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2013年01月30日

なぜ仏教がインドで根付かなかったのか?7~ヒンドゥー教の成立

前の記事:シリーズ「なぜ、仏教がインドが根付かなかったのか?6」~仏教の成立、社会とのズレ~
>新興宗教が勃興する中で、バラモン階級もその存在意義をかけて、現実と人々の意識を直視し、硬直した思想と体制を見直したのかもしれません。
その結果、社会秩序を司る身分制度を「安定」基盤としつつ、様々な現実の問題に柔軟に対応する「変異」の要素を併せ持つことで現代まで続く精神基盤となり得ました。
そしてこれが、「ヒンズー教」へと発展してゆきます。
 インド人の83%が信仰するヒンズー教も、人々の意識を統合するためにその内容を時代に応じて変容して行くようです。
この流れを見て行きたいと思います。
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『古代インドの文明と社会 山崎元一著』からの引用です。
●ヒンドゥー教の形成 
渾然一体としたヒンドゥー教
本節では、グプタ朝という時代にはとらわれず、ヒンドゥー教そのものについて紹介してみたい。
 ヒンドゥー教はアーリヤ人の宗教であるバラモン教(ヴェーダの宗教)と先住民の信仰との融合というかたちで、長い期間をかけて徐々に形成されたものである。そして、グプタ時代までひとまず成立し、それ以後においても、時代と地域の要請に応じてさらに新しい要素を加えつつ今日にいたった。ヒンドゥー教の形成にともないインドラ、アグニなどヴェーダの宗教で人気のあった神々は背後に退き、代わって非アーリヤ的な性格を強くもった神々が舞台に登場する このようなヒンドゥー教形成の歴史のなかで、聖者と呼ばれる宗教家は多く現れたが、キリスト教、イスラム教、仏教の開祖に相当する人物は存在しない。また聖典の類は多数編まれているが、バイブルやコーランに相当する唯一最高の聖典も存在しない。ヒンドゥー教は、インド哲学の名で呼ばれる高度かつ難解な哲学思想からアニミズム的信仰にいたるさまざまな要素を包み込んだ、渾然一体とした宗教なのである。。ヒンドゥー教徒は今日のインド共和国人口の約83パーセントを占めている。
 ヒンドゥー教徒が祀る神としては、まず家の神がある。これにはかまどの神や敷地の内外に棲む精霊などがあるが、とくに祖先の霊の供養は、家長が日々行う最も重要な宗教的義務とされている。
 家を超えた地域社会には村の神々がいる。それらはコレラ・天然痘をもたらす女神や、境界の神、沼の神などで、人間の姿をした像から単なる石にいたるさまざまな形に偶像化され、多くは村はずれの小さな祠の中に祀られている。これらの祠を守るのは、バラモンではなく一般に下層カーストの者である。
 地域を超えて信仰される神々も多数あるが、そうした神々の頂点に、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァという最高神が存在する。

ヒンドゥー教は確かに多神教であるが、ヒンドゥー教徒の間では最高神への憧れが強く、最高神に絶対的帰依を捧げるバクティという信仰形態が広く見られる。村の中央の寺院に祀られているのは、これらの最高神やその一族であり、寺院を管理するのは一般にバラモンである。
 礼拝の方法としては、バラモン教における形式重視の祭祀に代わって、プージャーと呼ばれる礼拝が一般的となった。これは神々に水、食物、花、香を供え、神像の前に額(ぬか)ずき、真心から神に祈りを捧げるものであり、形式よりも信仰心の強さが求められている。今日のヒンドゥー教寺院で見られるのは、この種の礼拝である。
 最高神としてヒンドゥー教徒の信仰を二分しているのはヴィシュヌとシヴァであるが、これら両神のそれぞれがヒンドゥー教形成の歴史の一面を語ってくれる。
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●恐怖と恵みの神シヴァ
 シヴァ神信仰はインダス文明の昔にさかのぼるように思われる。というのは、この文明の遺跡から出土する印章の面に、シヴァ神の原初の姿が見出されるからである。またインダス文明では、豊鏡・多産を祈る生殖器崇拝も行われていた。
 インドに入ったアーリヤ人は、先住民の信仰を拒絶していたが、のちにこの「原シヴァ神」を、かれらの宗教の暴風神ルドラと同一視するという方法で受け入れた。
ヒンドゥー教においてシヴァ神はリンガ、つまり創造のエネルギーを象徴する男性の性器の形に表現されている。シヴァ寺院の奥殿の中央に安置されているのは、ヨーニと呼ばれる女陰に囲まれた姿の御神体シヴァ・リンガである。
 額に「第三の目」をもち三叉のほこを手にしたシヴァ神は、凶暴な一面をもつ神であり、ハラ(奪う者)、バイラヴァ(恐ろしい者)の名で呼ばれ、宇宙を破壊し焼きつくす役割を演ずるとみられている。しかしその一方で、この神は人類に恩恵を与えてくれる慈悲深い神でもある。シヴァという名そのものが、サンスクリット語で 「吉祥」「幸福」を意味している。
 たとえば、シヴァ神は破壊した宇宙を再び創造する神であり、またヒマラヤ山中で苦行しつつ天の聖河ガンガーの水を頭髪の中に受け止めて、大洪水から人間世界を守る神である。その頭髪を伝わって落ちた水が聖河ガンジスなのであるという。またこの神は世界を滅ぼす猛毒を飲んで神々や人類を救い、自らは青い頸(くび)をもつにいたったともいわれる。さらに踊りつつ宇宙を創造、維持、破壊するところから舞踏の神(ナタラージャ)、芸術の神としても崇拝されている。
●シヴァ神に従う親族たち
 このようにシヴァ神は、さまざまな働きをする神々を一身に取り込んだともいえる神格であるが、この神はさらに、地方的に信仰を集めていた多数の神を自分の一族(けん属(ぞく))として抱え込むという方法で、信者の輪を拡げた。 まず土着の農耕民・狩猟民に信仰されていた地母神が、強い生殖力(性力、シャクティ)をもった妃神となり、崇拝された。ドゥルガー、カーリーはそうした女神であり、いずれも悪魔の殺戮などシヴァ神の恐ろしい面を代行する役割を果たしている。彼女らはまた、動物や人間の犠牲を喜ぶ残忍な女神として、さらに、献身的な信仰を捧げる者に恵みを惜し気もなく与える慈悲深い女神として信仰された。両女神(別名で呼ばれる同一女神ともいわれる)に対する信仰は、今日なおベンガルをはじめインド各地でさかんである。
 ヒマラヤ山麓の住民に信仰されていた山の女神パールヴァティーもまた、シヴァの妃神とされたが、彼女はどちらかといえば、やさしい豊饒の女神である。さらに女神の性のエネルギーとしてのシャクティが独立して崇拝の対象となった。シャクティ信仰は、のちにヒンドゥー教や仏教のタントリズム(密教)として新たな展開を見せることになる。
 象頭・太鼓腹という異様な姿をしたガネーシャ(ガナパティ)も、土着の信仰に起源する神であるが、シヴァとパールヴァティーの息子として最高神の一族の仲間に加えられた。この神は、災いを除く神、知恵と富と幸運の神としてインド全域で信仰されている。六つの頭をもち孔雀を乗物とする軍神カールッティケーヤもまた土着信仰起源の神であったが、シヴァとパールヴァティーの息子とされ、スカンダとも呼ばれて信仰された。ガネーシャもスカンダも仏教とともにわが国に渡来し、それぞれ歓喜天、韋駄天となっている。 さらにスカンダは、ドラヴィダ民族とくにタミル民族の間で人気のあった「山の神」「戦いの神」ムルガンと同一視されることにより、南インドの住民をシヴァ信仰の中に取り込んだ。南インドではまた、マドゥライ地方で崇拝されていた幸福の女神ミーナークシーが、パールヴァティーと同一視され信仰された。そしてシヴァとパールヴァティの結婚がミーナークシー崇拝の中心に据えられ、これを記念する春祭りがマドゥライの大寺院で今日なお盛大に催されている。
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●ヴィシュヌは変身して世界を救う
 もう一方の最高神ヴィシュヌは『リグ・ヴェーダ』に太陽神の一つとして現れるが、主要な神ではなかった。その後しだいに信仰を集めるようになり、『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』では慈悲深い神、宇宙を創造し維持する神として崇拝されている。この神は、同一視と権化という二つの手段によって土着の神々を取り込んだ。 このうち第一の手段は、土着の主要神をヴィシュヌと同一視することである。ヴィシュヌは多数の名を持つ神として知られるが、それらの名の多くは地方的に信仰されていた神に起源する。たとえば、デカン西部のパンダルプル地方などで信仰されていたヴィトーバー神は、ヴィシュヌと同一視されることによってヒンドゥー教の最高神としての地位を獲得した。この地の住民は従来どおりに祈りを捧げていれば、ヴィシュヌを拝したことになるのである。
 またインド半島東北部のオリッサ地方の部族神も、ヴィシュヌと同一視され、ジャガンナート(世界の主)として大寺院に祀られることになった。プリー市にあるこの寺院で催される祭りは、インド最大の祭りの一つである。
 第二の手段の権化(化身、アヴァターラ)とは、「ヴィシュヌはさまざまな姿に身を変えて地上世界に現れ人類を救う」という信仰に基づくものである。それらのなかで十権化が名高い。十権化とは出現の順に、魚、亀、いのしし、人獅子、小人、パラシュラーマ (バラモン出身の英雄)、ラーマ (『ラーマーヤナ』 の主人公)、クリシュナ(牧畜民の神、『マハーバーラタ』の英雄神)、ブッダ(仏教の開祖)、カルキ(未来の救済者)である。 このように、土着の信仰に起源する神々や、叙事詩の英雄、さらにブッダまでが権化という手段でヴィシュヌ信仰に取り込まれているのである。仏教信者がいかに反論しょうとも、ヴィシュヌ派ヒンドゥー教徒の立場からすれば、仏教徒はブッダの姿をとったヴィシュヌ神を崇拝していることになる。
 ヴィシュヌ神の妃は、ラクシュミーあるいはシュリーの名で知られる美と幸福の女神である。グプタ朝をはじめインド土着王朝の発行した貨幣には、裏面にこの女神を打ち出したものが多い。ラクシュミー女神は仏教にともなってわが国に伝来し、吉祥天として崇拝されている。
●二大宗派は共に栄える
 土着の主要な神々は、このようにしてヒンドゥー教の二大神のなかに取り込まれた。シヴァ派、ヴィシュヌ派の信徒は、そうした地方神が最高神と同一であることを証明するために、豊かな想像力を駆使して神話や伝説を創作し、それが文学や芸術をいっそう多彩なものにした。
 二大宗派の信徒たちは、いずれが真の最高神であるかをめぐって争うこともあったが、一般的には協調関係を保ってきた。

 たとえば、坂田貞二の調査したヴィシュヌ信仰(クリシュナ信仰)の聖地ヴリンダーヴァンにあるシヴァ寺院の縁起によると、クリシュナが牧女たちとたわむれつつ吹いた笛の音にさそわれ、ヒマラヤ山中からシヴァ神がこの地に飛来し、女装して牧女の群れに加わったという。
 あまりにも激しく踊ったため、シヴァの顔を覆っていた布が落ちた。クリシュナはそれを見てシヴァの来訪を喜び、この地に住居、つまりシヴァ寺院を建てることを許した。今日、ヴリンダーヴァンを訪れるヴィシュヌ派の巡礼者たちは、みなこのシヴァ寺院にも詣でるという。
 さらに、ヒンドゥー教徒の最高神への憧れは、ヴィシュヌ(ハリ)とシヴァ (ハラ)を一体とみるハリハラの観念や、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三神を一体とみるトリムールィの観念を生んだ。
 一方、二大神に関係するこのような展開と並行して、中扱・下級の神々も、ヒンドゥー教のパンテオンの内部にそれぞれにふさわしい場所を与えられた。ナーガ(蛇)、ヤクシャ(夜叉)、ハヌマーン(猿神)、ガンダルヴァ(半大半神の音楽神)、アブサラス(天女)、さらには川、湖、船 木、石までが崇拝の対象とされている。
 バラモンは不動の地位をえた。
 このようなヒンドゥー教の形成にあたり、司祭老バラモンはどのような役割を演じたのであろうか。
 もともとバラモンは、アーリヤ人の宗教の指導者であると自負し、先住民の信仰を拒絶していた。その後、仏教やジャイナ教などの非正統派が興ると、かれらはこれに圧倒され受け身に回った。つぎにかれらは、シュードラ以下と蔑視していた異民族の支配下に入るという屈辱をあじあった。バラモンにとって不本意な時代がつづいたのである。
 バラモンたちはこれらの危機に対処し退勢を挽回するため、自分たちの宗教、つまりバラモン教の大衆化(ヒンドゥー教化)という手段を選んだ。非アーリヤ的な土着の神々を崇拝の対象として受け入れたのも、シュードラへの宗教的サーヴィスを始めたのも、そうした苦心の現れである。さらに偶像崇拝、寺院参詣、聖地巡礼、プージャーといった大衆的な信仰形態が、バラモンたちに受け入れられた。かれらは時代の状況に応じて自分たちの宗教を変質させ、非正統派を退けるとともに、地位と特権を守ったのである。
ヒンドゥー教徒の生はサンスカーラと呼ばれる通過儀礼の連続である。それらは結婚後に新郎・新婦つまり両票行う受胎式ー息子を妊娠するよう祈願する儀礼ーに始まる。この世に生を享けてからは、誕生式、命名式、食い初め式などとつづき、入門式、結婚式などを経て葬式にいたるのである。さらに、死後には祖霊として子孫たちから祭られた。祖霊の祭り子孫たちにとって最も重要な宗教的義務とみられている。
 不可触民など最下層の家を除くヒンドゥー教徒の家では、こうした家庭の祭事にバラモンを司祭者として招くことになっている。したがってバラモンとヒンドゥー教徒の家とは、わが国の家と檀家の関係を幾重にも強化したような関係で結ばれているのである。どの村にも、村人の祭事を先祖代々執り行ってきたバラモンの家族が住んでおり、大きな村の場合は、幾人ものバラモンが村の家々の祭事を分担している。
 このように、バラモンは地域社会の生活の中に完全に組み込まれているのである。バラモンを指導者とするヒンドゥー教の根強さはここにある。のちにインドにやって来たイスラム教の支配者も、インドの大地に深く根を下ろしたバラモンと、かれらの指導するヒンドゥー教の排除を、断念せざるをえなかった。
前回に続いて、実に柔軟な現実的な考え方で庶民の意識を統合しています。
>土着の主要な神々は、ヒンドゥー教の二大神のなかに取り込まれた。この、シヴァ派、ヴィシュヌ派の信徒は、そうした地方神が最高神と同一であることを証明するために、豊かな想像力を駆使して神話や伝説を創作し、それが文学や芸術をいっそう多彩なものにした。
共同体的な側面を残す民族は少ないので世界では珍しい統合様式ですね。日本に近いと感じるのは、共同体を残すためでしょう。
 観念(頭)の先端を塗り替えるだけで、カースト制度も含めた元々の共同的な生活は認めていっている。共同体(ウンマ)の制度を組み込んだイスラム教でも入り込めなかったことを見ると、その本源(共同体)性は高いと思います。
又、カースト制度は、バラモンの地位は守るが、金・地位・いい女という私権の独り占めは出来ない。一方、クシャトリア、商人、王侯は、私権をどれだけ得ても、バラモンにはなれない。権利の1極集中を避ける制度といえます。私権を得た王が神格化してゆく西洋はもとより、中国の皇帝とも異なることが大きな特徴と言えます。次回は、これまでの内容をまとめてインドを俯瞰してみます。
乞うご期待!!

投稿者 sakashun : 2013年01月30日 List  

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