2022.04.21

古人類の足の指が変化したのはラミダス猿人とアファール猿人の間 サル間闘争に負けた末の集団逃避行

東大総合研究博物館で公開されたアルディピテクス・ラミダスの全身骨格化石の複製

画像はこちら「JT生命誌研究館」から

皆さん、こんにちは。今回は、人類史の転換点。森林から離れたのは何時か、というお話です。

研究を伝える記事等

いつでもLOUPE<地球セミナ95-3 ダニエル・E・リーバーマン著「人体600万年史」[1]第3章>
「1976年、古生物学者のチームがタンザニアのラエトリで、固まった火山灰上にのこる約360万年前の人類の足跡を発見した(図7)。大人2人、子供1人のアウストラロピテクス・アファレンシスが残したものと考えられている。大きな親指と他の指が平行にならび、土踏まずがある。二足歩行をしていた動かぬ証拠である。」

NHK
「フィリピンにある洞窟から小型の人類の化石が見つかり、5万年前に姿を消した新種の人類とのこと。足の指の骨は300万年ほど前にアフリカに生息していた初期の人類アウストラロピテクスと同じように曲がり、木登りしやすいようになっていると報告、『ホモ・ルゾネンシス』=ルソン島の人と名付けました。」

「新種の初期人類を発見 米チーム、エチオピアで 2012年3月29日」日本経済新聞
「アフリカ東部・エチオピアにある約340万年前の地層から、新種とみられる初期人類の足の化石を、米クリーブランド自然史博物館などのチームが発見、29日付の英科学誌ネイチャーに発表した。エチオピアでは、同じ時代に『ルーシー』の愛称で知られるアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)がいた。新種は、アファール猿人とは違い、直立二足歩行に適した土踏まずをつくる弓形の構造がなく、足の指で物をつかめるのが特徴。アファール猿人の方がより、現生人類の祖先に近いと考えられるという。」

東京大学総合研究博物館
「ラミダスの親指の外転の程度は、類人猿や他のサル類と同程度であり、把握機能を相当保持していたに違いない。」

東京大学総合研究博物館
「ラエトリの足跡は一貫して、現代人的な荷重パタンを示唆することが確認された。特に重要とされたのが、足の前方部の圧痕が内外側全体にわたること、踵部の圧痕がそれよりも深いこと、中央内側部の盛り上がり方がアーチ構造のある足に典型的なことであった。アファール猿人と現代人の歩行は、おおよそ同様な荷重様式を持っていたと結論してよさそうである。」

何とも不整理な話(専門家でもっと摺合わせをすべき)ですが、どうやらラミダス猿人(アルディピテクス・ラミドゥス)とアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)の”間”の未明人類(或いは類人猿)で足の親指に変化が生じたようです。

改めて「直立二足歩行」の整理 足の指がサルのまま地上に降りた猿人(サル)

では、脚で木の枝を掴む生活から、地上で二足歩行する生活へ何故移行したのか?その答えになる何かが発見などされていませんので、あくまで推測です。

木の上の生活は完全な適応では無かった(そもそも、「完全な適応」は絶滅と同じ)。(木を降りて)新天地を求めるのは、動植物の適応原理における可能性探索。」

ラミダスもアファールも、化石「人類」、「猿人」と言われますが、見た目は完全にサルです。脳容量が増えるホモ・エレクトス(北京原人・ジャワ原人)が、「人類」の祖先、とすべきと思います。重要な点は、二足歩行が足の親指が変化する前のサルの段階で起きている事。その時点では、ラミダスのように樹上に戻れる可能性を残していました。

ラエトリ遺跡で新たに発見れたアファール猿人の足跡化石「L8」を別の角度から見たもの。(PHOTOGRAPH BY RAFFAELLO PELLIZZON)画像はこちらから

しかし、その後のアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)で状況は一変します。上の写真の通り、足の親指が分かれていないのです。恐らくこれは、森林から離れた後の事と思われます。ラミダスもアファールも、化石は草原の様なところで見つかると言いますが、暮らしていたのは、どちらかと言えば草原の近くの洞窟と思います。アファールの足跡化石は有名なオルドバイ渓谷から30㎞の地点。渓谷なら洞窟もあるでしょう。

知能進化は、仲間と地上に降りることで始まる。

森林から離れることは、外敵に襲われる恐ろしく危険な冒険です。しかし、樹上にも過酷な同類≒サル間の闘争があり、恒常的な飢餓に苛まれるサルもいたでしょう。弱いサルにとっては樹上は適応的では全然なくて、サル間闘争から逃れるには地上に降りて新天地を探すしかありません。

よく言われる、「危険の察知」「獲物を追いかけ狩る為」「辛抱強い訓練」「食物運搬」「真昼の暑さを避ける」「省エネ」は、どれも必然性に乏しい(他の方法も可能)。「苛烈な同類闘争からの逃避行(可能性探索含む)」なら、十分説明できると思います。

逃避行(※“自ら進んで”か、“嫌々”か、はどちらも含む複雑なもの)は、1匹では不可能です。オス、メスが居ないとその後の繁殖が出来ません。1匹で離脱するのは只の自殺行為です。最低限の適応=生き延びて子孫を繋ぐことが出来ないからです。

知能もさほど進化していないのに、森林から離れ、地上を歩き洞窟に暮らして徐々に拡散して行く。その後のホモ・エレクトス、ネアンデルタール人などの分布をみれば事実そうなっています。森林に居るだけでは「人類」にはなれなかった、のです。

地上に降りた当初は、本能で対応したのでしょう。しかし、猿人(サル)には互いに交感する機能があります。何匹か連れだって森林を離れたとすると、その後の生活は仲間との交換機能をフルに活用し、情報をやり取りして、少しでも生存の可能性のある行動、方法を選択するしか生き残る道は有りません。冒険という意味はそこにあります。危険な冒険が知能をさらに進化させより人に近づく。その後様々分岐や交配を経て、人類と言ってよいホモ・エレクトスが登場するのだと思います。

なお、ラミダスとアファールは、進化系統的に連続しているかは、今の段階では懐疑的なようです。アファール猿人以前の足の指の変化が、高頻度の突然変異である可能性も十分あります。もし、そうならサル間闘争に加え、一時的にでも樹上に逃げることができないもっと苛烈な状況になります。

突然変異が、雌雄含む比較的多数に同時に発生する可能性もあります。いずれにしても、障害のある(木に登れない)弱サル(猿人)が、森林を離れ洞窟に隠れ住むところから、人類史が始まると言えます。

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posted by sai-yu at : 2022年04月21日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.19

火の使用は約80万年前。エレクトスの居たユーラシアでの発見が多い

みなさん、こんにちは。

前回(4/8)の記事では、人類が人類たる特徴について、「火の使用」を挙げました。

火は、本能で生きる動物にとっては危機=恐怖の対象ですが、人類は観念機能を使って火の奥にある法則を見出し、活用しました。

これによって、煮炊きなどの調理が可能になったこと、火を囲い暖をとること、土器などの道具をつくることが可能になりました。これまで骨髄や根っこなどで食いつないでいた人類にとって、食糧の幅が広がり、生存率は劇的に上昇したと推測されます。

集団規模が増えることによって、集団内の協力・対話・追求も増え、自然に対峙しながら徐々に脳容量を拡大させていったのでしょう。

写真は中国周口店で見つかった、火の使用の痕跡

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posted by ando-tai at : 2022年04月19日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.15

人類の二足歩行は地上ではなく、樹上から始まった

 

 

 

 

こんにちは!

 

約600万年前のアフリカにいた人類の祖先、猿人はすでに直立していて、約300万年前には完全な直立二足歩行になったそうと通説では言われています。

 

今日は「人類はなぜ二足歩行をしたのか」について追求します。

ネットで調べると色んな仮設が飛び交っているので一旦整理してみましょう。

 

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posted by hanada at : 2022年04月15日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.14

古代人のの交雑~移動、移住からどう我々につながるか~

前回の記事ではホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人、ホモ・アンテセッサーの関係についてまとめ、ホモ・アンテセッサーはアジア起源説という可能性が高く、ネアンデルタール人やデニソワ人の絶滅は滅ぼされたという受動的なものではなく、交雑を繰り返すなかで純粋な種が減っていたという仮説に行きつきました。

原人から新人への移ろい~アジア起源説も可能性として高い

 

今回は交雑による古代人のDNAデータの特徴から祖先たちの移動、移住を見ていき、現在のヒトとの関係がどうなっているのか追求していきます。

 

■古代人DNAが発見された地域に住む住民のDNAはまったく異なる

まずは古代人のDNAが見つかれば見つかるほど、データの蓄積から詳細な研究が出来ことは言うまでもないです。

移動はもちろん、どの年代に移住し、交流があったかも分かってきています。

 

蓄積されたデータから交雑に関するあらゆる研究が発表されています。

両親はネアンデルタール人とデニソワ人 交雑の初証拠

古代人類ホモ・エレクトスは約11万年前までいた…他の人類と交配の可能性も

人類とネアンデルタール人が想定よりも古くからセックスしていたことが判明

「アフリカ最古の人類のDNA」が、わたしたちの祖先の謎を解き明かす

など。

 

が、『交雑する人類』デヴィッド・ライク著にはこう記述しています。

「人類集団の現代の遺伝子情報から、古代の出来事の詳細な実態を知ることはできない。問題は、人々が隣り合う集団と混じり合い、過去の出来事を示す遺伝的な痕跡が次第に不鮮明になっていくことだけではない。古代DNAの分析からあきらかになった遥かに厄介な問題は、今ある場所に住んでいる人々が、ずっと昔にその場所に住んでいた人々の子孫だということはほぼありえないという事実だ。

 

先祖たちは同じ場所に滞在もしていなければ、一度きりの移動でもないということ。古代人の移住はかなり複雑ということが分かっています。

 

しかも、異なるDNAを持つグループがある地域を入れ替わり立ち替わり、または共存していたとか。

共存していたことは上記にある参考文献から分かりますが、入れ替わり立ち替わりはどうでしょう?

また、そこから我々人類の先祖が分かるのでしょうか?

 

重ねますが、これまでの発掘で古代人のDNAデータが蓄積されてきています。

そのDNAパターンの動き(発掘場所)から古代人の移動を探ります。

 

『交雑する人類』について非常に分かりやすくまとめている記事から抜粋します

純粋に雑種的であること−デイヴィッド・ライク著『交雑する人類』読書メモ

およそ5万年前から1万年前、およそ4万年間の古代人グループの入れ替わりを復元したものである。「基底部ユーラシア人」「古代北ユーラシア人」「最初のヨーロッパ狩猟採集民」などとあるのが、古代人のグループであり、それぞれ違ったDNAの特徴をもつ。

  • 左上が3万9000年以上前の人々の動き

①の人びとは、5万年以上前にアフリカからユーラシアへと移動した人びとの子孫

※①の人のDNAと同じパターンを持つ子孫は、現在のアジアにもヨーロッパにも見られない

②はその後のヨーロッパの狩猟採集民の共通の祖先。

 

  • 左下が3万3000年前〜2万2000年前の人びとの動き

③は、②の人びとすなわちヨーロッパの狩猟採集民の共通の祖先から分かれヨーロッパ東部に向かったグループであり、グラヴェット文化を発展させた。この人びとは3万年前に東からヨーロッパ西部へ移動し、先住のオーリニャック文化の担い手を南西へと追いやった。このグラヴェット文化のグループ自身も北方から迫る氷河によって、北ヨーロッパの地を追われた。

 

  • 右上の図は1万9000年前から1万4000年前(氷河が北部ヨーロッパ全域を覆い尽くした頃)

④に示すマドレーヌ文化の担い手となる人びとが、現在のスペインからフランス方面へ向かった。この人びとは②の人びとの子孫であった。グラヴェット文化のグループがヨーロッパを覆い尽くした間にも、オーリニャック文化の系統がはどこかで存続し、そしてマドレーヌ文化の担い手として復活を遂げたという。

 

  • 右下の図である。1万4000年前(温暖期に至り、スイス・アルプスからイタリア北部まで続いていた氷河が溶ける

⑤の人びと、バルカン半島やイタリアの狩猟採集民が、西へ、北へと拡散し、マドレーヌ文化の担い手に取って代わった。この⑤の人びとは、先行するマドレーヌ文化の担い手とは全く異なるDNAをもっていた。このあたりでようやく、現在のヨーロッパの人びととつながってくる。

 

※さらに古い年代(185万年前など)をまとめたものが『人類史マップ~サピエンス誕生・危機・拡散の全記録~』に掲載されていますが、この年代から古代人類の移動・拡散は盛んです。

 

以上の記載から、人類は行ったり来たりを繰り返し、拠点を移し、その拠点に別の集団が移り住む、または共存するなど、事実はかなり複雑で、進化系統は単線的なツリー構造ではないということが分かります。

 

移住と、集団の交代が繰り返され、それと同時に、人類の集団というもの自体が「交雑」の結果としてひとつのパターンをつくりつつ、生じたり消えたりする”変容に開かれたもの”であることを示すことになります。

現代人が思っているよりも昔から古代人は交雑し、仲間を増やしていた可能性があります。

 

このことは、縄文人が弥生人を受入れ、混血してきたことにも似ています。人類のDNAには、他人種を同じ種と認識し、さらには交配できる機能を備えたことになります。

 

現時点では進化系統が複雑であるが故に、人類の起源がどこなのか、どの種が人類の祖先なのかは明確には分かりません。これを暴くにはもっと他地域のもっと多くの化石の発掘が必要です。

 

また、交雑について面白い研究がある。

『古代の人類がどのような交配を行っていたかがシミュレーションから明らかになる』

古代の人類が約200万年前に他の人類から分離した未発見のヒト集団と交配した可能性が示唆されたとのこと。解析ツールが示唆した「未知の人類」は、ホモ・エレクトスなどと同世代の種である可能性が高いと推測されているそうです。

交雑についてはまだまだ未知が多いです。今後も注目し、追求していきます。

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posted by matudai at : 2022年04月14日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.08

類人猿から人類への進化の定義とはなにか

みなさん、こんにちは。

この間、類人類を分析して人類の起源を追求してきましたが…そもそも、なにをもって人類というのか?

脳容量が重要な要素になるとは思いますが、どのような行動をとるようになったところから人類といえるか、その定義を追求してみたいと思います!

 

■「埋葬する」のはヒトだけではない

死者を弔い、「埋葬する」ことは人類の特徴的な行動として挙げられるように思いますが

実は、「死を理解する」「悲しんでいるように見える行動をとる」ことは、鳥類やほ乳類でも珍しいことではありません

中でも、ゾウは「埋葬」を行います。死んだ仲間の体をなで、死骸の一部を運び、草や砂をかけて埋めるのです。

 

鼻でなでる姿も、仲間の死を悼む野生のゾウ https://www.youtube.com/watch?v=you8Fn8jA9g

 

 

その他にも、カササギ(日本にも生息するサギの1種/鳥類では最も大きな脳をもつ)や犬も埋葬を行うとされている。

死を理解し、悲しむことを含めて、「埋葬」は知能の発達した動物が行うことは間違いないが…人類の定義としては不十分であるようですね。

 

高い知能をもつ鳥類カササギの生態 https://zatsugaku-company.com/elephant-funeral/

 

 

■「火をつかう」は人類の象徴であり、進化の根源

人類を他の動物と区別する上で、やはり重要なのは「火をつかう」「言葉をつかう」であるでしょうが…言葉は他動物の鳴き声によるコミュニケーションとの区別が難しいうえ、そもそも無形のため、言語をつかいはじめた時代を特定するのが難しい。

その点、火をつかうことは、約70~20万年前の北京原人が行っていた証拠が発見されている

 

北京原人、火を使用した新たな証拠が発見 https://spc.jst.go.jp/news/150401/topic_3_02.html

 

 

脳容量400~500㎥の猿人に比べて、北京原人をはじめとした原人は脳容量が800、さらには1000㎥以上と…火を使い始めた時代周辺から、明らかに大きくなっているのです。

 

 

・・・

その後、人は「火をつかい」、調理、温もること、照らすことを覚え、様々な「創造」に繋げていきます

火は人類の文化の象徴であり、進化の根源といえるでしょう。

火をつかいはじめた原人は、人類の起源として有力なのではないでしょうか。

 

※火を用いて狩りを行うハヤブサや火により発芽する植物、昆虫も存在しますが、いずれも限られた種であること。なかでも特有の行動のみで火を使用するため、「火をつかう」とは定義がズレると考えます。

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posted by sibata-h at : 2022年04月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.08

人類の進化過程に見られる「ミッシング・リンク」

こんにちは!

前回の記事では、「現生人類につながる類人猿はユーラシア大陸で生まれた」という認識を整理しました。今回は、その続きを追求していきたいと思います。

 

類人猿は、ヒトに最も近い仲間であって分類学上はともにヒト上科(Hominoidea)をつくっています。しかし、彼らは今日の世界では繁栄したグループであるとは言えません。なぜなら、現生類人猿は、アフリカにゴリラ、チンパンジー、ボノボの3種、アジアにオランウータンと小型類人猿のテナガザル類が約10種棲息しているにすぎないからです。

 

しかし、時代をさかのぼると、中新世においては、類人猿は現在よりもずっと広い範囲で繁栄していたことがわかっています。現在発見されている最古の類人猿の化石は東アフリカ(現在のケニヤ北部にあるロシドクという産地)の漸新世(2500万年前)の地層から見つかっていますが、中新世に入ると、プロコンスルやアフロピテクス、ナチョラピテクス、ケニヤピテクスなど、類人猿がたくさん現れます。

 

一方で、類人猿→猿人への直接的な進化は、未だ解明されていません。そもそも、上述のゴリラ、チンパンジー、ボノボなどアフリカの現生類人猿の祖先が見つかっていないのです。また、猿人→原人への直接的な進化も、未だ解明されていません。そもそも、猿人と初期原人は同時代を生きていたことも近年の研究で明らかになっています。

 

これまで定説と考えられてきた、類人猿→猿人→原人→新人→現生人類という進化系統そのものが、覆りつつあるのです。そして、それらの進化の間には、ミッシング・リンク(化石生物の存在が予測されるのに発見されていない間隙)が存在しているのです。

 

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posted by asahi at : 2022年04月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.04.01

現生人類につながる類人猿はユーラシアで生まれた

「かつてアフリカにはゴリラやチンパンジーに極めて近い類人猿が生息し,その後絶滅したのは間違いない。これら2 種は人類に最も近い類縁だから,私たちの祖先は他のどの地よりもアフリカ大陸に住んでいた可能性が高い」。

ダーウィン(Charles Darwin)は1871年に出版した『人間の由来(The Descent of Man)』でこう予測しています。

当時はアフリカから類人猿や人類の化石はまだ見つかっていませんでしたが、その後発見された化石群によって、人類の起源に関するダーウィンの予測が裏づけられた・・・はずだった。しかし、近年の化石証拠が増えるにつれて、アフリカ起源説が崩れてきています。

図 多様な類人猿の祖先(左からドリオピテクス、シバピテクス、オウラノピテクス)

 

この間、人類の起源を探る中で、現生人類につながる原人=ホモ・エレクトスが、ユーラシア発の可能性を紹介してきました。

では、類人猿はどうでしょうか。

人類につながる類人猿は、どこから生まれ、どのように進化したのでしょうか。その謎に迫っていきます。

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posted by ando-tai at : 2022年04月01日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.03.31

ホモ・エレクトスから現生人類へ 拡散するための知能進化と豊かな交配が人類へ繋がる

皆さんこんにちは。これまで人類の起源を追求してきました。

 


前々回は、

「脳容量950㏄。原人の中で最も繁栄した種として知られているホモ・エレクトスは、アジアにもアフリカでも化石が出土しています。」
「広域で移動したホモ・エレクトス、最古のものはユーラシアで発見されています。」
「デニソワ人のDNAには、100万~50万年前に存在していたホモ・アンテセッサーのDNAが混在しており、アフリカ人よりもネアンデルタール人に近いことが分かっています。」「デニソワ人のゲノムは現生人類にも存在することが分かっています。」

前回は、

「“非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5~2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。」

「分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万~55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。」

と、追求しました。これらも含めてさらにまとめをしてみたいと思います。
焦点は、『人類』の起源はどこか、どう進化したか。

アフリカ起源説から脱却し、広く見て行くと、アジアの「ホモ・エレクトス」に注目せざるを得ない、と思います。結論から言うと、アフリカからユーラシアの広範囲に拡散したホモ・エレクトスこそが、人類(ホモ・サピエンス)の共通祖先であると思います。

ホモ・サピエンスは亜種の集合 同じく拡散したホモ・エレクトス経由の可能性

生物学的には、交配して子を産めるものを同種或いは亜種とし、子が生まれないものを別種とします。現生人類は、欧州人もアフリカ人も、日本人でも混血が可能なので、同種、亜種です。よく、ホモ・サピエンスという「新人」が一種しかないことが人類史の謎とされますが、ネアンデルタール人やデニソワ人、ホモ・エレクトスと交配出来た多様な「同種」「亜種」がいる事から、「サピエンス」だけを特別に「種」として取り上げるのでは無く、多くの同種、亜種の中で現生人類の数種が生き残っていると考えるべきと思います。

2010年の研究で、アフリカのネグロイド以外の現生人類に、ネアンデルタール人の遺伝子が1~4%混入しているとされ、その後2020年に、アフリカ人にも僅かに痕跡があると追加されました。ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンス以前にユーラシア大陸の広範囲に拡散し、現生人類に繋がる交配を繰り返していたことになります。

アルタイ山脈で発見されたデニソワ人も、その遺伝子を現在のポリネシア人、メラネシア人らが受け継いでいると言います。ネアンデルタール人が母、デニソワ人が父とされる少女の骨の分析結果もあるのです。

現生人類も実はホモ・サピエンス・サピエンスと言い、ホモ・サピエンスの「亜種」です。現生人類は、ネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドなどの「人種※生物学的な種ではない」に分かれ交配できます。つまり、アフリカでのみホモ・サピエンスに進化した事と現生人類が実は多様であることは、むしろ矛盾する、と思います。

問題は、この時代より少し昔。ホモ属のどれが、彼らと結びつくか、です。

一般には、少し古い原人の、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ドイツ)、ホモ・アンデセッサ-(スペイン)、ホモ・エルガステル(東アフリカ)らが、ホモ・サピエンスに繋がるとされる一方、ネアンデルタール人と同じくらい広範囲に拡散していたホモ・エレクトス(ジャワ原人、北京原人)は、直接結びつかないと言います。

しかし、ホモ・アンデセッサ―とハイデルベルゲンシスは、同じ遺跡から発掘されたり、北京原人にも類似しているなど指摘され、必ずしも別系統とは言い切れないように思います。日経ナショナル ジオグラフィック社「人類史マップ」サピエンス誕生・危機・拡散の全記録P26-P27によれば「データが欠けている」とのこと。データが「欠けた」だけで済ませず追求すれば、ホモ・エレクトスの広範な拡散と、ホモ・サピエンスのそれが類似していることに気づくと思います。

ホモ・エレクトスとその他の当時の原人らが、交配可能かどうかはまだ分かっていませんが、可能性は十分にあります。

同時代に暮らす彼らが、共通祖先をもつ同種若しくは亜種と考えるのは自然です。中でもアジアに居たのはホモ・エレクトス。これまでアフリカ起源説を証明しようとアフリカばかりを調査したので、アジアの調査が不十分、かつ、アフリカ起源から脱却しないと、事実は掴めないと思います。

脳容量1000㏄以降の拡散 知能進化が拡散、生存に不可欠

脳容量が950㏄に達するホモ・エレクトスは、言語が使えるかも知れません。

広範に拡散するには、その土地の特徴を受け入れ適応する必要があります。その為、単独や小家族で行動するのは難しいと思います。数十人の「集団生活」の方が、互いに助け合いながら工夫して生きていけるので、生き残る可能性が高いことは、分かりきったこと。集団で暮らし、互いの様子を注視して同化し、その結果さらに進化した知能で言語も使い、コミュニケーションする。これらの行為は、彼らの「知能」を格段に進化させた。だから、様々な自然外圧にも適応できより広範に拡散できた、と考えるのが自然です。

ホモ・エレクトスより少し古いホモ・ハビリスの脳容量は600㏄、少し後のホモ・エルガステルは1000㏄。現生人類は1350㏄。やはり脳容量が1000㏄位になって初めて拡散、適応が可能なのだと言えます。

※「二足歩行→道具」が脳進化の原因とする学者たちが多いですが、そうではなく「集団行動」が知能進化を促したと考えるべきでしょう。

そう考えると、よく言う「出アフリカ」も、何もせずアフリカにじっとしていて新人に進化することなど、どうやって出来るのか疑問になります。広い世界を体験し、試行錯誤し、時には交配して遺伝子を交換するなどして、ようやく世界に拡散できるのだと考えれば、人類が進化したのはアフリカの外、になると思います。

直立二足歩行できる類人猿はアジアに生息するオランウータン

アフリカ起源説では、人類と共通の祖先をもつのはチンパンジーだそうです。ヒトとチンパンジーはゲノム配列の98%が同じと言います。2002年に日本人が計測したゲノム配列の違いが1.23%だったそうです。が、実はだから何のか、さっぱり分かっていないと言います。例えば、ヒトのゲノムの数は30億塩基対と言いますが、マウスも33億塩基対あると言い出すなど、正直訳が分かりません。ヒトゲノム解読の修正報告は現在も継続しています。

形態学的には、チンパンジーとゴリラは、基本的には4足歩行です。類人猿で直立二足歩行できるのは、ボルネオ島とスマトラ島に生息するオランウータンだけです。オランウータンは、かつてマレー半島にも居て、人類との分岐は1400万年前と言われます。シバピテクスという1300万年前の人類(?)化石は、インド北部で見つかっています。結局アフリカよりアジアの方が類人猿、人類の繋がりは豊かで古いのです。が、何故か学会はアフリカ起源。しかも出アフリカを原人にもネアンデルタール人にもホモ・サピエンスにもあったと言う始末。その根拠は全く不明です。

まとめ

広範に拡散したホモ・エレクトスのどれが現生人類に繋がるか。確たる証拠は有りません。

しかし、現実に現生人類がいる事、その手前にネアンデルタール人、デニソワ人が居て、ホモ・エレクトスも含めた交配の可能性があることから、最も広範囲に拡散したホモ・エレクトスにその起源を求めることはごく自然なことと思います。

アフリカのホモ・エルガステルも、よく研究すればホモ・エレクトスか、その亜種の可能性があります。ホモ・エレクトスは、他の古人類と比較するとかなりがっちりした体格でした。現生人類はむしろ華奢な体形。ホモ・エレクトスが、華奢な他の原人や旧人と交配して後にホモ・サピエンスが誕生したと考えれば説明できます。

アフリカに拘らず、中央アジアのアルタイ山脈から東南アジアまでで様々な交配をし拡散したと、アジア中心に考えた方が答えに近づけるのは間違いありません。

しかも起源は「単一」ではなく、そこかしこで交配と遺伝子交換を繰り返しながら、集団生活をし続けることで、次第に人類となっていく。多少の亜種があるのは地域性のある証で、従って、多地域で豊かに進化したと思います。

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posted by sai-yu at : 2022年03月31日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.03.25

ネアンデルタール人とホモサピエンス、デニソワ人はホモエレクトスから分岐した可能性が高い?

 

■ネアンデルタール人とホモサピエンス

 ネアンデルタール人は約40万年前に出現し、約4万年前に絶滅したと考えられている化石人類、ホモサピエンスは30万年ほど前に誕生した新人と言われています。

様々な研究がありますが遺跡の出土した地域と骨の違いによって判別されています。両者に共通点と違いは何かを整理しました。

 

 

表作成参考:リンク、リンク

 

ちなみに、通説では私達の祖先はホモ・サピエンスと言われ、ネアンデルタール人は絶滅したと言われています。

絶滅した理由はまだ明らかになっていませんが以下の3つが仮説として挙げられています。(リンク)

 

【1】氷河期の気候変動の影響で絶滅した(カタストロフ説)

【2】伝染病蔓延(カタストロフ説)

【3】ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を追いやった

 

絶滅の理由についてはまた次の機会に深堀りしてみたいと思います。

 

■ホモ・サピエンスもユーラシアで誕生した?

 

現在知られている限り最古の化石がアフリカ北西部のモロッコから出土し、さまざまな遺伝子データにもとづく分析も、ホモ・サピエンスの直接の先祖が、アフリカを源に発しているという仮説が有力視されています。(アフリカ単独起源説)

 

ただしアフリカ単独起源説では辻褄が合わない事象もあります。

 

“ホモ・サピエンスと近縁の別の種や亜種の化石記録は、この「アフリカ単独起源説」がなかなか一筋縄ではいかない可能性を示している。最古のホモ・サピエンスが登場した時、たくさんのホモ属の集団が、ユーラシア大陸の各地にすでに進出していたからだ。

 

 例えば、北京原人やジャワ原人はどちらもホモ・エレクトスという別の種に属すが、その出現年代はなんと約70万年以上前だった。ということは、いわゆる「原人」と呼ばれる種のいくつかは、アジア南東部を占めるかなり広範囲まで進出していたことを示している。(リンク)“

 

デイヴィッド・ライク氏は現代人のDNAから解析した調査から以下のように考察しています。

 

“非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5~2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。

(※サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。)

 

分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万~55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。(https://diamond.jp/articles/-/182802)“

 

ネアンデルタール人とホモサピエンスは多くの共通点が存在していること、また交雑をしていることからアジア南東部の広範囲を占めていたネアンデルタール人とホモサピエンス、デニソワ人は共通のホモ・エレクトスから分岐したのではないか。

 

と考えられます。

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posted by hanada at : 2022年03月25日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2022.03.24

原人から新人への移ろい~アジア起源説も可能性として高い~

これまでの追求ではホモ・エレクトスは広範囲で繁栄し、様々な種へと分岐していることがわかりました。また、猿人から原人へのつながりは不明ということも分かっています。時期も被り、明確に起源が分かっていません。

 

今回は原人から新人の移り変わりについて追求していきます。

追求する中で見えてきたのは、現生人類と呼ばれているホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人へと分岐した可能性のあるホモ・アンテセッサーという種。この種を追求することで私たち人類の起源が分かるかもしれません。

出典: G.M.P.E.

◆ホモ・エレクトス(原人)

脳容量950㏄。

原人の中で最も繁栄した種として知られているホモ・エレクトスは、アジアにもアフリカでも化石が出土しています。

それ故にどこから現れたのか不明でしたが、当ブログでの調査では、化石を旧い順に年代別で見ていくと、

従来、原人はアフリカ発と考えられていましたが、近年の発掘でアフリカ起源説が揺らぎ、ユーラシア起源説の可能性が高まっています。現生人類の進化の謎を握る原人=ホモ・エレクトス。ユーラシア発の可能性 – 縄文と古代文明を探求しよう!

 

一般的にはホモ・エルガステル(アフリカ)からホモ・アンテセッサーが分岐したとされています。

ですが、広域で移動したホモ・エレクトス、最古のものはユーラシアで発見されています。

 

◆ホモ・サピエンス(現生人類)

脳容量1500cc ~1350cc。

最古の現生人類は20万年前の東アフリカを起源とし、アフリカの狭小範囲で生活していた」という考えが定説でしたが、それを覆す頭蓋骨の化石がモロッコで発見。最古の現生人類は約31万5000年前ということがわかっています。

Jebel Irhoudという場所で頭蓋骨や石器などが発見されており、頭蓋骨と同時代のものと思われる石器は火を用いた跡があったため、熱ルミネッセンスによる年代測定などによる複数の測定したところ、頭蓋骨と石器が30万年前のものであると結論づけられています。

 

ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子が混入している。

 

◆ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)

脳容量1600~1300cc。

最古の化石はドイツのネアンデル谷で発見されており、43万年前と推定されている。

移動範囲は広く、西欧州からシベリアに及んでいます。また、寒冷に適用した種としても認識されています。

現生人類との交雑(交配)も確認されており(共生していた)、現生人類に寒冷適用に有用な遺伝子群をもたらしています。

 

後述するデニソワ人とも共生している。

 

◆ホモ・サピエンス・デニソワ(デニソワ人)

画像:「人類史マップ」サピエンス誕生・危機・拡散の全記録P77(日経ナショナル ジオグラフィック社)シベリアのアルタイ山脈に暮らしていた3つの人類

ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟で発掘され、4万1千年前に住んでいたとされています。

脳容量は小指の骨と頭蓋骨の破片、割れた顎骨、数本の歯しか見つかっていないため不明。

デニソワのDNAには、100万~50万年前に存在していたホモ・アンテセッサーのDNAが混在しており、アフリカ人よりもネアンデルタール人に近いことが分かっています

ユーラシアにいたホモ・エレクトス(ジャワ原人)や北京原人を祖先とする可能性が高いです。

 

デニソワ人のゲノムは現生人類にも存在することが分かっています。

デニソワ人は実は1つのグループではなく、独立した3つのグループが存在したことが示唆されています。そのうちの1つは、ネアンデルタール人とデニソワ人の違いと同じくらい、他のデニソワ人と異なっているという。

さらに、1つのグループは、およそ4万年前に姿を消したネアンデルタール人よりも新しい時代まで生き残っていた可能性が浮上しています。デニソワ人は少なくとも3万年前、おそらく1万5000年前まで、ニューギニア島で現生人類と共存し、交配していたとされています。この年代が確かなら、デニソワ人は、知られている限り、私たち現生人類以外で最も最近まで生きた人類ということになります。

デニソワ人に別グループ、アジアでまた驚きの発見

 

◆ホモ・アンテセッサー

出展:すでに絶滅した驚くべき人類・14種

1994年にスペインのアタプエルカにあるグラン・ドリナ遺跡にて発見された30以上の化石群が発掘されています(グラン・ドリナ遺跡の他には出土していない)。

120万年~80万年前にスペイン、そしておそらくイギリスとフランスに存在していたとされています。

同遺跡では、ホモ・ハイデルベルゲンシスの化石も発見されており、連続性が主張されている。

※ホモ・ハイデルベルゲンシス1907年にドイツのハイデルベルク近郊のマウエル村で出土。ホモ・エレクトスに酷似。

グランドリナ遺跡からのもう1つの重要な発見は、15〜16歳のホモ・アンテセッサーの女性の顎であり、ホモ・エレクトスの遺体である北京原人と非常に明確な類似点を示しています。これは、ホモ・アンテセッサーのアジア起源を示唆しています。ホモ・アンテセッサー:この絶滅種の特徴 – 心理学 – 2022

 

まとめ

デニソワはシベリアで発掘。ネアンデルタール人も移動範囲がシベリアまで及んでいる。

ホモ・サピエンス(現生人類)にはネアンデルタール人やデニソワ人のDNAが混入しており、アフリカが起源とは言い難いです。

また、デニソワ人にはホモ・アンテセッサーのDNAが混在していることも重要なポイント。

ホモ・アンテセッサーはスペインでのみ化石が発掘されていますが、北京原人との明確な類似点が存在するため、デニソワ人は北京原人(ホモ・アンテセッサー?)から分岐している可能性もあります

つまり、ホモ・アンテセッサーはアジア起源説という可能性が高いです。

 

また、原人と新人の移り変わりですが、明確な文献は存在しないことが今回の追求で分かってきました。

それぞれの種に、ほかの種のDNAが混在している研究結果から様々な年代で交雑していることが分かります。

ネアンデルタール人やデニソワ人の絶滅は滅ぼされたという受動的なものではなく、交雑を繰り返すなかで純粋な種が減っていたのではないでしょうか。現に我々のDNAにも組み込まれているのですから。

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posted by matudai at : 2022年03月24日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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