系統しかみられない。パプアニューギニア、アメリカ先住民、シベリア、インド、中国その他ほとんどの地域が出アフリカの二系統までしか見出せないのに対して、ここ日本列島では出アフリカの三系統の末裔が今でも認められる。これは歴史上の不思議である。
なぜ、日本列島には遠く隔たったヒト集団が歴史的に消滅せずに今でも存続してきたのか、あるいは存続することができたのかは、非常に興味をひく現象である。それがどのような意味をもつのか、それを考えるのが本書の課題である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
著者が指摘しているD系統は世界的には極めて少数の頻度でしか出現せず、チベット、日本にしか見られないという特徴を示しており、このD系統が縄文時代に日本に渡来している。D系統の経路は出アフリカをした後、13000年前(新石器時代への移行期)にE系統から分岐しユーラシア大陸南方を東に移動してインドー東南アジアー中国南部を経由してモンゴル高原で西と東に分かれる。モンゴルにもD系統が発見されているが、多くはD1,D3がチベットに、D2が日本列島に見られる。大陸から日本への渡来経路は中国華北から朝鮮半島を経由して北九州に入ったと推定されている。
この続きは、「日本列島ではなぜ多様な人種が存続したのか」になります。
続きを読みたい方は応援お願いします。↓↓ 😀
続きを読む "遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より"
posted by sakashun at : 2011年02月19日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2011.02.18
「コーカソイドの歴史」から何を学ぶか?
今回も2月6日のなんで屋劇場「コーカソイドの歴史」での議論をベースにした投稿です。
劇場後のサロンの皆さんの感想を聞いたところ「モンゴロイドの歴史に比べて、難しかったー」という意見が多かったので、サロンでは改めて、コーカソイドの歴史を追求する今日的意味から再整理しました。
まず、皆さんのコーカソイドもしくは、今回議論された、中東からヨーロッパにかけての地域(西ユーラシア)についての印象から扱ってみました。
そこで出されたヨーロッパに関するイメージは・・・・
どちらかというとプラスイメージ:先進的、歴史と伝統、戦略的、自己主張が強い、思弁的どちらかというとマイナスイメージ:排他的、好戦的、選民意識が強い
といったものでした。
しかし、先進的あるいは歴史と伝統といったイメージは本当に正しいのでしょうか?
写真は目下進行中のエジプト革命:ヨーロッパはエジプト(中東)コンプレックスでできているとする説もあるが、実は、私たち東洋人は、ヨーロッパVS中東という歴史の根深さをあまりにもしらなすぎる。
posted by staff at : 2011年02月18日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList