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シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~最終回・「何か」を信じるのではなく「全て」を受け容れてきた日本人~

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みなさんこんばんは。
「日本人は何を信じるのか」シリーズ。今回はその最終回となります。
自らを無宗教と言いながら、初詣、お盆、クリスマス、葬式仏教等、諸々の宗教イベントを生活の中に取り入れて、しかも何の矛盾も違和感も感じない私たち日本人。
敬虔な外国人からは「無節操」「信仰心薄弱」とも取られますが、果たしてそうなのでしょうか。また、日本人のこの本質はどこから来るのでしょうか。
「日本人は何を信じるのか」
このお題を当シリーズにて三ヶ月に渡って追求して来ましたが、
その結果、一つの事実が見えてきました


「日本人は何を信じるのか」このお題を追求する中で見えてきたのは、ずばり、
「日本人は何を信じるのか」という問い自体に無理がある!という事です。
私たち日本人が受け継ぎ、大切にしてきた精神性の根幹は、「何かを信じる」事ではなく、何に対しても「同化する」「共認する」意識であり、そこでの充足とその為の共同体を精神基盤としてきました。
だからこそ、「何を信じるのか」の問いに違和感を感じる。
この事実に辿り着くことが出来ました。
まずは目次にてシリーズを振り返ってみましょう。
以下のような内容を扱いながら追求を進めてきました。
1.プロローグ [2]
2.現代日本人の宗教観 [3]
3.神仏と共に生きた時代 [4] 
4.儒教の影響 [5]
5.近世における宗教観 [6]
6.葬式仏教とは [7]
7.神話から出発した日本の近代 [8]
★夏休み企画「お盆って何」 [9]
8.明治以降の天皇の正当化と庶民の信仰 [10]
9.日本人の自然信仰と祖霊信仰の成り立ち [11]
10.日本人における自然信仰と祖霊信仰の共存構造 [12]
多くの日本人は、宗教や観念といった特定の「何か」に強く収束していません。
アンケートを採れば「無宗教」が圧倒的多数を占めるでしょう。
しかしだからといって「無信仰」「無節操」と断定してしまうのは、それはそれで釈然としません。
私たち日本人の心の奥底には、長い歴史と風土の中で培われた特別な精神性があり、それが今なお息づいているのではないか、とも考えられます。この想いはどこから来るのでしょうか。
ここで、阿満利麿氏の記された「日本人はなぜ無宗教なのか。」より抜粋、引用します。
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この点、私はかねてから、「自然宗教」「創唱宗教」という区別が日本人の宗教心を分析する上では有効だと考えている。
「創唱宗教」とは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人たちがいる宗教のことである。教祖と教典、それに教団の三者によって成り立っている宗教といいかえてよい。代表的な例は、キリスト教や仏教、イスラム教であり、いわゆる新興宗教もその類に属する。
これに対して「自然宗教」とは文字通り、いつ、だれによって始められたかも分からない、自然発生的な宗教のことであり、「創唱宗教」のような教祖や教典、教団をもたない。
「自然宗教」というと、しばしば大自然を信仰対象とする宗教と誤解されがちだが、そうではない。あくまでも「創唱宗教」に比べての用語であり、その発生が自然的で特定の教祖によるものではないということである。あくまでも自然に発生し、無意識に先祖たちによって受け継がれ、今に続いてきた宗教のことである。
(中略)
 ここでいう「無宗教」とは、 「創唱宗教」に対する無関心という意味であることをもう一度確認しておこう。
「無宗教」だからといって宗教心がないわけではないし、ましてや欧米人がいう「無神論者」というわけではない。
あくまでも 「創唱宗教」に対して無関心だということであり、多くの場合、熱心な「自然宗教」の信奉者であることはすでに見た通りである

なるほど!
確かに私たちは特定の教義や観念に収束する事こそ希薄ですが、
一方で自然の恵みに感謝し、その怒りを畏れ、そしてそれと共に生きてきた祖先や地域の仲間達を想い感謝と喜びを分かちあう精神を持っています。
日本人は古来より、様々な祭事でもってその感謝の念を皆と共有し、その充足感を活力源として受け継いできました。この想いもまた立派な「信仰心」なのではないでしょうか。
さらに、当シリーズの記事から、この精神性の源泉をわかりやすく紐解いている物を幾つか紹介します。

儒教が武家社会や豪商・豪農クラスに、さらに庶民へと拡がり始めたことにより、来世や死後の世界よりも現世こそが人々の最大関心事になって行きました。
その結果、人々は特定宗派の教えにはより無関心となり、「無宗教」になる土台が作られました。(中略)
日本の近世における庶民は、農村では共同体の中で暮らしていましたし、都市部の町民たちも長屋など隣近所との付き合いを通じて共同体的暮らしをしていました。
日々の生活は楽なものでは無かったにしろ、西洋の農奴のように支配者の所有物のような存在ではなく、信じ合える仲間や集団が実在し、共同体は残り続けました。
現実生活の中には生産を通して仲間との充足があり、現実は決して否定するような対象ではなく、人々は現実の中に生きていくことが出来たのだと思います。
だからこそ人々は、誰かによって人工的に作られた「あの世」や「救済」、すなわち「創唱宗教」を信じる必然性がなく、現実社会をそのまま対象化して生きることができました。
5.近世における宗教観 [6]
より抜粋)

縄文人から受け継いできた自然信仰をルーツとする日々の習俗や祭りは、自然と共に生きる共同体成員の活力生成のため必要なものであったからこそ残り続け、人々の生活と密接に結びつき切り離せないものとなって行きました。
5.近世における宗教観 [6]
より抜粋)

「葬式仏教」とは教義教典に基づいた「創唱宗教」ではなく、縄文以来日本人に伝わる「自然宗教」に、祖先崇拝や生死感、他者への想いを塗重ねていったものです。
「仏教」はそれを儀式として顕在化するために活用したに過ぎず、そこで示したかったのはより深いところにある私たち日本人の精神性であったと言えます。
6.葬式仏教とは [7]
より抜粋)

等々。
調べれば調べるほど、日本人の特徴が明らかになってきました。
そもそも現代においては、何かを「信じる」という言葉に、どこか「求める」「すがる」「思い込む」といった自分発のニュアンスが込められています。
例えば一神教の信者が「私は神を信じる」といえば、それは神と自分との契約であり、そこに救いと現実否定の正当化を求めています。
「自由」や「個人」といった近代観念を絶対と「信じる」のも、架空観念にすがって現実否定をするという意味では宗教信者と変わりはありません。
果ては「自分を信じる」等という言葉もよく聞きますが、これこそその真骨頂といえます。

略奪と私権闘争を繰り返してきた西洋においては、人々は現実逃避と自己正当化の為の観念を必要とし、結果、宗教や近代観念が誕生、浸透しました。
しかし私たち日本人は、温暖で豊かな気候風土、なにより島国故に大陸の略奪闘争から隔離されて来た故に、長年にわたって共同体と共認充足の基盤を受け継ぎ培う事が出来ました。
日本は地震や津波など災害の多い国ですが、それすらも受け容れて、自然への畏怖と感謝の念を失うことはありませんでした。
自然、仲間、全てを受け容れ、そこに日々の充足を見出してきた私たち日本人。
そこに現実否定の宗教や観念が根付かなかったのも道理です。
私たちは特定の「何か」を信じるのではなく、 「何に対しても」同化と共認の対象ととらえ、そこに充足感を見出してきました。
私たちが「何を信じるのか」の問いかけに対し、答えに窮してしまうのも当然といえます。

この事は、何らおかしな事でも恥じる事でもなく、むしろ私たち日本人は、縄文以来の人類本来の心の有り様を受け継いでいる。
そしてそこにこそ次代を担う可能性を秘めているのだ、と胸を張って良いのではないでしょうか。

私たちは西洋を文明先進国と捉えるあまり、彼らが収束する観念もまた最先端と錯覚し、「何か」を信じない自らを世界標準から見て後進と捉える向きがあります。
しかし、こうしたわずか数千年の歴史しか持たない観念群(近代観念に至っては300年にも満たない)等は、人類500万年の歴史の中で培ってきた同化能力と共認充足に比べればあまりにも浅く軽薄です。
まして、こうした宗教や近代観念が、戦争や搾取の正当化としてしか使われていない現在の社会を鑑みれば、
頭の中で捏造した「何か」に収束するのではなく、自然との調和(感謝と畏怖)、仲間との共認充足、それらを培ってきた共同体基盤、これらによって育まれてきたこの日本人の精神性こそ現代社会の様々な問題を突破する可能性を秘めていると言えるのでは無いでしょうか。
人々の期待や活力源が「自分発」「私権発」から「みんな発」「充足発」へと大転換しつつある現代、本シリーズにおいて「宗教」や「信仰心」といった観点から見えてきたこの日本人の精神性に深く着目する時期が来ているのではないでしょうか。

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