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火の使用は約80万年前。エレクトスの居たユーラシアでの発見が多い

みなさん、こんにちは。

前回(4/8)の記事 [1]では、人類が人類たる特徴について、「火の使用」を挙げました。

火は、本能で生きる動物にとっては危機=恐怖の対象ですが、人類は観念機能を使って火の奥にある法則を見出し、活用しました。

これによって、煮炊きなどの調理が可能になったこと、火を囲い暖をとること、土器などの道具をつくることが可能になりました。これまで骨髄や根っこなどで食いつないでいた人類にとって、食糧の幅が広がり、生存率は劇的に上昇したと推測されます。

集団規模が増えることによって、集団内の協力・対話・追求も増え、自然に対峙しながら徐々に脳容量を拡大させていったのでしょう。

写真は中国周口店で見つかった、火の使用の痕跡

火の使用はいつ頃、そして、誰が、どの場所で行ったのか。それを考えていく上で、火の使用跡がある遺跡を整理しました。

 

前提条件として、人が火を使っていたかどうかを調べるのは非常に困難です。なぜならば、小規模な火の跡は風雨にさらされるなどして証拠が遺物として残らない場合があるからです。また、火の痕跡があっても、化学反応、火山活動、落雷などによる自然発火等の現象である可能性もあります。

アフリカのケニア・バリンゴ湖付近の遺跡で約140年前の火の痕跡が見つかったと言われています。その理由として、ホモ・エレクトスの遺骨と共に加熱により変色した土壌が見つかったことが理由に挙げられますが、これは自然発火の可能性があり、明快な根拠になりにくい。

同様に、南アフリカのスワートクランスの150万年~100万年前の遺跡で動物の焼けた骨が見つかっていますが、これも当時の人類が焼いた決定的な証拠はありません。

 

したがって、明らかに火の使用の痕跡があるもののみに絞って、整理しました。

 

■火の使用の始まり(前期旧石器時代)

図は当ブログで作成

 

アフリカと中近東

・イスラエルのベノット・ヤーコヴ橋の河岸にあるゲシャー遺跡では、ホモ・エレクトスかホモ・エルガステルが79万から69万年前に火を使っていた証拠がある。焼けたオリーブ、大麦、ブドウの種や、木、火打石が残されており、火を使った確実な証拠としては、これが世界最古のものと見られている。

 

・南アフリカのハーツ洞窟には紀元前20万から70万年前、モンタギュー洞窟には紀元前5万8千から20万年前、クラシーズ河口洞窟には12万から13万年前のものと見られる跡がある。

 

・ザンビアのカランボフォールズにも、焦げ跡、炭、赤く変色した土、燃えた植物、焼き固めた木の道具など、人類が火を使った証拠がいくつも見つかっている。放射性炭素年代測定やアミノ酸ラセミ化反応年代測定法により、年代は紀元前6万1000から11万年のものと見られている。

 

・スティルベイ文化のもとでは、火はシルクリート石器の加熱処理にも使われていた。発見された石器は紀元前7万2千年前のものだが、加熱処理自体は16万4千年前から行われていた可能性がある。

 

・イスラエルのテルアビブから12km東にあるケセブ洞窟では、更新世後期である紀元前38万から20万年前に火を日常的に使っていた跡が残っている。強い火で加熱された骨や土の塊から、火の近くで獣を殺して解体したことを示唆している。

 

ヨーロッパ

ヨーロッパでもホモ・エレクトスによる火の使用の跡と見られる遺跡が見つかっている。

 

・ハンガリーのベルテスゾロス(英語版)で見つかった遺骨、通称サムの住んだ遺跡で、炭は見つからなかったものの、約50万年前の地層から焼けたような骨が見つかっている。

 

・イギリスのウェスト・ストーにあるビーチズ・ピット(Beeches Pit)には、直径約1メートルにわたって黒く変色し、周囲に赤い堆積物が残っている遺跡があり、少なくとも40万年前のものと見られる。ただしこれを火の使用の証拠とする見解には異論もある。

 

・ドイツのシェーニンゲンの40万年前のものと見られる遺跡からも、投槍、食糧と見られる馬22頭分の遺体と共に、火打石や炉と見られるものが見つかっている。

 

・スペインのトラルバやアンブロナでは、紀元前50万から30万年前の炭と木が、アシュール文化の石器と共に見つかっている。

 

・フランスのサンテステーヴ・ジャンソン(英語版)では20万年前の炉が5つと赤土がエスカーレ洞窟の中で見つかっている。

 

アジア

・中国の周口店には、いわゆる北京原人による紀元前23万から46万年頃に火が使われた跡が残っている。約78万年前とも考えられている。周口店第1地点の第10層には、焼けた骨、焼かれた小石の加工品、炭、灰、炉、ホモ・エレクトスの化石と思われる証拠が残されている。周口店第1地点から見つかった骨のマンガン変色は、古くなってできたものではなく、加熱した痕と判明した。破片の赤外分光スペクトルも骨が酸化していることを示していた。また、見つかった無変色の骨を研究所で加熱したところ、変色した骨と同じものができた。ただし、この加熱は人類によるものではなく、自然加熱された可能性もある。この層からはケイ素、アルミニウム、鉄、カリウムなどの酸化物は見つかっているが、木を燃やしたときに発生する珪酸化合物は見つかっていない。

 

・中国の山西省にある西侯渡では、燃やされて黒や灰、灰緑に変色した哺乳類の骨が見つかっている。雲南省の元謀県でも、元謀原人による焼かれた骨が残っている。この年代は古地磁気の研究から約70万年前のものと見られる。

 

・ジャワ島のトリニールでも焼かれた骨と炭と見られる跡が残っている(いわゆるジャワ原人の遺跡)。これは50万年前のものと見られている。

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いかがでしょうか?

人類が火を使用した痕跡があるのは、約80年前。特に年代が古いと思われる場所はイスラエルや中国です。もちろん、これからの発掘作業により、場所や年代が変わることは想定されますが、大きくはユーラシア大陸で火の使用の痕跡が見つかっています

これはホモ・エレクトス(原人)の活動エリアとリンクしており、やはり原人が人類の人類たるゆえんである活動をはじめたと思われます。

 

参考・引用:ウィキペディア他

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%88%E5%B1%9E%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%81%AB%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8

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