2012.12.04
日本の源流を東北に見る(9)~大和支配の外にあったもう一つの日本
東北シリーズ、これまで8回進めてきましたが、自然への同化、縄文への回帰という部分が東北の特徴としてキーワードになってきました。しかしこの東北の地も弥生時代を超えると西日本と同様に否応なく渡来人の影響、支配を受けるようになります。
ではその影響も西日本と同様だったのでしょうか 🙄 ?
いえ、やはりここでも、東北は西日本とは違った影響を受けているようです
今回はそれ以降の東北の歴史の一側面を形成していった渡来人の流れを追ってみたいと思います
日本には大きく朝鮮半島からの渡来民がさまざまに関与しています。
百済、新羅、任那といった南朝鮮の渡来民は西日本へまず定着し、水田稲作を伝えながら大和朝廷を作りますが、朝鮮半島の北方、高句麗から来た渡来民はそれらの地域とは別の場所を目指したようです。
東北の歴史に大きく影響したのは高句麗でした。
画像はこちらとこちらより頂きました。
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posted by mituko at : 2012年12月04日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.11.30
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”6~労働を充足源とすることで秩序を生み出した~
突然ですがみなさん、”労働”と聞くとどんなイメージですか?
「私は会社に行くのが楽しみ 」なんて人から、「”労働”だなんて聞くだけでもイヤ 」なんて人まで、いろいろでしょうか?
今回はアンデス文明に興った、インカ帝国の人々の労働観に迫ってみたいと思います!
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posted by pingu at : 2012年11月30日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.11.27
日本の源流を東北に見る(8)~芸術とは自然の表現そのもの
こんにちわちわわです
東北にはさまざまな伝統工芸が今でも息づいています。
これらの伝統工芸の起源は、朝廷に奉納するために地元の産物を巧みな技術で芸術のレベルまで昇華させたものがほとんどです。傑出した作家が作り出したのではなく、庶民の生活の中から素人が創りだしたものであることが特筆されます。
こうした技術の背後にあるものは何なのでしょうか?
今回は東北の工芸にスポットを当て、日本の伝統美の源流を探っていきたいと思います。
芸術すばらしいと思った方↓↓ぽちっと!!
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posted by tiwawa at : 2012年11月27日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.11.22
「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?~統合様式と宗教の関係~第2回 仏教とインドの歴史(概要)」
ここからお借りしました。
意外と知っていそうで知らない「仏教とインドの歴史」の概要を、以前に当ブログで扱った内容をダイジェスト的にまとめて見て行きます。 🙄
おおまかに見ると、仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれました。その時代は、交易から商工業が発達し、貨幣経済に入り、私権意識が顕在化し、貧富の格差が拡大する時期でした。豊かになるとカーストのトップは腐敗し、最下層は困窮します。その一方、王侯や商工業者の新勢力は、自らの私権の拡大を阻害するバラモン思想への反を希求し、仏教を支持して行くようです。
まずは、上記の流れを見て行きます。 😉
いつものように応援をよろしくお願いします。
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posted by sakashun at : 2012年11月22日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.11.21
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”5~人類は自然の一部であり循環の中に生きてきた~
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”4では「アンデスの人々は、根底的に、自然の摂理にそって集団を維持し、利器や技術に過剰に頼ることを避け、身体能力と観念機能をフルに使っていた。」ことが示されました。今回はその産物である「神殿」について追求してみたいと思います。
太陽の神殿 | 月の神殿 |
アンデス文明は過去に繁栄した文明であり、物質的存在としての文明は壮大な遺跡を残すのみで既にありません。ですが、その精神的伝統は強い影響力を持ち続け、現在でも形を変えて存在しています。
これはアンデス先住民族に伝わる古代の伝統(アンデス・シャーマニズム)、いわゆる先住民族自身の間で「アンデスの宇宙観」と呼ばれているものです。
上記のマチュピチュの遺跡やナスカの地上絵などアンデスには気になる遺跡も多くありますが、この宇宙観・精神的伝統を追求していけば遺跡・神殿の目的が見えてくるかも知れませんね♪
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posted by yoriya at : 2012年11月21日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.11.11
日本の源流を東北に見る(7)~東北地方の「絆」の源泉を探る~
東北地方の特徴として次のことが上げられます。
「豊かな人と人の絆に基づく高い地域共同体意識」
- 特徴ある祭り、伝統、文化が存在する。
- 豊かな人と人の絆に基づく地域共同体意識が多く残っており、人々の温かいネットワークが暮らしの中に残されている。
このことは311東日本大震災を契機により鮮明に人々の間で意識されるようになりました。そして、東北のみならずこれからの日本社会にとっても、“再生”が必要なものとして意識されるようになりました。
当然それは一朝一夕にできたものではなく、長い伝統の上に培われたのもです。今日は、この東北地方の「絆」の強さ、その源泉を探ってみます。それは縄文時代にまで遡ります。
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posted by sai-yuki at : 2012年11月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.11.04
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”4~アンデス文明は、徹底して「自然の摂理」に則ることを重んじる文明
アンデス山脈こちらからお借りしました。
みなさん今日は。アンデス・マヤ2大文明の“伝え”第4弾です。前回までメソアメリカのマヤ文明について扱ってきました。まず前回、第3弾の結論を振り返っておきます。
>マヤも徹底して観念収束した社会と言えます。
マヤがここまで観念収束したのは究極的には戦争回避ではなかったのでしょうか?
農耕が始まり、人口が増大し、水や土地を争い必ず戦争が始まる状況が発生します。マヤ人はその状況下でいかに戦争を回避して共存できるかを考えた。そして辿り着いたのが、認識力で決する評価競争の地平だったのでしょう。<
マヤ文明とは、ひょっとしたら「共認社会」の構造に近いかも?と思わせるような認識が得られましたね。まだ、まだ続きますが、一旦今回は、もう1つの新大陸の文明「アンデス文明」を扱います。 ではまず、アンデス文明についての概要です。
●アンデス文明の歴史の概要
アンデス文明は主に高原地域で発展していきます。ペルーからチリ北部にかけての太平洋沿岸地域はほとんど雨の降らない砂漠に近い地域です。灌漑は可能ですが大河もなく農業にとってはほとんど不毛といっても良い環境です。ところが2千メートル以上のアンデス高地は気候はより湿潤になり、土壌も豊かになり、農業に適した地域が存在するのです。
さらにペルーからボリビアにかけてはこの高度が4千メートルにまで上昇します。標高3813mのチチカカ湖がある一帯でアンデス文明が生まれます。それは紀元前3千年にさかのぼり、高度な石器、治金を有する文明として始まりました。
乾燥地帯に囲まれていますが、高地には比較的農業に適した地域があり、高度な文明が発達したようです。では、旧大陸の4大文明と比較したアンデス文明の特徴を、「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」(杉山三郎、嘉幡茂、渡部森哉著)から引用しながら述べていきます。
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posted by fwz2 at : 2012年11月04日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.11.01
日本の源流を東北に見る(6)~東北弁が残り続ける限り、縄文体質は残り続ける~
シリーズ『日本の源流を東北に見る』第6回目は東北方言をテーマに東北の地に流れる日本の源流を探ってみたいと思います。
東北弁と言えば、「ズーズー弁」ですよね。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で、堀北真希演じる「ろくちゃん」(青森県出身の設定)の東北弁を聞いて、何ともいえない懐かしさや、温かさを感じた人も多いと思います。でも、なぜ、東北出身でもない人が、東北弁を聞いてこのような感覚を覚えるのでしょうか。
それは、おそらく他の方言にはない、東北弁が持つ独特のイントネーション、そして鼻にかかった濁音の発音が、私たちを遥か遠い昔のふるさとへといざなうからではないでしょうか。
私たちがそのように考える理由は、東北方言のルーツの中にありました。
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posted by hi-ro at : 2012年11月01日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2012.10.30
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?~統合様式と宗教の関係~」~第1回プロローグ~
このブログでは、かつて「インドを探求する」シリーズで、インドの歴史と仏教などを追求していますが、今回、新たな視点を加え、再構築してみようと思っています。その新たな視点とは、統合様式(支配様式)と最先端の観念との関係構造(統合様式は宗教を含む最先端の観念を規定する)です。
前回、当チームで追求した「シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」では、日本の仏教に触れ、共同体や本源性(受入体質など)を色濃く残してきた地域における仏教の成立と発展の仕方に独特のものがあることが分かりました。
それは、その最終回、【「何か」を信じるのではなく「全て」を受け容れてきた日本人~】のタイトルのように、とことん受け入れ、改良して共同体に溶け込んで発展してきた日本の仏教像でした。
仏教の発祥の地、インドでは、日本同様、本源性を残しているといわれます。「インドを探求するシリーズ」でも分析されていますが、その教えは、遠く離れた日本や東アジア地域の人々の心には、深く、広く行き渡っているのに、発祥の地インドでは、消滅してゆく歴史をたどっています。現在のインドの仏教徒は、人口の1%も満たない状況のようですが、私たちの身近な宗教である仏教の原点の地では、日本とは相当異なる状況があり、改めて考えてみようと思います。
その成り立ちと歴史は、よくまとまっている「インドと探求する」等を通して、他国の仏教の成立と発展を見てゆく中で、支配階級と観念との関係構造を明らかにして行き、「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?」を追求していきたいと思います。
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posted by 2310 at : 2012年10月30日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.10.17
弥生時代再考~プロローグ
みなさん、こんばんわ。 😀
311の震災から1年半が経過しました。福島では現在も放射能が漏れ続け、あるいは放射能を浴びた土や建材の処分地も決まらないまま除染が進まず、震災復興は阪神大震災の時に比べ、遅々として進みません。さらに政治はこの状況下でますます混迷を深めており、対中や対米など緊急の課題を目前に判断保留が続いております。
マスコミや金貸しなど諸所の作為や思惑が背後にあるとは言うものの、日本中が思考停止に陥り続けている現在、改めてこの国の成り立ちと国民の本質である受け入れ=縄文体質について検証しておく必要を感じています。
今回はその第一弾として日本が大きく転換する事になった弥生時代について再度検証しておきたいと考えています。弥生時代再考はその為のテーマとして設定しました。
これまで当ブログでは弥生時代は渡来人と縄文人の平和裏の融合の時代であり本格的な支配、被支配、固定階層化による序列社会の登場(=私権社会)は騎馬民族が登場する古墳時代を経てというように考えておりましたが、そこが本当だろうか?というところが疑問の原点です。
私権原理がどのように登場したのか?まずは世界の文明史を貫通する歴史構造から押えていきたいと思います。
遊牧と農耕(遊牧の画像はこちらよりお借りしました)
posted by tano at : 2012年10月17日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList