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縄文探求シリーズ【縄文時代の人口】~東高西低は本当か?(その2)

Posted By hi-ro On 2011年2月28日 @ 8:26 PM In Ⅱ縄文時代 | 1 Comment

 こんばんは、カッピカピです。:D
 前回の『東高西低は本当か?(その1)』にたくさんのコメントを頂き、ありがとうございました。今日は、【縄文時代の人口】パート2として、コメントに入れて頂いた疑問を交えながら、前回ご紹介した小山氏の人口論を検証していこうと思います。
 まずは、前回の記事の論点を整理します。
これまでの人口説は、研究者の経験と直感によるものだったり、日本列島の人口密度を均一と仮定したものだった。
遺跡数を根拠に縄文時代の人口をはじめて推計したのが小山修三氏であった。
その小山氏の説によれば、縄文時代の人口は東高西低で、地域差が非常に大きく、下記の3つの異なったパターンを示していることが分かった。
 パターン1 関東・中部
   ・縄文中期に高い人口密度をもつ。
   ・後期の人口減が最も大きい。
 
 パターン2 近畿・中国・四国・九州
   ・西日本の人口密度は一貫して低い。
   ・中期から後期にかけて減少した地域はなく、晩期に入ってからも安定的。
   ・弥生時代に入って急激に人口が増加
 パターン3 東北
   ・中期にかけて人口が増加
   ・晩期にわずかな減少
   ・縄文後期から弥生時代への変化は穏やか
 ここで注目したいのが、東日本の人口密度の高さです。縄文中期をとってみると、東日本7地域の人口は25.2万人と総人口のなんと96%も占めています。これに対して、西日本7地域ではわずかに9500人でしかなく、東日本の人口は激減した晩期でさえも86%を占めています。これが縄文時代の人口が東高西低と言われる所以です。
 本編では、この東高西低論に対する反証を交えながら、この人口分布が形成された理由を探っていきたいと思います。
 
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 縄文時代の人口変動を分析する上で、もっとも重要かつ影響が大きいと思われるのが
①食料資源
②気候と植生
の2つの項目です。なぜなら、①は縄文人の生活基盤であり、それは②の自然環境によって大きく左右されるからです。よってまずは、これら2つの変動因子について押さえていきたいと思います。
①縄文人の主食は堅果類
 縄文時代の食料構成を研究した一例として、西田正規氏の鳥浜貝塚(福井県)の分析結果があります。西田氏は鳥浜貝塚の土壌を篩分けして、計75種類以上の動植物遺体を検出することに成功しました。残渣量で比較すると、貝塚という呼称が示す通り、貝類が全重量の70~80%以上を占めていますが、エネルギー量で比較すると堅果類が40%以上も占めており、それに次いで多かったのが魚類であることが分かっています。栄養価の側面から見ても、堅果類と魚介類がとくに重要であったことが分かっており、野生食による食事は、堅果類-魚介類-野草類の3つが基本セットとなり、それに獣類、でんぷん類などが味覚を増したり、季節的な食糧欠乏を補っていたと考えられています。
②気候と植生
 日本の気候は、氷河時代の終わる一万年ほど前から温暖化がはじまり、6000年前にピークに達します。その時の平均気温は現在よりも1~2℃高かったとされています。しかし、気候はその後寒冷化にむかい、約2000年前には現在と同じ、あるいはそれよりもやや寒い状態であったと考えられています。この気候変動によって、縄文時代早期前半まで本州の大部分を覆っていた冷温帯落葉樹林は後退し、変わって東日本では温暖帯落葉樹林が、西日本ではカシ、シイの生い茂る常緑の照葉樹林が勢力を伸ばし、現在の植生分布になったと考えられています。
 
 これらの状況を押さえた上で、小山氏の人口論を反証事例を元に検証してみたいと思います。
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上図は、「縄文時代 コンピュータ考古学による復元」(小山修三著)からの抜粋です。
小山氏の人口論検証その1
反証:
奈良文化財研究所遺跡データベースにる分析によれば、小山氏の推計に見られる極端な傾向は減少する傾向にある
 前回のコメント欄でtanoさんが紹介してくれた論文「縄文文化=ナラ林圏説の検証」(藤枝俊郎氏、熊谷樹一郎氏)の中に、「小山氏人口密度対関東比/奈文研遺跡密度対関東比」というものがあり、そこでは遺跡数に関して下記のような分析が書かれています。
東北地方は,ほぼ横ばい,中部山国(山梨,長野,岐阜)および北陸は下降傾向にある.一方,東海,近畿,中国,四国,九州はすべて増加している.九州の遺跡密度は,東北のそれに接近しており,近畿の遺跡密度は中部山国のそれと等しい.数値的に見れば,近畿5 倍,四国10 倍,中国は7 倍となっている.一方山国は1/7,北陸は1/3となり,東北は横ばいである.総じて遺跡密度について小山の推計に見られる極端な傾向は減少する傾向にあるといえよう.
 しかし、これでもって小山氏の人口論を否定する材料にはならないと思います。確かに、西日本ではその後、登録遺跡数が増えているという事実はありますが、それでも、東西の地域差を埋めるほどの数にはいたっていません。
 小山氏が示した数字は、実数ではなく、縄文時代の各時代のおおまかな傾向として捉えておくべきであることは、小山氏自身も提唱しているし、我々も忘れてはならないことだと思います。
小山氏の人口論検証 その2 
反証:
西日本の遺跡が少ないのは、遺跡が主に低地に位置していることが多く、その後の浸食や埋没によって発見されにくくなっているだけである
 これは、東日本の遺跡の多くが台地上に立地して発見されやすかったのに対し、西日本では台地が発達せず、山地・丘陵と低地が接するような地形が多いため、遺跡が低地に位置することになり、遺跡が発見されにくくなっているという説です。つまり、あったけれでも見つからないだけだ、という説です。これに対し、まず指摘できるのが、西日本の遺跡が低地に多いといっても、縄文人がことさら低いところを好んだわけではなく、低地の中でも小高い場所を居住地に選んでいることです。また、このような傾向は弥生時代でも同じであり、実際西日本では弥生時代の遺跡は東日本よりはるかに多く発見されています。西日本において、縄文と弥生の間で遺跡の発見されやすさに違いがあるとは到底思えません。むしろ大事なことは、平坦な台地面が植物質食糧の採集や狩猟など、縄文人の主要な生業活動の場であったということです。つまり、台地面の広がりの程度が、食糧の獲得と人口に大きく影響していたと考えられます。
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 上記の表は2001年10月1日時点の各都道府県の可住地面積を示したものです。(Wikipedia-都道府県の面積一覧より [3])現在の地形と縄文時代の地形の違いを差し引いたとしても、西日本より東日本の方が圧倒的に台地の面積が広いことを示しており、それは現在の地形でもはっきりと認識することが出来ます。
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関東地方の地形
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近畿地方の地形
小山氏の人口論検証 その3
反証:
縄文遺跡は黒ボク土壌地帯、台地地形分布に一致し、樹林圏との関わりはない
 これについては、小山氏が植生分布を元に人口を推計したわけではないため、小山説の反証にはなりません。むしろ縄文文化=ナラ林圏とする説は、小山氏の人口論に端を発している可能性もあります。
 文献やネットの記事では、「照葉樹林帯よりも落葉樹林帯の方が堅果類の生産性が圧倒的に高い」といったようなことが書かれていますが、意外にもその根拠は書かれていません。小山氏が行った万博記念公園の日本庭園での調査によれば、照葉樹林の方が生産性が高かったことが分かっており、「照葉樹林が落葉樹林に比べて格段に生産性が低い」とは必ずしも言えません。それよりも、遺跡分布と台地地形分布が一致したことは、検証その2で書いたように、縄文人の主要な生業の場が平地であったことを物語っていると思います。
 なお、黒ボク土は有機物の含有量は非常に多いが、リン酸と強く結合するため、リン酸分が不足しやすく、施肥を行わない限り、やせた土壌となってしまいます。したがって、農業には不向きで、稲作伝播についても黒ボク土地帯を避けて移動したことが知られています。
(黒ボク土には、姉妹ブログである『新しい「農」のかたち』 [4]詳しく紹介されているので興味のある方はそちらに飛んでみて下さい。)
小山氏の人口論検証 その4
反証:
人口密度の最も高い関東地方は照葉樹林帯である
 これも、小山氏の人口論の反証ではなく、縄文文化=ナラ林圏とする説に対する反証となります。関東地方の遺跡分布を見ると、確かに他の地域に比べて高密度に遺跡が分布しています。これは、縄文前期までは海水面が現在よりも3m程度高く、内陸深くまで海水が浸入しており、且内湾型の地形となっていることから、魚介類が豊富に利用できたことが要因であったと考えられます。縄文人の主な食糧資源が堅果類と魚介類であったことを考慮すると、この地域に人が集まるのは当然の結果であり、魚介類が豊富に利用できたからこそ、これだけの人口密度を保つことが出来たと言えます。堅果類に頼った生活では、どうしてもある程度の採取エリア(=集団ごとの縄張り)が必要であり、密集しての生活は不可能です。このことから、西日本の人口密度が低いのは、魚介類に恵まれず、且つ平地面積の少なかったからと言えそうです。
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『新編日本史図表 第一学習者』より抜粋


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[3] Wikipedia-都道府県の面積一覧より: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E9%81%93%E5%BA%9C%E7%9C%8C%E3%81%AE%E9%9D%A2%E7%A9%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7

[4] 『新しい「農」のかたち』: http://blog.new-agriculture.net/blog/2007/12/000449.html

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