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ゲルマン民族とヨーロッパ文化の基層

現在でも、米英人を指すときに、(慣例的に)アングロ=サクソン人という用語を使うことが多い。現在世界を席巻している西欧型資本主義も、このアングロ=サクソンが築き、広げていったと言われるくらいだ。
そして、このアングロ=サクソン人は、ローマ帝国末期の紀元400年前後にローマ帝国に進出し、ヨーロッパ全土を支配した『ゲルマン人』の一派(部族)だとされる。
欧米文化の基層がどこで成立したとするのか、という問題を考える上で、アングロ=サクソンの民族性、つまりはゲルマン人の民族性は、大きな課題となってくる。


■ローマ帝国による地中海世界の統一
海の民が地中海沿岸部への定住し始めた頃、ギリシアにもアテネやスパルタなどのポリス都市が続々と誕生していく。今から約2800年前のことだ。ちょうど同じ時期に、ローマが建国されたと伝えられている。
2500年前ごろになると、当時地中海東部沿岸からイラン高原を統一した初の帝国=ペルシア帝国が誕生する。ペルシア帝国とギリシアは植民地を巡って戦争を繰り返した(ペルシア戦争)。
2300年前ごろには、マケドニア発のアレクサンドロス帝国が、西アジアから中央アジアまでを支配するが、一方でヨーロッパの辺境であった共和政ローマがイタリア半島を統一する。その後も力を付けていったローマは2000年前ごろに、地中海世界を統一した。
ro-mahanto.gif [1]
画像はコチラ [2]より
■辺境に追いやれていたゲルマン諸民族
ローマ帝国が繁栄を享受する一方で、ドイツ北部~スカンジナビア半島南部という厳寒の北方に追いやられていたゲルマン人は、自然の恐怖に恐れおののきながらかろうじて原始的共同体を維持していた。 『略奪を生業とする共同体』であったと考えられる。

北方の厳寒の地で暮らすゲルマン人が生き残るためには、他部族との戦いに勝って食料と女と財産を奪う卓越した〈戦闘性〉と、それをつねに維持するための〈快楽の断念〉が絶対的に欠かせない要素であった。
ゲルマン信仰においては、ゲルマン人は戦いで勇敢に死ぬことこそが天国ヴァルハラーに召し上げられる唯一道だとされ、床で平穏な死を迎えることほど屈辱的な死に方はないと考えられてきた。この激しいまでの死への崇拝Totenkultこそが、ローマ軍を戦慄させた真の原因であった。
「女性恐怖のドイツ的起源」 [3]

紀元前後(2000年前)には、ライン川、ドナウ川の北方にまで居住地を拡大していたとされる。その一部は、3世紀ごろになると、傭兵や小作人としてローマ帝国内に移住し始めていた。
■ゲルマン民族の大移動
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「図解 世界史」成美堂出版より
375年、北アジアの遊牧騎馬民族であるフン族(匈奴の末裔だとされる=トルコ族か?)が黒海北岸へと侵出してくる。同時に、イラン高原の遊牧民族の覇者であったサルマタイ人も東欧へと侵入してくる。
この遊牧民族に押し出されるようにして、ゲルマン人が大移動を開始、ヨーロッパに進出し、西ローマ帝国を滅ぼした。
フランス地域は、北海沿岸に暮らしていたフランク族が5~7世紀にかけて激しい殺戮を繰り返しながら、やがてそのほぼ全域を支配化に治め、フランク王国を建国。
スペイン地域は、フランク族によって西に押し出された西ゴート族によって支配され、西ゴート王国となる。
ヴァンダル族は、ローマをはじめ各地で略奪を繰り返しながら、北アフリカへ。
イギリスは、ドイツ最北部から北海を渡ったアングル族とザクセン族(アングロ=サクソン族)によって支配され、現イギリス王朝の基が築かれる。
イタリア半島に進出した東ゴート族は、バルト海沿岸からなんかしてきたランゴバルド族に支配圏を奪われる。そのランゴバルド族によるロンバルディア王国は、8世紀前後にフランク王国に吸収させる。
こうして、中央ヨーロッパをほぼ支配したフランク王国が、中世の神聖ローマ帝国へと繋がっていくことになる。
ヨーロッパ全土は「ゲルマンが支配する地域」となった。
■ヨーロッパ文化は、どう変質したか?
卓越した戦闘力、あるいは強い略奪性については、何もゲルマン人から始まった訳ではない。ギリシアも、そしてローマも卓越した戦闘力と略奪性によって地中海世界あるいはヨーロッパ全土を支配するに至った。
注目されるのは、ギリシア~ローマに掛けて花開いた快楽を求める意識や享楽的な文化が影を潜め、禁欲主義的な文化へと移行したことにある。
ここで起こったヨーロッパ文化の変質は、単に性欲を我慢したり先送りにすることにあるのではない。

セックスに関わる全てを邪悪な罪とみなし、その根源が女性にあると決め付けることで、女性と快楽をひっくるめて恐れ憎み嫌うという、どうみても地球上で西洋にしか存在しない性格が誕生した
「女性恐怖のドイツ的起源」 [3]

十字軍遠征において、遠征へと旅立つ騎士が、家に残す女に鉄の貞操帯を付けさせた・・・など、女性の不倫に対する病的な恐れは、中世ヨーロッパのゲルマン人の民族性にこそ見出せる。
十字軍遠征後のドイツにおいて、「(禁欲的に)働くこと」を前面に出し「宗教改革」が、ゲルマン人が多く住むドイツでぶち上げられたことは、ゲルマン人の民族性と無縁ではないように思われる。
ギリシアの思弁性、さらにローマの略奪性、その上に塗り重ねられたゲルマンの禁欲主義が、後のヨーロッパ世界の基層となった。

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