2013.02.25
伽耶を知れば古代日本が見える~プロローグ
「自分(家族)のルーツを知りたいと思う事があるんです。だって面白いじゃないですか。 ○×家の古文書なんかが出てきたらすごい!と思いますヨ。」
仲間内で話しているときに、若手の女性から出てきた話です。
その話で盛り上がっていた時に、そういえばという事で、他のメンバーからも郷土の風土は確かに知りたい、地元の昔を知りたい、親から祖先の話を聞いてみたくて話込んだ、等ルーツ絡みの話がいろいろ出てきました。
これはどういった意識潮流でしょうか?自分達のルーツを知りたいという思いは単に面白いからというだけではないようです。先行きが見えない、収束不全発の閉塞感から一旦過去に遡る意識、つまり原点回帰⇒事実追求の潮流の一つだと思います。
同時に3・11以降、顕著に見られるのが反欧米、反経済至上への意識で、その中で日本人の成り立ちを知りたい、歴史の本当の事実を知りたいという意識潮流は確実に起きています。最近ではそれに答える本やTV番組が組まれるようになりました。一例ですが、つい先日、NHKで聖徳太子は架空であった という特集番組が流され、これまで教科書で学び誰も疑ってこなかった歴史事象の嘘が明らかになってきています。
時の為政者の都合で日本書紀や古事記が編纂された事が“事実”なのです。
そのような中で、日本古代史は未だに謎に包まれております。どのような民族が入り、どのように統治が始まったのか?その帰結として建国の中心にはどのような勢力が支配していたのか、天皇家の出自を含め全てを明らかにするには、大和建国は未だ神話という霧に包まれたままです。
日本書紀や古事記と言う偽書に阻まれ、日本人は自らの出自を知りたくても知る術がないのです。謎と言えば謎ですが、言い換えれば大和建国は追求する上で何重にも嘘が塗り重ねられ壁となっているのです。
posted by tano at : 2013年02月25日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2013.02.20
弥生時代再考(4) 出雲とは縄文である!!
出雲は渡来人と縄文人の合流地
(画像はこちらから)
出雲地域は渡来人が入り込む前は、寒冷化に伴い東北から南下してきた縄文人が相当量住んでいました。今も出雲地方にのみ東北弁が残っているのもそのためなのです。出雲の地は漁労採集を生業とする縄文人にとって安住の地となります。当然かつて東北でそうしたように、出雲を拠点に縄文(交易)ネットワークを形成していたであろうとは容易に想像できます。
そこに紀元前5世紀から渡来人が入り込んできます。地形を見ればわかりますが、朝鮮半島からは北九州を除けば最も近く、中海という良港を持つ出雲は必然的に、海を渡る渡来人が早くから辿り付く事になります。前5世紀、越滅亡に伴い朝鮮半島の弁韓と出雲に別れて渡来したのが越人です。越人は既に呉人が先行して渡来して集落を形成していた北九州を避け、出雲を拠点に日本海側に広がり北は新潟まで辿りつきます。それらの地域は現在でも越の国と呼ばれており、この越の国の基盤が後の出雲の国づくりの基盤となるのです。
つまり、北九州は沖積平野によってきできた平地が広く、そこに渡来人がコロニーを作る事は容易でしたが、出雲に入り込んだ越人は、既存の縄文人ネットワークを上手く利用させてもらうためにも、縄文人集落の間にどっぷり入り込まざるを得えなかったのです。
そこでできあがったのが大国主命信仰です
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posted by mituko at : 2013年02月20日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2013.02.11
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?8(最終回)~統合様式と宗教の関係
ブッダガヤの画像は、ここからお借りしました。
こんにちは。静かなマイブームのインドですが、この「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?」シリーズでは、インドの歴史と社会構造、社会規範、仏教やヒンドゥー教などの人々の観念世界などをみてきました。
このような、共認統合された社会が私権社会(略奪と市場原理の社会)に出会った場合、その社会が生み出す観念には、特徴があるように思えてきました。共同体体質の残存度が最も高いといわれる日本が作ってきた観念(神道に代表される精神構造など)と似ているところもあり、その本質を探っていきたいと思います。
また、このような社会統合様式が人々の意識=観念体系を規定している要因を探って最終回としたいと思います。
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posted by 2310 at : 2013年02月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2013.02.05
弥生時代再考(3) 古墳の謎を一挙解明
古墳には謎がたくさんあります。“巨大”であること、数の多さ、カタチの統一、ヤマトの立地、突然造られなくなることなどです。前回の記事、渡来人が成した金属信仰~青銅に神が宿るを受けて、古墳の謎の解明にチャレンジします。
一大土木事業に駆り立てたのは戦争圧力
3世紀半ばから青銅器が消滅し、代わって巨大な古墳が造られるようになります。前方後円墳や前方後方墳という統一された様式で、7世紀までに全国に16万基あまりが造られます。
巨大古墳の造営は、最大で延べ500~700万人、工期15~16年を要する一大土木事業です。しかし、この事業は生産力向上に直結しません。にもかかわらず、そのような労働力を振り向けるには、相応の理由があったはずです。全国的に様式が統一されているということは、中央政権にとっても、各クニの首長にとっても、それだけの労力を掛けるべき課題だったと考えられます。そのような連合国のトップから平民までをも貫く重要課題は、国家レベルの外圧=戦争圧力です。
戦争に備えるのならば、生産力を増強し、軍隊や武器の強化も考えられます。しかし、当時の弥生人を形成した渡来人は、大陸の戦乱による難民であり、弱者でした。また、日本には武器をつくる資源も乏しい状況でした。そこで、彼らはいかに戦争を回避するかを考えたのです。
posted by kumana at : 2013年02月05日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2013.01.30
なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?7~ヒンドゥー教の成立
前の記事:シリーズ「なぜ、仏教がインドが根付かなかったのか?6」~仏教の成立、社会とのズレ~で
>新興宗教が勃興する中で、バラモン階級もその存在意義をかけて、現実と人々の意識を直視し、硬直した思想と体制を見直したのかもしれません。
その結果、社会秩序を司る身分制度を「安定」基盤としつつ、様々な現実の問題に柔軟に対応する「変異」の要素を併せ持つことで現代まで続く精神基盤となり得ました。
そしてこれが、「ヒンズー教」へと発展してゆきます。
インド人の83%が信仰するヒンズー教も、人々の意識を統合するためにその内容を時代に応じて変容して行くようです。
この流れを見て行きたいと思います。
先ずは、いつものように応援お願いします。
ここからお借りしました。
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posted by sakashun at : 2013年01月30日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2013.01.28
弥生時代再考(2)渡来人が成した金属信仰~青銅に神が宿る
弥生時代は稲作農耕の始まりでもあり、金属器の始まりでもありました。そこで今回はこの「金属器」に焦点を当てて弥生時代から古墳時代への変遷を追っていきたいと思います。
ここでいう金属器とは青銅器と鉄器のことで、中国やヨーロッパでは、先に青銅器が、後に鉄器が使用されるのですが、日本ではほぼ同時に使われ始めました。それぞれの特徴を生かして、堅くて丈夫な鉄器は、主に農耕具などの利器として、柔らかく加工しやすい青銅器は、神具として発展していきます。
銅鐸 銅剣
鉄の農具
今回の記事では、西日本のほぼ全域に分布し、さまざまな形をもった青銅器製祭器について書いてみたいと思います。
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posted by hi-ro at : 2013年01月28日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2013.01.23
なぜインドで仏教が根付かなかったのか6~仏教の成立、社会とのズレ
皆さんこんばんは。なぜインドで仏教が根付かなかったのかシリーズ。
今回はいよいよその本丸となる仏教の成立に目を向けてみたいと思います。
題して、 「仏教の成立、社会とのズレ」
さて何がズレていたのでしょうか。
見てゆきたいと思います。
画像はこちらからお借りしました
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posted by yama33 at : 2013年01月23日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2013.01.22
マヤ・アンデス2大文明の伝え(最終回)~人類史の普遍構造は未来へ繋ぐ
このシリーズもいよいよ最終回になります。
アンデス、マヤは近年注目され、マチュピチュや古代マヤ遺跡の壮厳な遺跡に多くの人々が関心を示しています。これはそれらの遺跡や歴史が現代文明から見て理解が及ばないという点で曳き付けられているだけではなく、実際には、これらの石塊がなにか私たちに語りかけている、人類史の本質のようなものがあるように思うのです。今回のテーマは潜在思念上に沸き起こるそれらの疑問を拾い上げ、その正体は何かを追求してみようと思いました。
マチュピチュの石の遺跡~こちらからお借りしました。
マヤのピラミッド~こちらからお借りしました。
当初プロローグで掲げた思いを振り返ってみます。
>マヤ、アンデスに生まれた2大文明は戦争こそあれ最後まで完全な私権社会とはならず、国家や王が民から祀り上げられ、また民の労働や共認によってそれらが維持され、4大文明とは異なる価値観、統合軸で作られてきたように思われるのです。
「アンデス・マヤ2大文明の“伝え”~プロローグ」
過去8回の記事を踏まえ、この2大文明を俯瞰し、現代へ繋がる警鐘を探っていきたいと思います。また両文明が明らかに4大文明と異なっている事は見てきましたが、それが何を示しているのか、本来の先進文明とは何か、改めて私たちが立ち戻るべき原点は何かについて最後に考察していければと思います。
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posted by tano at : 2013年01月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2013.01.13
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”8~アンデスは事実認識に基づく超集団統合を実現していた
アンデス・ティワナク遺跡 太陽の門
みなさんこんにちは、前回はマヤ文明の時間の概念について追求してきました。天体の動きやそのリズムをさえも対象化し、宇宙全体をも生命体として捉える彼らの感性は、私達に自然の摂理の中で生きるとはどういう事なのか?という本質的なヒントを与えてくれたように思います。彼らマヤ・アンデスの人達の精神世界の奥深さにはいつも驚かされます。
さて、今回は彼らの精神世界を識る上で欠く事のできないアンデス文明の「神殿(?)」について扱います。
私たち縄文人と同じく共同体的なアンデスですが、彼らは縄文人とは異なり、古くから石の「神殿」を作っていました。
神殿に、(?)をつけたのは、追究していく過程で、これは本当に「神殿」という捕らえ方でいいのだろうか?と疑問を持たざるを得なくなったからです。そして、アンデスの「神殿(?)」を突き詰めると、彼らの歴史の驚くべき側面、そして現代に繋がる大きな可能性を感じるようになってきました。
今回は、地域も歴史も違うアンデスの人達から一体何を学べるのでしょうか?
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posted by fwz2 at : 2013年01月13日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2013.01.12
なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?5~古代インドの社会構造
写真はこちらからお借りしました
前回は、「身分制度・ヴァルナの形成」をお届けしました。
今回は、仏教が生まれた時代はどのような社会だったのかを見ていきたいと思います。
仏教が生まれた時代のインドは幾つもの都市王国が頻繁に闘争を行っており、徐々に統合されていく時代でした。
仏教が生まれた時代と言うと、自分の内面を見つめる平和で落ち着いた社会をイメージしてしまいますが、現実には交易による経済発展と貧富の差の拡大、王に対して商人が力を付け、市場拡大が進展する、私権獲得の可能性が開かれた時代でした。
先ずは、いつものように応援お願いします。
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posted by sinkawa at : 2013年01月12日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList