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アンデス・マヤ2大文明の”伝え”2~農耕から読み解くマヤ人の意識~

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       【色とりどりのマヤの市場】
こちら [1]からお借りしました。
前回の記事 [2]から、マヤ文明は自然や人を支配しようとした四大文明とは異なり、諸王国と共存したネットワーク社会であったことがわかりました。
今回は、彼らの生産手段である『農耕』から、マヤ文明そしてマヤ人達の意識に迫ってみたいと思います。


<マヤの人達は何を食べていた?何を作っていた?>
4000年前にアメリカ大陸で誕生したマヤ文明ですが、マヤに住む人たちはどんなものを食べていたのでしょうか??
マヤの人たちは、主食をトウモロコシとし、それに加えて、マメ類、カボチャ、トウガラシ、マニオクなどの根菜、カカオ、アボガド、パパイヤ、アカテツの実などの樹木作物も食べていたようです。
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以下青山和夫氏の著書「マヤ文明―密林に栄えた石器文化」より引用します。

トウモロコシ、マメ類とカボチャは、メソアメリカの三大作物である。
この三種の組み合わせは、同一の畑で栽培すると効果的である。マメ類は、トウモロコシが土壌で消費する窒素を提供し、トウモロコシにからみついて日光を十分に得る。カボチャの大きな葉は、熱帯の強い日光を遮断し、土壌成分を保護する。カボチャの根は、土中深くまで伸び干ばつに強い。ヨーロッパ人は、森林を伐採し、開墾して家畜を飼い、単一作物を栽培する農耕法を導入した。対照的に自然と共生するマヤの農耕は、自然環境を無理やりに改変せず、土壌を豊かにして生産性を高めたのである。

つまり、マヤ文明はその土地の風土に合った作物の特性を良く観察し、植物の特性を最大限活かすことで生産性を高めていったのです。
<四大文明の『農耕革命』は何を意味するのか?>
高校で習った四大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・黄河)では、大規模な灌漑農業が行われ、飛躍的に生産力が上がりました。
これを「農耕革命」と言います。
四大文明の「農耕革命」が起こった背景は以下の通りだと考えています。
自然環境が厳しい地域では、一部分の肥沃な土地を巡って厳しい同類闘争が繰り広げられます。そこで必要になるのがその土地を守る(独占する)為の武力です。
この時代の武力は兵士の数に規定されるので、その膨大な兵士を養う為の食糧が必要になります。そこで四大文明がとった方針が、大規模な灌漑を行い単一作物(麦)を集中的に生産する事で、飛躍的に農業生産力をあげたのが「農耕革命」だったのです。
これに対し、マヤ文明では大規模な灌漑農業は行われた形跡はありません。この事は、マヤ文明が四大文明と比べ肥沃な土地であった為、一部の土地を専有する必要が無く、その土地を守る為の兵力も必要としませんでした。だから、無理やり生産力を上げる大規模な灌漑事業も行う必要が無かったし、多様な農作物を生産することができたのです。
<『農耕』からマヤ人の意識を探る>
一般的に「農耕が栄えた結果、文明が発達した」と見られてきたのが通説でした。しかし実態は、肥沃な土地を独占する為に兵力が必要となり、その兵士を養う為に起こったのが「農耕革命」だったのです。つまり、
「農耕が栄えたから→文明が発達した」
という因果関係ではなく
「肥沃な土地を独占する為には⇒兵力を確保する必要がある⇒その為に農耕革命を起こした」
というように収束関係で捉えるとスッキリしてきます。
収束関係はその者の意思とイコールです。すなわち四大文明では、農耕革命は王の独占意識が発端だった事がわかります。
この認識を基に四大文明の王達とマヤ人の意識の違いを読み解いてみたいと思います。
◆四大文明(エジプト、メソポタミヤ、インダス、黄河)
王は少ない肥沃な土地を独占(支配)したい!
⇒国を守るためには兵力(兵数)が必要
⇒膨大な数の兵士を食べさせる為、農業生産力を上げる必要がある
⇒大規模な灌漑事業で生産力を飛躍的に向上させる=農耕革命
◆マヤ文明
自然や周辺諸国と共存、共生していきたい
⇒自然のサイクルを壊さず、みんなが必要な分だけ採れればよい
⇒作物の特性を観察し、特性を活かすことで都市に必要な分の生産力を確保する
武力国家を目指した四大文明と、自然や周辺諸国との共生を目指したマヤ文明。文明の意識の違いによってこんなにも農耕形態は違うんですね

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