日本支配層の系譜2 半島における倭国大乱→侵略部族が列島に舞い降りる |
メイン
2009年03月16日
蘇我氏考察 2 ~ 仏教信仰は大王から委託された任務
引き続き、遠山美都男 「蘇我氏四代の冤罪を晴らす」より。
今回は仏教信仰の視点から蘇我氏を読み解きます。対立豪族として物部氏・中臣氏が
登場します。
また、通説538年、実は、はっきりしないといわれている仏教伝来の時期について、
仏像や経典などの「もの」では十分条件たりえない、
それを説く「ひと」が渡来してはじめて仏法伝来は成る、という史観を披瀝しています。
では。
おっと、その前に応援ヨロシク
蘇我氏考察 2 ~ 仏教信仰は大王から委託された任務
仏法は百済の聖明王から倭国の欽明大王へ、すなわち百済王権から倭王権へと公的に贈与されたものであったから、たとえば、それが気に入らないといった理由により排除できるようなものではなかった。
また、仏法伝来の年代を推定するにはこの点が重要なのであるが、仏法伝来とは、百済から倭国に仏像や経典などの「もの」がもたらされれば事足りるわけではなかった。仏像や経典といった「もの」の意義を知り、それを説く「ひと」が渡来してはじめて、仏法の伝来は完成するといえる。
この時期(6世紀前半)、朝鮮三国は激しい抗争の渦中にあった。高句麗や新羅との戦争に明け暮れていた百済は、倭国に対し軍事援助をもとめ、その見返りとして「五経博士」などの専門家を派遣しており、定期的に交替するシステムになっていた。仏法についても僧侶が交替で派遣されてきた。
欽明大王から仏法礼拝について尋ねられた物部尾輿らが「蕃神を礼拝なされば、かならずや神々の怒りを招くことでしょう」と述べたように、仏は蕃神、すなわち外国の神と認識されていた。しかし、百済王に突き返す訳にもいかない。大王の大王たるゆえんは、在来の神々の「祟り」を和らげ、鎮めること。在来の神々と一括して祭るのはいかにも畏れ多い。
それならば、大王に準ずる資格と権威をもった人物や一族にその祭祀を委任すればよいではないか。こうして白羽の矢が立てられたのが稲目であり、蘇我氏であった。蘇我氏にとって、仏教信仰は大王から委託された任務であり使命であった。
中臣氏と同様、大王のもとで祭祀に関わる職務を世襲してきた物部の族長であった尾輿や守屋は、自分たちこそ、凄まじい「祟り」をなす「蕃神」の祭祀を大王から委託されてしかるべきだと、と考えた。ところが、大王は祭祀のプロともいうべき彼らを差し措いて、新興勢力である稲目と蘇我氏にそれを委ねた。彼らの不平・不満はここにくすぶり始める。
仏教は百済から贈与されたものである、よって倭国としてむやみに排斥することはできない。
自らは神を祭祀する大王から委任された蘇我氏は、このときはじめて、
大王に次ぐナンバーツーであることを内外に知らしめることになったのではないでしょうか。
東アジア情勢の中での倭国のあり方を心得ていたといえるかもしれません。
うらら
投稿者 urara : 2009年03月16日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/03/756.html/trackback
コメント
投稿者 怒るでしかし~ : 2009年4月19日 00:07
コメントと貴重な指摘をありがとうございます。
集団規模拡大⇒分割・統合⇒トーテムというのは、半族(双族)や四半族など、南方の採取部族でかなり見られるスタイルですね。(分割しながら一体である事を示すためにその分割した単位のシンボルとしてトーテム信仰が使われる事が多い。)
記事に上げたメキシコの事例もそうであった可能性もあります。
しかし、敢えて記事で提起したのは、
1.技術を持った集団が拡大する場合、メキシコ湾岸の低湿地地域ではサンロレンソ以外にも台地はあるのでそこを利用して、集団の単位は適正規模で拡大するのが自然ではないか?大きな集団を形成する必要はない。
2.オルメカの様式を踏襲したその後のメキシコ文明では、他の集団を服属させて統合するのが明確である事。
これらから、(治水を契機に)他の集団を服属させる(助ける?)集団が発生したのではないか?と考えてみたのですがどうでしょうか?
(わからない事ばかりなので、どんどん突っ込みをお願いします。)
投稿者 tamyra : 2009年4月22日 14:10
>(治水を契機に)他の集団を服属させる(助ける?)集団が発生したのではないか?
確かに自然災害の克服→人口増は一般的には考えにくく、自然災害による前民族の死滅→新技術を携えた民族による乗っ取り、というストーリーの方が素直かもしれませんね。
日本の古墳時代のような、先住縄文人と新技術を携えた弥生人の重合、というイメージでしょうか?
まずは、技術の流入経路をおさえる必要がありそうですね。
投稿者 怒るでしかし~ : 2009年4月22日 19:03
>日本の古墳時代のような、先住縄文人と新技術を携えた弥生人の重合、というイメージでしょうか?
鋭いですね。
(推測ばかりではいけないのですが)イメージはその通りです。
>まずは、技術の流入経路をおさえる必要がありそうですね。
調べてみます!
古アメリカ文明に詳しい方々は、ぜひ一緒に調べてみましょう!
投稿者 tamura : 2009年4月22日 19:40
焼畑農耕の段階での高台住居跡遺跡なんですね。
洪水が土木事業の背後にある、という点は、インダス文明に近いですかね。
よく分からないのは、「巨大頭部像を連合体の統合のため」としている点ですが、「連合体」と推察する理由はなんでしょう?(連合体のイメージは部族連合ですか??)「単純に集団が大規模化→分割・統合の必要からトーテム信仰に至った」という分析でいいようにも思うのですが??