2012.10.16
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”3~マヤ盛隆の原動力は人々の評価共認にある
このシリーズのプロローグで提起した「マヤ文明は私権社会なのか?」という問いに今回は試みてみたいと思います。
マヤ文明の特徴はシリーズ1回目(マヤ文明は諸王国と共存したネットワーク社会)で提起したように狭い地域に都市ごとに分かれて共存した共生文明であるという事です。互いの都市は戦争もしましたが、平時は交易や贈与で互いの関係を深め、多くの情報を共有する関係でした。それが一対一ではなく、あらゆる都市が複雑に混ざり合い、互いの特性を主張し、競いあう、いわば都市という超集団同士で切磋琢磨する競争社会でもあったのです。
戦争を起す場合は領土拡大ではなく、その目的は翡翠の産地を巡る争いだった事から、いかに有利な交易品を手に入れ都市間の争いに勝利するかという課題があったと言われています。
また、マヤの最大の特徴が天文学に代表される驚異的な観念力と織物や土器に現れる突出した手工芸の美しさです。インドに先駆けてゼロを発見し、天文学においては様々な暦を組み合わせることで太陽の動きだけでなく月や金星の動き、それを駆使した循環の思想を持っていました。暦の正確さは現在の天文学と比べてもほとんど誤差がなく、その正確さと緻密な計算力は現代人以上であった可能性があります。
また土器においては現在の美術の世界に出しても遜色のない精緻な作りと織物においては原色をふんだんに使い多彩な模様でマヤの服飾はアートとして重宝されています。
マヤ文明の土器と織物
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posted by tano at : 2012年10月16日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.10.11
アンデス・マヤ2大文明の”伝え”2~農耕から読み解くマヤ人の意識~
【色とりどりのマヤの市場】
こちらからお借りしました。
前回の記事から、マヤ文明は自然や人を支配しようとした四大文明とは異なり、諸王国と共存したネットワーク社会であったことがわかりました。
今回は、彼らの生産手段である『農耕』から、マヤ文明そしてマヤ人達の意識に迫ってみたいと思います。
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posted by ty-happa at : 2012年10月11日 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2012.10.10
東北人は同化の民~縄文時代から塗り重ねられた、まつる心~
東北の祭りといえば、跳ねるねぷた、鬼に扮するなまはげや鬼剣舞、動物に扮するえんぶりや鹿踊り、霊を下ろす恐山大祭などがあります。
青森のねぷた 秋田のなまはげ
岩手の鬼剣舞 八戸のえんぶり
岩手の鹿踊り 下北の恐山大祭
世間一般の祭りでは神様や祖霊が別に居て迎えるかたちが多いですが、東北では精霊と一体になるものが多いように思います。
その源流は縄文時代まで遡ります。
土製仮面の出土が多い東北
秋田県麻生遺跡出土の土製仮面(左)と主な土製仮面の出土分布(右)
縄文時代に仮面が出土することがあります。これはシャーマン(女性の長)が身につけ、精霊となってまつりをおこなったと考えられます。その出土数は全国で140ほどですが、その多くが東北(青森が最多)です。原始人類社会では、精霊に扮したり、霊のことばを語る文化が普遍的に見られますが、日本においてはその最盛期が縄文時代で、そのような文化が現代まで息づいているのが東北地方なのです。
どうして東北なのか その答えを求めて縄文時代の土偶から紐解いてみます。
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posted by kumana at : 2012年10月10日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.10.08
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”1~マヤ文明は諸王国と共存したネットワーク社会
<マヤ文明:ジャングルにそびえるティカル神殿ピラミッド>
こちらのサイトからお借りしました
みなさんこんにちは。
アメリカ大陸2大文明を探求しよう!ということで本日から第一弾が始まります。記念すべき第1弾は『マヤ文明』です。
ところでみなさんは、『マヤ文明』というとどのようなイメージをお持ちでしょうか?
高校の教科書や副読本では、実際にはそれほど行われていなかった「生贄」が過度に強調されていたり、ハリウッドの映画インディージョーンズでは禍々しい儀式や風習を持つ神秘と謎に包まれた文明として描かれています。また最近ではマヤ歴と終末説が結びつけられ、少しオカルトチックな文明?という感覚をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
本ブログでは基本スタンスの事実の探索をベースに、潜入感無しで読み解きマヤ文明の実態に迫ってみたいと思います。
今回はマヤ文明が、そもそもどのような文明であったか、他の文明とはどんな点が異なっているかを探ってみたいと思います。
みなさんいつも応援ありがとうございます。
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posted by shinichiro at : 2012年10月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.10.06
シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~最終回・「何か」を信じるのではなく「全て」を受け容れてきた日本人~
画像はこちらからお借りしました
みなさんこんばんは。
「日本人は何を信じるのか」シリーズ。今回はその最終回となります。
自らを無宗教と言いながら、初詣、お盆、クリスマス、葬式仏教等、諸々の宗教イベントを生活の中に取り入れて、しかも何の矛盾も違和感も感じない私たち日本人。
敬虔な外国人からは「無節操」「信仰心薄弱」とも取られますが、果たしてそうなのでしょうか。また、日本人のこの本質はどこから来るのでしょうか。
「日本人は何を信じるのか」
このお題を当シリーズにて三ヶ月に渡って追求して来ましたが、
その結果、一つの事実が見えてきました
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posted by yama33 at : 2012年10月06日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2012.09.25
日本の源流を東北に見る(4)~東北に根付かなかった水田稲作
こんにちわちわわです。
前回は「水田稲作を拒否した縄文人」について扱いました。今回は、その続編として、水田稲作の広がりと、東北はどうであったのかについて触れてみたいと思います。
福岡空港南端にある板付遺跡において縄文晩期の層から水田跡が発掘されました。その後、さらに古いと思われる2600年前の「日本最古の水田跡」が玄界灘を望む唐津市、菜畑遺跡で発見されました。
両遺跡共、高度な排水設備などを備えており、水田稲作が始まるのが弥生時代という定義を覆し、200年~300年時代をさかのぼって、縄文晩期に水田稲作が行われていたことが証明されました。
縄文:roll: と思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2012年09月25日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2012.09.18
日本の源流を東北に見る(3)~水稲を拒否した縄文人
こんにちわちわわです
今回は東北の産業としての農業に焦点を当てる前に日本における農業の変遷について押さえていこうと思います。
イネ科植物が枯れたとき、有機物は分解されて土に還りますが、珪酸体はガラス質であるため腐ることなく、そのまま1万年でも土の中に残留することになります。その珪酸体をプラントオパールと呼び、植物の種類によってその形状が異なるため、土中から検出されるプラントホールを分析すれば、その植物の属や種を特定することが出来ます。
1999年時点でプラントホールが出土した遺跡は表の31例に及んでいます。
さらにその後2005年には、岡山県の難崎町にある彦崎貝塚の縄文前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパールが大量に見つかりました。その量は土1g当り2000~3000個という大量のもので、上表の縄文前期の遺跡、朝寝鼻貝塚の数千倍の規模であり、これは、単にイネが何らかの理由で持ち込まれたというレベルではなく、まさに栽培されていたというレベルです。
世界最古級の稲作遺跡である長江下流の河姆渡遺跡から、わずか600年でこの列島にイネが伝播したことになります。
ぎょっと思った方↓↓ぽちっと!
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posted by tiwawa at : 2012年09月18日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.09.13
アンデス・マヤ2大文明の“伝え”~プロローグ
2012年12月21日から23日。
マヤ歴では人類が滅亡すると予言され、近年まことしやかにこの予言が書籍やネット界を通じて広がっています。ノストラダムス予言と同様、この予言もマスコミが取り上げ広げている眉唾物のひとつのように思われますが、昨今の世界経済の不透明感や進行する自然破壊、地球限界から来る終末観から、決して噂や絵空事ではないように感じられてきています。
今回のシリーズではこのマヤ、アンデスを取り巻くアメリカ大陸の歴史を扱っていきます。初回はこのシリーズを始める問題意識から始めていきたいと思います。
リンクよりお借りしました。
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posted by tano at : 2012年09月13日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.09.11
日本の源流を東北にみる(2)~賢治にみる東北・縄文の世界
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
(画像はこちらからいただきました。)
みなさんよくご存知の宮沢賢治の詩、「雨ニモマケズ」の冒頭です。
明治以降の詩人には、石川啄木、宮沢賢治、土井晩翠、斉藤茂吉・・・などが挙げられますが、すべて東北人です。また島崎藤村や高村光太郎も東北と深い関係をもつ詩人であり、東北は詩人を生み、育てたとも言えると思います。中でも宮沢賢治は、生涯を通じてほぼ東北で過ごしました。
彼の詩や童話は、現代でも多くの人に読まれ、愛され続けています。今日は、東北の地に居座った賢治から、東北・縄文の世界を覗いてみたいと思います。
応援おねがいします
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posted by mituko at : 2012年09月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2012.09.08
シリーズ「日本人はなにを信じるのか?」~10.日本人における自然信仰と祖霊信仰の共存構造
こちらからお借りしました。
前回は、現代日本人も信じている自然信仰と祖霊信仰、その違いは何かをお届けしました。
縄文人の自然信仰に渡来人の祖霊信仰が塗り重ねられ、共存する形で日本人の信仰は形成されていきました。
現代日本人にとっても、自然物に感謝し畏怖の念を感じる気持ちと、祖先を敬う気持ちは共に違和感なく自然なものであり、共存しているという意識さえ無く、当たり前に感じていると思います。
今回は、自然信仰と祖霊信仰(その母体となった守護神信仰)が日本人の中で当たり前に共存しているのはなぜなのか、追求してみたいと思います。
先ずは応援お願いします。
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posted by sinkawa at : 2012年09月08日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList