2022.03.18

猿から人類の夜明け~猿人の進化・拡散の変遷~

画像:「人類史マップ」サピエンス誕生・危機・拡散の全記録P82-P83(日経ナショナル ジオグラフィック社)人類の群島より

みなさん、こんにちは!

今回は、原人からさらに遡って「猿人」と呼ばれる時代の人類の進化について調査・整理してみたいと思います。

 

現在、この地球という惑星に生息する唯一の人類「種」はホモ・サピエンスですが、その昔の約300万年前にホモ属が現われ、複数の「種」が存在していました。ホモ属からさらに遡ると、アウストラロピテクス属、パラントロプス属、ケニアントロプス属、アルディピテクス属、オロリン属、サヘラントロプス属など、多くの「人類以前」の多様な進化があったこともわかっています。

 

さらに約1300万年前に生物界において1つの発明がありました。熱帯地域(アフリカ、ユーラシア)のどこかで、「脊椎動物」に属する「哺乳類」の中で「霊長類」と呼ばれる長い4本の足を地面につけて歩いていた生物(シヴァピテクス属)が森林の草原化に適応するため2本足で立ち上がったということ。この人類の基礎と呼べる私たちの近縁種の歴史が始まったのです。彼ら「人類以前」の種たちは見事な系統樹ができるほど多様な適応と放散の中で絶滅を含む自然淘汰、進化積層のプロセスを経てホモ属(原人)に進化していきました。

画像:「人類史マップ」サピエンス誕生・危機・拡散の全記録P26-P27(日経ナショナル ジオグラフィック社)人類の進化図より

未だに解明されていないことだらけの「人類の進化」ですが、唯一確かなのは、この入り組んだ進化系統樹の中で、私たちホモ・サピエンスだけが淘汰適応の結果生き残ったということ。私たちは、まだまだ私たちのことを知らないのです。今回ご紹介するのは現在わかっている範囲に留まりますが、今後さらに新たな発見がなされる過程で、思いもよらない人類の進化のターニングポイントに出くわすかもしれません。

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2022.03.18

原人の変遷と特色~最も古いホモエレクトスはアフリカで発見

人類の出現と進化は、大きく「猿人→原人→旧人→新人」の流れで語られます。前回の記事では、初期原人と呼ばれてきたホモ・ハビリスは猿人に近く、注目すべきはホモ・エレクトスであることを紹介しました。
とはいえ、原人とは、約200万年前~1万年前に登場した人類(化石人類)の総称であり、その過程では多くの種類の人類が存在します。
今回は、そんな原人の種類、違いを詳細に分析することで、人類の起源の追求を深めていきたいと思います!

■脳容量の大幅な成長を遂げたホモエレクトスエレクトス

ホモ・ハビリス”以降”に登場したとされる原人を整理してみると…
190万年前    ホモ・ルドルフエンシス(アフリカ)
180万年前    ホモ・ナレディ(アフリカ)、ホモ・ゲオルギグス(西アジア)
170万年前    ホモ・レクトスユァンモウエンシス(東アジア)
160~150万年前  ホモ・エルガステル(アフリカ)
130万年前    ホモ・エレクトスエレクトス(南アフリカ)
80万年前      ホモ・アンテセッサ―(西アジア)、ホモ・エレクトスベキネンシス(東アジア)

ホモ・ルドルフエンシスも、ホモ・ナレディも、ホモ・ハビリスと比較すると、部分的には現代人に近い特徴を備えていること発見されているが、脳容量は500c㎥オラウータンやチンパンジー(400c㎥前後)とほぼ同じ容量。それに対して、頑丈な骨格で、短い足と長い腕が特徴の身体つきであるようです。

それに対して、ホモ・レクトスユァンモウエンシス(=元謀原人)は約800c㎥、ホモ・エルガステル(トゥルカナ・ボーイ)は約880c㎥と、脳容量が格段に増加している。頭蓋に関しても平面的な顔面(あごの出っ張りが目立たなくなる)など、現代人類と同様の特色が多くみられるようになった。
ただし、依然、頑丈な体格(背も高い)を有していたようです。

その後のホモ・エレクトスはさらに脳容量が950~1100c㎥と、現生人類に大きく近づくと同時に、体格においても身長は成人男性で140cm~160cm、体重は同50kg~60kgと小柄で脳・身体とも現生人類のバランスに一気に近づいています
やはり、注目すべきはホモ・エレクトスであるようです。

 

■最も古いホモ・エレクトスエレクトスの発見はアフリカ

では、このホモ・エレクトスの化石が発見された位置が重要となりますが…
ホモ・エレクトスの中でも、約130万年前の登場したとされるホモ・エレクトス・エレクトスは、南アフリカで発見されている。
約80万年前に登場としたとされるホモ・エレクトス・ベキネンシス(=北京原人)もホモ・エレクトスとされるが、約50万年もの差が生じていることを考慮すると、アフリカ起源説の可能性も高い

■ホモ・エレクトスは生存競争で絶滅!?

ただ、ホモ・エレクトスは、約20万年にホモ・ネアンデルターレンシスとの生存競争に敗れるなどを通じて、絶滅したとも言われています

古代人類ホモ・エレクトスは約11万年前までいた…他の人類と交配の可能性も

現生人類に繋がる流れを見出すためには、原人~旧人~新人の流れをより詳細におっていく必要がありそうですね!

 

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2022.03.11

現生人類の進化の謎を握る原人=ホモ・エレクトス。ユーラシア発の可能性

写真は原人の故郷ジョージアのドマニシ遺跡

 

現在の学説では、ヒトの進化は、猿人→原人→旧人→新人へと進化したとされています。

しかし、猿人(アウストラロピテクス)の脳容量は、現生人類の1/3程度の400~450mLで、チンパンジー400mLとほぼ変わりません。また、猿人は進化の過程でほとんど脳容量が進化していないことから、類人猿に近い存在と考えた方が良さそうです。

 

それに対し、原人(ホモ・エレクトス)の脳容量は、初期は750~1200mL程度で、ホモ・サピエンス(新人)1400~1600mLに近い。

原人以降、急激に脳進化が進んでおり、ヒトの進化を考える上で、原人の進化史を分析することが重要です。

こちらから

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2022.03.08

原人の拡散:脳容量からの検討

皆さん、こんにちは。

縄文と古代文明を探求する当ブログですが、今回は縄文時代を遡って人類史の一部を探求したいと思います。縄文人のルーツを探る記事も幾つか書きましたが、今回は、縄文人(新人)の前(旧人)の前(原人)についてです。

アジアにも居た原人。その段階で現生人類(ヒト)に繋がる進化=交配を繰り返していたことを脳容量の進化からも類推します。

画像はこちらから

原人の一覧と脳容量

上表は、猿人以降縄文人までの古人類の一覧ですが、これに脳容量を追記すると以下の通りとなります。

4万1千年前    Hフローレシエンシス(インドネシア・フローレス島)380cc
30~12.5万年前  Hハイデルベルゲンシス(ドイツ)1100~1400cc
40万年前    Hネアンデルターレンシス(ベルギー)1600~1300cc
78~68万年前  Hエレクトス・ペキネンシス(北京)950cc
180万年前      Hゲオルギクス(ジョージア)600cc
240~140万年前    Hハビリス(タンザニア)600cc

250~200万年前のパラントロプス・ロブストス410~530cc、300~200万年前のアウストラロピテクス属380~500cc、440万年前のアルディピテクス・ラミダス300cc。

因みに、現代の大型類人猿とヒトの脳容量の違いは、

「ヒト科動物の脳容積(脳容量)比較」では、【オランウータン】400cc強、【ゴリラ】500cc、【チンパンジー】400cc弱、【ボノボ】350cc、【ヒト】1350ccとのこと。(ヒト科動物徹底比較! オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒトの違い

要するに猿人は、現代の大型類人猿と脳容量では大差がない事になります。

脳進化がもたらしたもの

「20万年前~現代:ホモ・サピエンス 脊椎動物の進化の初期の段階では、脳は神経細胞が集まった“膨らみ”のようなものに過ぎなかった。やがてこの膨らみはヒトへの進化の過程で大脳、間脳、中脳、小脳、延髄、脊髄からなる複雑な構造を形づくり、個体の維持だけでなく高度な精神活動を可能とする器官となった。

原始的な霊長類からホモ・サピエンスへと進化する過程で、大脳皮質は厚みが増しただけでなく表面積も著しく拡大した。また、大脳皮質はより深く複雑なしわをつくって容量を増やし、大脳新皮質の感覚野、連合野がさらに発達した。小脳も大きくなり、ヒトの複雑な動きを可能にした。
霊長類の登場から現在にかけて、大脳新皮質はそれまでの生物史に例がない速度で拡大・発達していった。大脳皮質の中でも新しい皮質(新皮質)は高等動物ほど発達しており、霊長類では認知や思考、判断といった知的活動を司る部位となっている。頭蓋容量は1400cm3まで拡大し、ヒトは抽象的な思考が可能となった。

脳が進化したことにより、思考や創作活動の幅が広がった。たとえば、動物の骨や牙・角を利用してネックレスやペンダントなどの装飾品やフルートのような楽器、裁縫に用いる縫い針、油を燃やすオイルランプなどがつくられるようになった。今から2万5000年前には、動物の油を用いて絵の具を作成し、洞窟の壁に様々な色で牛の絵を描くことも可能となった。」

遡ると、ホモ・エレクトゥスでも、「石器をより高度に加工し、槍などもつくるようになった。ホモ・エレクトゥスが加工した石器は、ホモ・ハビリスが加工した石器と異なり石の両面が削られて先端が鋭利に尖っている特徴を持っていた。ホモ・エレクトゥスは道具を巧みに操っただけでなく、火を使うことも覚えた。火は夜間に肉食動物を寄せ付けない役割を果たし、さらにはそれまで摂取できなかった食糧を調理して摂取できるようになった。また、直立二足歩行によって骨格が変化し、発声気管が従来よりも低い位置に下がった。この変化によって発声が容易になり、言語の発達が加速した。脳内では、言語を司る部位であるブローカー野がますます発達した。さらに、聴覚を司る部位に隣り合う部位も拡大し、『ウェルニッケ野』と呼ばれる感覚的言語中枢に発展した。」

ホモ・ハビリスは、「言語を司る『ブローカー野(運動性言語中枢)』が目立つようになった。自身を取り巻く世界を認識し、言語を用いて周囲の個体に自身の考えを正しく伝える能力を持つようになった。こうした能力は『心』を生み出す生物的基礎となり、現在のヒトに通じる能力となった。」

「」内は、脳の進化の5億年~誕生からヒトまでの軌跡~

原人の進化がどこから?そしてヒトの起源は?

上記は化石人骨しか発掘されていないので、その脳にブローカー野、ウェルニッケ野がどの程度あったか推測するのは難しいと思います。石器や絵画は現存しますが、文字(らしきもの)がありません。音声交感は他の動物でも行っているので、文章や名詞にならないまでも、危機や感情を発信することは可能と思われます。現在の大型類人猿が、原人より少し小さい脳で出来る事を想像すれば、初期の原人は類人猿とさほど変わらず、950㏄に達するホモ・エレクトゥス(ジャワ原人や北京原人)から、ヒトらしく言語も可能と思われます。

「人類の起源」をどこに置くかは中々難しい課題ですが、言語を獲得した段階で既に東アジアに原人が居たとすると、その後の当該地域で旧人、新人へ進化する可能性は充分にあります。

重要な問題は、現生人類がほぼ同一種で、アジア、ヨーロッパ、アフリカなどに居た古人類が、一つの生物種に収斂することが現実的かどうかと言う事。

交配を繰り返して、次第に一つの人類に収斂したと考えることもできますが、現実は、アジア人とヨーロッパ人、アフリカ人は多少の違いがある。違うにしては近すぎて、同じとするには微妙に違う。これをどう説明するかで、人類の拡散の推論が変わると思います。

ネアンデルタール人とデニソワ人は交配していてその遺伝子が現生人類(ヒト)にも受け継がれている。交配していた当時、既に旧人がユーラシア大陸やアフリカ大陸に相当散らばっていて、各所で交配し、更にその子孫が大陸内を往来して交配し、現生人類(ヒト)が誕生した。各所で同じような交配が行われ、土地ごとに多少の違いがあるヒトが誕生した。と言えるかも知れません。

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posted by sai-yu at : 2022年03月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.03.03

【縄文再考】まとめ②~縄文人が対峙してきた自然外圧→高い自然外圧をも受け入れ、適応を繰り返してきた。それが縄文文化そのもの。

 

前回記事(【縄文再考】まとめ①~縄文体質は今も日本人の基層をなす~ )でも紹介した通り、今回は縄文人が対峙した自然外圧について整理し、縄文人がどのように適応し、どう生きてきたのかを追求していきます。

 

 

■外圧整理を行う目的は2つ

①縄文人の推定人口推移が中期(最大)を境に晩期に進むにつれ、減少している(南九州では人口が0になった地域も存在する)外圧とは?

※気候変動(寒冷化で年間2℃減)による食料確保が困難に陥った説は些か信じ難い

②縄文文化が変化したのは自然外圧が影響しているのか?

 

■状況整理

▼人口推移

草創期  1万5000年前~1万1500年前(3,500年)
早 期  1万1500年前~  7000年前(4,500年) 人口2万人
前 期    7000年前~  5500年前(1,500年) 人口11万人
中 期    5500年前~  4400年前(1,100年) 人口26万人
後 期    4400年前~  3200年前(1,200年) 人口16万人
晩 期   3200年前~  2400年前( 800年) 人口8万人

 

・前期から中期にかけての大幅な人口増

→気候上昇による食料の豊かさが人口増の要因となったとされています。

・中期から後期にかけて大幅な人口減。

→気候が寒冷化したことが要因とされています。

 

どの程度の気候変動でこれだけの人口が増減するのか。下記の「気候変動と自然の変化」見てみましょう。

 

▼気候変動と自然の変化による影響

表1:縄文時代の気候変動

 

草創期以前旧石器時代は「氷河期」とされ、現在の気温よりも-7℃と寒冷な気温。そのため植生も良くなく、飢餓状態であったことが予測される。

縄文時代に入り少しずつ気温が上昇。中期には現在よりも+2℃程度の気温となり、縄文海進(海面の上昇)が起きる。縄文海進により、海洋生物が身近に確保できた。食料が安定、気温の上昇で堅果実も豊富になったと推測される。

後期になり再び寒冷化と言われているが実は現代と同等の気温(中期と比較しても-2℃)という研究結果がある。

つまり、後期の寒冷化による植生の衰退は考えにくい。さらに強力な自然外圧がったことは間違いない。では人口減少の要因は?

図:時代ごとの気候・海面変化

▼火山による被害

7,300 年前 鬼界カルデラ大噴火 

・薩摩硫黄島、竹島、屋久島付近の海底まで広がるカルデラ

・3万メートルの噴煙柱/100 キロ離れた薩摩半島にまで達した火砕流/火山灰は九州全土に厚く積もり、西日本全体にも降り注いだ。南九州がほぼ全滅したといわれる。

約5,900年前 十和田火山巨大噴火

・青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町の県境に位置

・青森県全土が焦土と化した/岩手県の陸前高田、山形県の月山まで噴火の軽石が飛んでいき、堆積

約5,400年前 沼沢火山噴火

・福島県大沼郡金山町の会津盆地の南西山地に位置する沼沢火山

・広域拡散型の流速 100m/s を超の火砕流、会津盆地南半を覆い、噴火口から約 30㎞離れた阿賀川流域付近まで到達

約3,000年前 富士山4回の爆発的噴火

・通常西風が吹いており噴出物は東側に多く積もりますが、大沢スコリアのみは、東風に乗って浜松付近まで飛んでいます

・結果として、富士山以東が寒冷化、以西は寒冷化の影響少

 

人口推移から見る「気候変動と自然の変化による影響」、「火山による被害」と、縄文時代の自然外圧を整理してきました。

 

■①縄文人の推定人口推移が中期の最大値を境に後期、晩期と進むにつれ、減少している外圧とは?のまとめ

⇒縄文の人口減少に大きな影響を与えたのは気候ではなく、火山噴火の可能性が高いということが分かりました。

堆積した火山灰の地層から集落の跡が発見されている火山灰層から年代がわかる)。

 

では、②縄文文化が変化したのは自然外圧が影響しているのか?

特に影響を受けたのは縄文人そのもの。そして生活に密接に関係している縄文土器です。その変化には「温暖な気候

【縄文再考】縄文時代の外圧を動的につかむ①~縄文時代が世界に先駆けた理由とは?」「火山噴火

縄文再考:縄文土器の変遷からみる、縄文時代の外圧と追求思考」の2つの自然外圧が影響しています。

 

・気候変動による縄文文化の変化

年縞を使った調査では日本列島から長江流域にかけてのモンスーンアジアが世界の中で最も早く温暖化の影響を受けている(ヨーロッパは日本よりも500年位遅れて温暖化している)ことが分かりました。

温暖な気候が生態系の変化の要因となり、その新たな生態系に適応するために土器などの生活技術が進化したのです。

・火山噴火による縄文文化の変化

火山噴火は村落に壊滅的な被害を与えます。が、縄文人はそれを受け入れ、火山へも注視、一体化を図っています。

富士山を崇めていたことを推測させる遺構(富士山の方向に向かって配置された環状列石や帯状列石)が残っているなど、山岳信仰がみられますし、十和田火災後の青森では円筒土器文化が出現しています。また、日本最大級と言われている三内丸山遺跡(約5900年前~4200年前)が開村しています。

火山噴火で生態系も変化を余儀なくされ、それに伴って縄文人も生活を再建していきます。円筒土器は堆積した火山灰に差し込めるように作られたと思われます。

三内丸山遺跡の開村も外圧の変化に適応するために生き方を変え、再統合された結果です。

■②縄文文化が変化したのは自然外圧が影響しているのか?のまとめ

縄文人は常に自然を注視し、一体化し、受け入れ生きています。だからこそ、適応するために文化を変え、新しい技術や生活を生み出し、生き方そのものを再統合しているのです。

ですから、縄文人は圧倒的な自然外圧である火山噴火に対して、避けるのではなく、畏れ、敬っていたのです。

 

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2022.03.03

【縄文再考】縄文時代と古墳時代の精神性の違い、全ては稲作から始まった?

皆さんこんにちは!

今回は縄文時代の社会構造や精神性を古墳時代と対比しながら明らかにしていきたいと思います。

 

 

弥生時代は600年、古墳時代は400年続いたことに対し、縄文時代は約1万年間と言われています。

この大きな時代の変化はどこから生まれたのでしょうか??

 

 

 

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2022.02.25

【縄文再考】まとめ①~縄文体質は今も日本人の基層をなす~

こんにちは!

2021年9月からシリーズとしてお届けしてきた【縄文再考】のまとめを行いたいと思います。これまで、45記事の追求をしてきましたが、そのなかで見えてきた中身は何か?新しい認識は何か?今回のまとめ記事ではシリーズを総覧していきます。

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2022.02.17

―縄文再考― 縄文土偶の謎に迫る~土偶の使い道~

過去いくつかの記事を書いてきましたが、最終的には「祈りの道具」という結論に至りました。

 

が、縄文土偶は弥生時代に入りほとんど製作されなくなりました。

つまり、創る必要がなくなったと言えます。

では、縄文時代に土偶が創られたのはなぜか?本当に「祈りの道具」(だけ)のためなのか?

 

「祈りの道具」であることは可能性として高い(―縄文再考- 土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。 – 縄文と古代文明を探求しよう! 、)。ですが、おそらく別の用途があったと思われる。

今回は縄文土偶の使い道について追求していきます。

 

■縄文土偶の謎

土偶の本当の使い道を追求するにあたり、今考えられる土偶の謎を列挙します。

  1. 用途が不鮮明(考古学者、作家などのあらゆる仮説からも使い方が分からない)
  2. 中期、後期、晩期で盛んに作られている。それもすべての時期において立派なものが出土している。
  3. 技術力の必要な中空化華美な装飾を行っている。中空化は軽量化になるがなぜか?華美(施しの工夫)にするのは祈りを強めるため?
  4. 人口に関係なく大小様々な土偶が数多く存在すること→なぜそんなに作る必要があったのか?

これほどまでに追求されている土偶が「祈りの道具」(だけ)というのは素直に”なるほど”とは言えない。

 

■縄文時代から弥生時代で何が変化した?

弥生時代に入り、土偶がほとんど創られなくなりましたが、時代が移ろいでいく中での変化によるものの可能性が高いです。

縄文時代から弥生時代に入り大きく変化したのは、

  • 母系社会から父系社会への転換
  • 狩猟採集(一部栽培)→稲作への転換
  • 稲作によって、自然の所有化が始まる

この三つに大きな要因があると推測します。

 

■母系社会から父系社会に転換したのはなぜか?

縄文時代は女優位と言われています。母系で集落を支えていました。

採取・子育て・土器を用いた煮炊きなど、集落に纏わる安定部分のほとんどを女が担っていました。これが女優位の理由です。

※女優位なのは明確で、男は狩猟が主。獲物を捕獲できないことも多かったです。ゆえに不安定で、女に生活を”支えてもらっていた”。

 

上記から、女が他集落に嫁入りすることは考えにくい。つまり基本は他集落の男が婿入り(外婚)する形式となります(血縁間での出産リスクの知恵もあった)。

 

弥生時代は渡来人からの技術の伝承で稲作が始まります。力仕事もあるので男女で行います(男女一対の土偶はこれが表現されている)。

稲作に顕著ですが、土地を集落の所有物として位置づけます。ですが、水は川などから引いてきます。つまり他集落と共有することになり、水を巡った争いや、土地の所有権を巡った争いが起きます。

所有物がなくなれば集落の食料は確保できないため、これを守ることが重要な課題になります。女よりも男の方が力が強いこともあり、闘争圧力は男に集中します。集落の安定は男の課題になり、男優位つまり父系社会(男が集落に残る)になります

 

■母系社会である縄文時代の男はいつでも外に出れた(他集落へ)のか?

【縄文再考】縄文人は「女の家」「男の家」「若者の家」とすみ分け、社会的分業を高度化し自生力を高めた – 縄文と古代文明を探求しよう! でも論じたように、男は集落のために闘い(狩猟)、武器づくりや罠作りなどに励み、若者は男(成人)に学び、自生力を身に着けていきます。

そんな男ですが、いつでも自由に集落を出ていくというのは限りなく考えにくいと私は思います。”女”に認めらた男が他集落へ行きます

 

■女は男の何を認めるのか?

男は若者時に自生力を身に着けて行きますが、決して自分が生き抜くためではありません。共同体を生かす力です。自生力を磨く中で集落を生かす意識(共同体肉体度)を高めていきます。

ただ、男と女は自然を所有化せず、自然に生かされています。そして男は女に生かされています。だからこそ男は、自然への注視・一体化、感謝、女への畏敬の念、安産を祈りとして土偶に込めたのです。外圧が変化するにつれて、祈りの対象を変えているのも共同体肉体度があるが故です(好きなものを作っているわけではない)。集落に対して強い思いがあるほど、祈りの度合いも強い。それが土偶が華美な理由です。

―縄文再考- 土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。 – 縄文と古代文明を探求しよう! 

 

そして、女は男の共同体肉体度と集団を生かす力を評価したと考えられる。

その一要素として共同体肉体度が現れる土偶があったのではないでしょうか?

結果としてそれが一人前の証として扱われていったのです。

■一人前の証としての土偶

集落を後にした男は、他集落に着くや、土偶を見せ、自分が一人前として認めてもらったことを証明するのです。土偶の出来栄えで男の器を計るのです。そうして受入れてもらい、外婚が成立する。

(他集落も誰でも受け入れる訳にはいかない。共同体肉体度がない勝手な男は危ない。)

 

中期、後期、晩期で常に立派な土偶が出土している理由は、この一人前の証としての土偶にあります。数多くの土偶が創られたのも、持ち運ぶことも考慮して、中空化による軽量の工夫が施されたのも他集落への一人前の証として持ち運ぶ必要があったかと

考えられる(置くだけなら中空化する理由にはならない)。

 

■まとめ

・土偶は「自然に生かされている」「女に生かされている」感謝からくる「共同体肉体度が高さ」が表出した「祈りの道具」。

・女は「共同体肉体度」と「自生力(集落を生かす力」を評価し、「一人前の証」として土偶を位置づけた。

 ※男は一人前になりたいがために土偶を創るわけではない

・他集落へ移る際に、「一人前の証となる土偶」があることで認められ、新しい集落の一員になれる。

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posted by matudai at : 2022年02月17日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.02.17

【縄文再考】縄文文明の原理を探求する①~縄文の8つの文明原理

この間、【縄文再考】シリーズを追求してきました。

「これまでの縄文観を覆す、新たな事実が見つかってきた」にある通り、最新の調査・研究により、これまでの縄文観を覆す、新たな事実も見つかってきました。

その上で、当ブログの過去の蓄積と新事実を重ねながら、1万年以上続いた縄文文明の興隆と弥生への移行を通じて、縄文とはどのような時代なのか。縄文文明を通じて、自然と文明との関わり、人類のあるべき姿などを模索していきたいと思います。

当ブログでは、過去に環境考古学の大家である安田喜憲さんの本「縄文文明の環境」をご紹介しました。

この本で記載されている、「縄文の8つの文明原理」を手がかかりに、追求を開始していきます。

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2022.02.11

【縄文再考】鬼界カルデラ噴火による自然サイクルの乱れが縄文人の人口減少につながった?

皆さんこんにちは!

先月は日本からおよそ8000キロ離れたトンガの海底火山が噴火しました。

今回のトンガ噴火で放出した力学エネルギーは広島原爆爆発の数百倍といわれています。

 

縄文時代でも鬼界巨大カルデラ噴火によって南九州縄文人が絶滅した可能性が高いと言われています。

 

今回は縄文時代の噴火による自然災害の影響、縄文人が滅亡するまでに至った彼らにかかった外圧について順を追って追求していきたいと思います。

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