2013.10.17

「神社ネットワークの解明」~3.神社ネットワークの歴史的な考察

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(上賀茂神社http://tsuiteru-happy-life.seesaa.net/article/28800801.htmlより引用)
前回記事で神社の概要を見てきましたが、神社は全国に数多くあり、誰もが知っている存在でありながら、神社がどうやって形成されてきたかは謎めいています
ましてや、それらがネットワークで繋がっているということは、あまり知られていません
神社ネットワークを解明していくためには、神社ネットワークがどのように構築されてきたかの歴史的な考察が不可欠になります
そこで、今回の記事は、神社ネットワークがどのように成立してきたかを時代順に見ていきます 🙄
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posted by marlboro at : 2013年10月17日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.10.16

女たちの充足力を日本史に探る~プロローグ

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みなざんこんにちは。
江戸シリーズが終わり、今月からいよいよ新シリーズを立てます。
表題にあるように今回は日本の女たちに注目してみたいと思います。現在、日本は経済も政治も行き詰っており、震災復旧においても先が見通せない状態が続いています。日々、よいニュースはあまりありませんが、そんな中、ここ数年で元気な女性達が目立ってきています。
この5月に勝ち取った東京五輪も最終プレゼンテーターの佐藤真海さんの迫真のトークが開催を決定付けたとも言われています。
また、企業内においても女性達が、女性としての役割に気がつき、それを力として社内で成果を上げ、男性社員を鼓舞している状況は各所に見られます。
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こちらこちらよりお借りしました。
この女性が元気で、男性がそれに吊られて元気になる、この構造はどういう事でしょうか?
そうだそうだ、と思う方ポチッと!

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posted by tano at : 2013年10月16日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.10.15

江戸時代は縄文の再生~9エピローグ~江戸と現代~現代人は江戸時代に回帰できるか?

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こんにちわちわわです。
このシリーズでは8回にわたってテーマ追求をしてきましたが、今回が最後になります。
江戸時代には、現代社会の閉塞感を突破するのに参考になる認識がたくさんあるように思えます。
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最終回では、これまで扱った江戸のエキスを要約し、皆さんの次代への考察の役に立てれば幸いです。
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posted by tiwawa at : 2013年10月15日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.10.10

「個のない民、ケルトから学ぶ」6.集団を導くリーダーの有り様とは?

未分類

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みなさんこんにちは。
「個のない民ケルトから学ぶ」シリーズ6弾は「集団を導くリーダーの有り様とは?」です。
リーダーと言うとみなさんはどのような方をイメージしますか?
・みんなより1歩も2歩も先を読み、明確な方針でリードしていく人。
・頭の回転が早く、知識も豊富で人には考えも付かないような方針を出せる人。
・相手(競合)の弱点を見抜き、戦略を練るのが上手い人。
こんなイメージでしょうか?
集団が勝ち続ける為にも、このような人は重要でこれまで組織を引っ張ってきた事は間違い無いと思います。
しかしここ最近、このような熟練リーダーでも組織を統合できなくなったり、これまでのやり方に固執してしまった結果周りから浮いてしまったという話を耳にします。
みなの求めるリーダー像がかつてのものと異なってきたという事なのでしょうか?
今回はケルトのリーダーに触れ、これから求められるリーダーとはどのような人なのかを探っていきたいと思います。
これからリーダーになっていく人、リーダーを育てたいと思っている方の力になれれば幸いです。

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posted by shinichiro at : 2013年10月10日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.10.06

江戸時代は縄文の再生8.~大政奉還で日本を救った江戸幕府~

 東方見聞録には「ジパングは、カタイ(中国北部)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。また、ジパングの人々は偶像崇拝者であり、外見がよく、礼儀正しいが、人食いの習慣がある。」と書かれています。
(ウィキペディアより)
 江戸時代とは国内的には極めて安定した260年間でしたが、世界を見渡すと大航海時代から産業革命、さらに中央銀行による金貸し支配が始まる欧米を中心とした大激動の略奪社会が横行した時代に当たります。
 このような世界情勢の中、金銀財宝を目当てとした侵略目的から考えても、偶像崇拝という一神教の宣教対象としても、日本は大航海時代の格好の標的だったのです。
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画像はこちらからお借りしました。
 江戸時代は縄文の再生シリーズ第8回目は、この諸外国からの侵略圧力に対して江戸幕府がどのように対抗してきたのか、そして開国、大政奉還へと至った真相に迫ってみたいと思います。

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posted by hi-ro at : 2013年10月06日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.09.26

「江戸時代は縄文の再生」7~国学とは『縄文の心の学(まなび)』

今年はちょうど式年遷宮にあたる年ですので、伊勢神宮にお参りされた方も多いかもしれませんね。
さて、この伊勢参り、江戸時代(特に中~後期にかけて)に大流行しました。
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こちらよりお借りしました。
なぜ流行したのでしょう?
それは江戸の民の熱心な信心からというよりは、その中心は見聞を拡げたい、外の世界を見てみたいといった人々の意識の表れでした。江戸時代の社会の泰平、それによって誰もが安全に旅ができるようになり、また経済的ににも一定程度余力ができた庶民が外へ動き始めたのです。
さて、このお伊勢参りが大流行した江戸中期以降、同じように広く庶民にまで広まった学問があります。・・・・・それが国学でした。
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posted by tano at : 2013年09月26日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.09.19

「江戸時代は縄文の再生」~6.“商人気質”とは、社会の当事者としての気概の表出

経済面から見ると、江戸時代は米に基礎を置く武士の経済システムが、次第に貨幣経済に取って代わられていく過程であり、支配階級だったはずの武士階級が、商人が主人公の経済システムに組み込まれていく過程といえます。
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江戸時代を通じて制度上は石高制を基礎とした米本位制経済が幕末まで残っていましたが、いずれにしろ米を換金しなければ武士は実質的な収入を得られない点で、否応なしに貨幣経済に取り込まれていったのが実態です。つまり、経済を動かしていたのは、武力で支配する武士階級ではなく、商業資本を持つ商人階級とだったのです。本来,士農工商の身分制度の最下位にあるはずの商人が,実質的には国家の経済を支配し,幕府といえども意のままに管理すること出来ないのが実態でした。実際、為替差益で大きな利益を手にしたした有力両替商などは,大名に対しても大口の貸し付けをしていたようです。
このように経済面で圧倒的な力を得た江戸の商人は、「西洋の商人=金貸し」と同じように、
・金を貸した大名をけしかけ、互いに戦わせるようし向け、紛争や戦争で膨大な利益をえることも、
また
・農民や町民にはたらかけ市民革命を煽り、武力勢力を倒すことも、
出来たはず、
・・・しかし、江戸の商人は、そのような私権第一の価値観に染まることはなありませんでした。
それは、なぜなのでしょうか?
今回はこの疑問の解明を中心に、江戸時代の商人の実態に迫ります。

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posted by sai-yuki at : 2013年09月19日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.09.17

「個のない民ケルトから学ぶ」5:物語”耳なし芳一”は何を語ったか?

ケルトに学ぶのシリーズもいよいよ終盤に来ました。
これまで多くの学びポイントを紹介してきましたが、今回志向を変えてケルトの人が日本で実際に伝えた事を追いかけてみたいと思います。日本でも怪談で有名な小泉八雲(洋名ラフカディオ・ハーン)がケルトに深く関わっている事はあまり知られていないと思います。しかし小泉八雲の書いた耳なし芳一や雪おんなの物語を知らない人はほとんどいないでしょう。子供心にその物語を読み、聞き、ぞっとした経験は誰しもあると思います。
今回はラフカディオ・ハーンの生涯や物語を追いかけながら、彼が日本で何を表現したかったのかについて想いを馳せてみたいと思います。
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ラフカディオ・ハーンが日本の地に辿り着いたのは明治23年、54歳で生涯を終えた14年前、40歳の時でした。それまでのハーンの足跡をまずは紹介してみたいと思います。

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posted by tano at : 2013年09月17日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2013.09.15

「神社ネットワークの解明」~2.神社の概要

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伊勢神宮
 みなさん、こんにちは! 神社と聞くと何をイメージしますか?
 霊験あらかな神聖なる場所というイメージでしょうか?七五三、厄払い、学業成就、縁結びなどの人生の節目を祝う場所のイメージでしょうか?はたまた、初詣、おみくじ、お賽銭、豊穣祈願、交通安全、健康・安産祈願などの現世ご利益祈願でしょうか?ある人には、夏祭り、幼い頃、遊んだ思い出の場所など、郷愁のイメージをだぶらせるかも知れません。神社は、超越的、神聖なるイメージと庶民的なイメージの双方で意識されているのは、どうしてでしょうか?
 神社の原初は、太古の時代の祭祀から始まり、社を建設したころからその形が見られます。少なくとも過去より日本人の心に強く印象付けられたもののようですね。
 このように、私たちの生活に密着しているのだけれども、実は、「知っているようで知らない神社」・・・その起源や歴史を探ると、先人たちの生々しい営みと直結しているように思えてなりません。歴史を塗り重ねていく段階で、どのように変化していったのか?概要と歴史を探って見たいと思います。
 それは、人々の充足を願ったところから始まり、自然の中で肉体・霊・魂(精霊)の作用を自然の背後に見て、生と死を見つめるうちに、祟りと恵みを与える神様の坐します社屋として登場したと考えられます。その後、人間同士の争いや権力闘争に巻き込まれつつ、明治時代の天皇を中心とした近代化と後の皇国史観を掲げた戦争の歴史へと発展していったのだろうと思います。
 このシリーズでは、縄文時代~平安時代までを焦点に遡ってみたいと思います。ではまず、概要より神社ネットワークとはなにか?を見ていきましょう。
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posted by 2310 at : 2013年09月15日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2013.09.13

江戸時代は縄文の再生4.~鎖国によって防いだキリスト教の侵略~

 江戸時代と聞いて必ず浮かんでくるキーワードに「鎖国」を挙げる人は多いと思います。多くの人々にとって、江戸時代の日本が「鎖国」であったというのは、一種の常識になっているかもしれません。
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 しかし、最近の研究で、「鎖国」という言葉は、実は17世紀の段階では存在していなかったことが分かっています。つまり、江戸幕府にはみずからの政策を「鎖国」とみなす認識はなかったということです。
 それは、松平定信が林述斎(はやしじゅつさい)に編纂させた幕府の正史(明示以降は『徳川実紀』と呼ばれる)からも伺えます。徳川実紀の記述から判断するかぎり、寛永10年から寛永16に出されたいわゆる「鎖国令」について、必ずしもその全てについて触れられておらず、幕府の「鎖国」的な政策に対する関心の薄さが見て取れます。寛永16年のポルトガル船の日本来航禁止令についても、「邪教」すなわちキリスト教の弾圧に関する記述が中心になっています。
 この「徳川実紀」の編纂スタンスは、幕府の本当のねらいは、「鎖国」=国を閉ざすことではなく、キリスト教の禁圧と、そのために必要なポルトガル人の追放であったことを物語っていると言えます。
 実際、日本が「鎖国」後に「通信」「通商」のかたちで交渉をもったのは、キリスト教を日本に押しつけようとしない国々でした。
           

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posted by hi-ro at : 2013年09月13日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

 
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