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「神社ネットワークの解明」~2.神社の概要

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伊勢神宮
 みなさん、こんにちは! 神社と聞くと何をイメージしますか?
 霊験あらかな神聖なる場所というイメージでしょうか?七五三、厄払い、学業成就、縁結びなどの人生の節目を祝う場所のイメージでしょうか?はたまた、初詣、おみくじ、お賽銭、豊穣祈願、交通安全、健康・安産祈願などの現世ご利益祈願でしょうか?ある人には、夏祭り、幼い頃、遊んだ思い出の場所など、郷愁のイメージをだぶらせるかも知れません。神社は、超越的、神聖なるイメージと庶民的なイメージの双方で意識されているのは、どうしてでしょうか?
 神社の原初は、太古の時代の祭祀から始まり、社を建設したころからその形が見られます。少なくとも過去より日本人の心に強く印象付けられたもののようですね。
 このように、私たちの生活に密着しているのだけれども、実は、「知っているようで知らない神社」・・・その起源や歴史を探ると、先人たちの生々しい営みと直結しているように思えてなりません。歴史を塗り重ねていく段階で、どのように変化していったのか?概要と歴史を探って見たいと思います。
 それは、人々の充足を願ったところから始まり、自然の中で肉体・霊・魂(精霊)の作用を自然の背後に見て、生と死を見つめるうちに、祟りと恵みを与える神様の坐します社屋として登場したと考えられます。その後、人間同士の争いや権力闘争に巻き込まれつつ、明治時代の天皇を中心とした近代化と後の皇国史観を掲げた戦争の歴史へと発展していったのだろうと思います。
 このシリーズでは、縄文時代~平安時代までを焦点に遡ってみたいと思います。ではまず、概要より神社ネットワークとはなにか?を見ていきましょう。
 応援よろしくお願いします。


★神社の概要など★
神社の始まりと最古の神社・鳥居
 神社は、かむやしろとも呼ばれ、神道祭祀の施設です。古代から、ご神体を納める本殿のない神社はありますが、鳥居のない神社はまずないようです。鳥居があれば、その内の区域一帯を「神霊が鎮まる神域」として成立したようで、神社にとって象徴的なものとされるようです。社殿は、神々が祀られた祭殿が常設化したもののようで、祭殿がないものは、神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」(=信仰対象、神)が宿るとし、その他の山、滝、岩、森、巨木と区別したようです。
(神社の起源(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=194412))
 現存する日本最古の神社は、三輪山を御神体とする大神神社が日本書紀(正史)で言われるところです。また、最古の鳥居は、山形県の最上地方にある石造のもので、平安後期の作と推定されています。
 鳥居の起源は、今のところ明確になってはいませんが、古代の神道では、神さまは、神の意志や人々の求めに応じて聖地や儀式の場などに降臨してくるものと考えられており、このとき、神が目印とするのが、柱状にそびえ立つもの=鳥居でありました。
 古代の祭祀において、もっとも重要な祭具は、神の降臨を仰ぐための柱(=依り代(よりしろ))で、神道では神籬(ひもろぎ)となります。また、神を一柱、二柱とするのも、こうしたことに由来するともいわれています。
また、伊勢神宮(三重県)本殿(内宮)の床下には心御柱(しんのみはしら)と呼ばれる、神聖な柱がありますが、これも本来は依り代として機能していたとされます。古代神道では、これを祀るのは、大物忌(おおものい)」と言う童女(未婚(処女)の巫女=女)に限られているといわれます。大物忌神とは、アマテラス(女神でありますが世界的に太陽神は男神のためその心御柱は男根とも言われています。)の御饌都神(みけつかみ、食事を司る神)で食と男女の性に関係するともいわれますが・・・
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大神(おおみわ)神社  成沢八幡神社鳥居
神社数
神社数は、延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)(延長5年(927年)「延喜式」巻九・十。当時「官社」とされていた全国の神社一覧)に2861社が登録され、平成の神社本庁の調査では、全国で、79,335社あるそうです。その他、登録外神社もあります。
 もっとも多い神社は、大分県の宇佐神宮を総本宮とする八幡信仰(八幡神社・若宮神社・八幡大神社など)で7,817社、全体の約一割を占めます。
 第二位は、伊勢神宮(三重県)の皇大神宮(内宮)に祀られている皇室の祖神(おやがみ) 「天照大神」の伊勢信仰で4,425社を数えます。
 第三位は天神信仰。学問の神さまである菅原道真を崇敬対象とした神社で、3,953社あります。
以下、稲荷信仰2,970社、熊野信仰2,693社、諏訪信仰2,616社、祇園信仰2,299社、白山信仰1,893社、日吉信仰1,724社、山神信仰1,571社となります。(洋泉社MOOK「これだけは知っておきたい神社入門」より)
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宇佐神宮
神社の社格
 神社の系統・格付けには、「神社」や「大社」という称号を社号(しゃごう)が用いられます。これには「神宮」「大神宮」「宮」「大社」「神社」「社」の六種類があり、神仏習合で「明神(みょうじん)」「権現(ごんげん)」といった社号もかつては用いられていましたが、現在では通称として用いられるだけのようです。
例えば、「神宮」の場合、正式には「神宮」と呼べるのは伊勢神宮(三重県)だけで、正式名称は「神宮」なのです。
また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と香取神宮(千葉県香取市)の呼称も古く、「延喜式」の神名帳のなか で神宮を称しているのは伊勢・鹿島・香取の三社だけです。皇室とゆかりの深い由緒ある神社にだけ許されたものであるらしいです。
 また、1905年の式内社では、官幣社(かんぺいしゃ)と国幣杜(こくへいしゃ)として区分されました。(官幣大杜・国幣大社・官幣小社・国幣小社・式外社の五つのランクに全国の神社を分類)
 さらに、中世では一宮(いちのみや)制という、各国ごとに一位の神社を定める格付けもあり、国によっては二宮(にのみや)・三宮(さんのみや)も定められました。
 一方、明治に制定された近代社格制度は、官幣社・国幣社に分けるところは『延喜式』と同じですが、それぞれを大社・中社・小社の三段階に分けていました。さらにその下に別格官幣社があり、府県社・郷社からなる諸社がありました。
詳しい内容は、下記サイト参照下さい。
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鹿島神宮と香取神宮
祭神について
神社に祀られる祭神は、伊勢神宮内宮では天照大御神、宇佐神宮では八幡神(応神天皇)、太宰府天満宮では菅原道真、その他、宗像三女神や素盞嗚尊、大国主命、建御名方神、熊野神、草薙剣、賀茂別雷神など、神話の神や神物であり、系統によって違っています。また、一神社にいくつか合祀される場合も多く、外宮・内宮で別の祭神を祭る場合もあります。さらに、本社・本宮から勧請という分霊 [1]を塗り重ね、無限に増殖できるシステムにて、多くの分祠(ぶんし)、分社(ぶんしゃ)、今宮(いまみや)を作っていきました。
※当ブログの『日本の神社と祭神の関係は?』 [2]及びWIKIPEDIA神社 [3]を参照下さい。
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応神天皇
神社の創建者について
 神社は神道と切っても切れませんが、その神道は、古代神道の一つである物部神道が始まりとされています。その後、渡来系の秦氏、加茂氏に引き継がれ、彼らが全国の神社を創建し、中央へ、天照大神・天皇家へ繋げて、ネットワークを強固にしていきます。秦氏、加茂氏及び彼らの支族が創建した神社は、宇佐八幡系、京都伏見稲荷系、松尾大社系、日吉大社:日吉神社系、金毘羅神社系、下上賀茂神社系、白山神社系などで、伊勢神宮系にも一部、関与しているようです。大半の神社が、秦、加茂氏とその支族の関与が伺えます。
氏神・氏子について
 神道の神として氏神(うじがみ)という呼称がありますが、元々の氏神は、「氏」の神(=氏上)と書くように、氏族の上=長そのもので、その地域に住む豪族が祖神または守護神として祀っていた神のことを指します。神社は、豪族(恐らく侵略部族)にとって精神的支柱を担う役割として建立されたのだろうと推測します。
 その後、平安時代以降になり、血縁関係にある一族だけでなく、その氏族とともに生活を営んでいる者をも含めて「氏子(うじこ)」と称するようなりました。現代の日本においては、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のことを指し、同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士のことを氏子と呼ぶそうです。ここにも村落共同体の文化は強く残っており、共同体を破壊せず、観念を塗り重ねていった経過が見て取れます。
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葛城一言主神社
 まず、このような神社の概要を踏まえて、次の記事では、神道の始まりから、神社ネットワークの成立の歴史を見ていきましょう。そこには、縄文人の受容文化=受け入れ体質と生と死を見つめる人間の営みや、男女の性、生きるための食の本能、共同体性が色濃く残されているかも知れませんね。
では、次回を楽しみにしていて下さい。

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