- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

縄文文明こそ日本文明

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(上記写真は縄文式土器で、リンク [1]より引用させていただきました)
縄文時代の文明とは、果たしてどのような文明だったのでしょうか
縄文人の生活や風習、文明は、当ブログでもたくさん追求されておりますが、改めて、るいネットの秀作投稿に縄文時代の文明をまとめてある投稿がありましたので、みなさんにも紹介させていただきます 😉
紹介の前にいつものヤツをお願いします
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ありがとうございます
それではさっそく、るいネット『「縄文文明こそ日本文明」 [4] 新川啓一氏』の投稿を紹介させていただきます

いよいよ、市場社会・西洋の価値観による社会の崩壊が予感される中、日本人や日本の歴史に次代の可能性を見い出そうというという潮流が顕在化しつつあります。
江戸回帰や歴史回帰に留まらず、縄文時代に着目している方も少なくないようです。
縄文文明こそが日本文明であり、これまでの各時代は中国や欧米の文化が外圧として縄文文明を変化させて来たが、根本的に変革するほどの影響は及ぼさず今日に至り、外部からの文化は縄文文明に飲み込まれていった、という記事を紹介したいと思います。
「湘南エイト会」のサイトの記事、『縄文文明こそ日本文明』からの引用です。
※下記引用記事は、安田喜憲氏の「縄文文明こそ日本文明」「Voice」7月号を元に構成されています。
(以下引用)
(中略)
■稲作は縄文の社会では普及しなかった
地層の分析から、6千年前に稲作が日本列島に伝播している可能性が高いのに、なぜか稲作は縄文の社会では普及しないのである。
それは、縄文人がこうした稲作農耕社会に潜む残虐性や不平等性を受け取ることを拒否したからではあるまいか。
それは縄文人が人にも自然にも優しい心を持っていたからではないかと思うのである。日本人はグローバル化に際して、賢く取捨選択する智恵を縄文時代から身につけていたのである。
■人にも自然にも優しい縄文時代が日本文明の根幹を形成
このように人にも自然にも優しい縄文時代が1万年以上も継続し、日本文明の根幹を形成しているのである。
しかし平和で優しい社会は、同時に停滞的・保守的でもある。そうした停滞性や保守性を打破する新たな刺激は、たしかに外部からもたらされた。
■縄文文明に外部から刺激を与え活性化させる時代も出現
日本文明の根幹を形成する縄文文明に、外部から刺激を与え活性化させる時代があった。
それが弥生時代・古墳時代・奈良時代・室町時代・安土桃山時代そして明治・大正・昭和の時代である。
これらの外部からの刺激の時代は、ともすれば安寧と豊かさのなかに停滞しがちな縄文日本丸を推進・発展させる帆の役割を担った。この点が、これまでの日本文明論とは根本的に相違するところである。
■これまでの日本文明論の主役は、外圧の文明
これまでの日本文明論の主役は、こうした外圧の文明であり、基層となる縄文文明の姿は見る影もなかった。
しかし、いまや主客の逆転が必要なのである。西尾幹二氏が指摘するように、中国文明や欧米文明を他者として対象化する視点が必要なのである。
中国文明や欧米文明は日本文明に刺激を与えた外圧の文明にすぎず、日本文明とはまったく異質の文明だったのである。
たしかに、これらの外圧の文明は、縄文日本丸の帆の役割を果たし、日本文明に活力と刺激を与え、その進路にも大きな影響を与えたが、日本文明の根幹を根本的に揺るがし、これを根本的に変革するほどの影響は及ぼさなかった。
■外圧の影響の小さな時代は、縄文文明の伝統が大きく開花
また、外圧の時代が激動と殺毅の時代であったのに対し、外圧の影響の小さな平安時代や江戸時代は、縄文文明の伝統が大きく開花し、戦争のない平和な時代であった。
日本人が魂の安寧をもっとも感じ、その魂の琴線に語りかけ、日本独自の文化が花開いたのが、この時代である。
平安時代の10世紀初頭に始まり12世紀に頂点に達した「蟻の熊野詣」といわれる熱狂的な熊野崇拝も、やはり縄文文化への回帰の現れではなかったかと梅原猛氏は指摘する。
「それはもう一度日本の深淵文化の根底に触れて、根本的に歴史を新たにしたいという個人を越えた巨大にしてひそかなる意志に左右されてのことであったと思う」と。
■縄文文明の伝統は、21世紀の時代の精神
それはまた21世紀の新千年紀をむかえる現代日本人が共有する時代の精神でもある。現代の縄文への回帰は、まさに梅原氏が指摘するように「根本的に歴史を新たにしたい」という願望から発するものなのであろう。
それにしても熱狂的な熊野崇拝が起こり、縄文への回帰が引き起こされた10世紀から12世紀は、中世温暖期といわれる地球湿暖化の時代に相当しているのが、私には興味深い。
きたるべき21世紀も地球温暖化の時代である。その地球湿暖化の時代になぜか、日本人は基層文化としての縄文に回帰する。
そこにはきっと海洋的な気候風土、とりわけ森の風土に特色づけられる日本の自然と、森の民、海の民としての日本人とのかかわりあいの特殊性の謎が隠されているにちがいないと思う。
■縄文文明こそ日本文明である
このように日本文明の根幹には、縄文時代以来の文化的伝統が巨大な潮流として存在し、弥生時代の稲作文化も安土桃山時代の南蛮文化も、そして明治以降の近代ヨーロッバ文明も、
この縄文文明の伝統に刺激を与え活性化する役割は果たしたが、結局のところ縄文文明にとりこまれ、のみこまれていったのだ。
そのように見るならば、縄文文明こそ日本文明であるといっても過言ではない。縄文文明こそ、日本の内なるフロンティアなのである。
(中略)
(以上引用終わり)


なるほど~ 🙄
とかく、受け入れ体質といわれている日本人も、なんでもかんでも受け入れてきたわけではないようですね 稲作文化を容易に受け入れなかったというという点は、妙に納得させられました
恐らく、当時の縄文人の思考には、
「充足あるいは共同体を壊す恐れのあるものは、容易に受け入れない」
というしっかりとした判断軸があったのではないかと考えられます
(キリスト教が拡がらなかったのも似たような構造なのかもしれません・・・)
さて、上記の紹介投稿でみてきたように、縄文体質を残している日本人の可能性は無限大ですね
この無限に秘めた可能性を引き出していくためにも、縄文文明、ひいては日本人のルーツをしっかり学んで、可能性に向かってまっすぐ進んで行きたいと改めて感じました

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