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2013年10月16日

女たちの充足力を日本史に探る~プロローグ

みなざんこんにちは。
江戸シリーズが終わり、今月からいよいよ新シリーズを立てます。
表題にあるように今回は日本の女たちに注目してみたいと思います。現在、日本は経済も政治も行き詰っており、震災復旧においても先が見通せない状態が続いています。日々、よいニュースはあまりありませんが、そんな中、ここ数年で元気な女性達が目立ってきています。
この5月に勝ち取った東京五輪も最終プレゼンテーターの佐藤真海さんの迫真のトークが開催を決定付けたとも言われています。
また、企業内においても女性達が、女性としての役割に気がつき、それを力として社内で成果を上げ、男性社員を鼓舞している状況は各所に見られます。
130909_satomami1.jpgo0252030610366337320.jpg
こちらこちらよりお借りしました。
この女性が元気で、男性がそれに吊られて元気になる、この構造はどういう事でしょうか?
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現在は大きな時代の転換期です。かつての男性社会であった序列を中心とした力の社会(=私権社会)から、期待―応望を中心とした共認社会に転換しつつあります。その過渡期、まだ従来の社会のしくみや規範が根強く残っており、序列社会の住人であり、元来社会動物である男性はその転換が遅れ、そこからいくぶん自由で、また変化に敏感な女性は先行して新しい社会を模索し、元来持っている充足性を武器に可能性を切り開いていっています。とりわけ、男尊女卑の歴史の浅い日本は世界に先行して女性が元気になり、社会を引っ張っていく中心になっているのかもしれません。
「なぜ女性が元気なのか、女性の充足力の原動力とは・・・」
さて、ここからはこの課題をなぜ縄文ブログとして取り組んでいくかについてお話していきます。
『元始、女性は実に太陽であった。』
untitled.bmp 平塚らいてう~ウィキペディアよりお借りしました。
平塚雷鳥により、1911年に婦人文芸誌「青鞜」創刊の辞に記された有名な文言です。
当時の社会の情勢から女性解放の言葉として取り上げられる事が多かったですが、この言葉は男女同権でも、女性解放の言葉でもありません。まさに元始というように人間社会の始まり、洞窟で生きていた時代から、女性は集団において充足源であり、まさに皆にとって太陽の存在だったのです。それは縄文時代の土偶にも現れ、生命を生み出し、集団の中で男達の精神的な活力を支える女性達は、一対婚という形で家庭に縛られ、社会から切り離されるつい最近まで集団における大切な充足源だったのです。
それは狩猟民族より採取民族が、採取民族より農耕民がというように母系集団を守った地域により強く残っていき、日本はそれが最も色濃く残ってきた地域の一つでした。

日本史に目を向けてみましょう。
教科書の中の日本史には大衆史が殆ど登場しませんから、当然女性は歴史書の文字の中にはあまり現れてきません。それでもよく注意してみれば、その影響は男性同等、あるいは男性以上かもしれません。女性の活躍を見てみます。
縄文時代は採取生産で、女達はよく働きました。男が集団の外で狩猟、防衛を担う中で、実際に食料を集めたのは女性達と言われています。そして、出産、育児、炊事、それらを女性達は集団の中で女たち皆で共同作業で行っていきます。
男達が作った土器や土偶にはそれらを崇め、敬う心が込められていました。
縄文も晩期から弥生にかけては集団規模が大きくなり、また寒冷期にさしかかり、外圧が厳しくなります。ここで登場したのが巫女の存在です。巫女は自然の中に居る精霊の言葉を聴き、伝えます。集団の行く末を左右する局面では時として巫女の情報が頼りになります。女性は男性より右脳が発達しており、対象への同化能力、直観力が高くそれが導きとなった時代です。大きくなった社会の統合、判断軸に女性の力が使われた時代です。
例えば邪馬台国の卑弥呼のような存在は、当時の集団の女性の位置を表しています。
さて、大和朝廷の頃はどうでしょうか?
この時代、天皇に女性が何人も登場します。推古―斉明―持統など。この初期の天皇制に女性が多く登場したのも、上記の巫女的存在がまだ続いていたのかもしれません。そして彼らに命じられた男達がこの時代を作っていきます。
次に平安時代です。この時代は女性の位置は多少違って生きますが、平安時代全般を通じ、貴族社会は女性社会だったとい言うように、女性達が歌を作り、宮廷を仕切った時代と言えるでしょう。かな文字がその後の日本語の形成に大きく貢献したように、この時代の女性文化が日本の文化の源流になっていった可能性があります。
やがて武士の時代が訪れます。武士は一対婚を敷きますので、女性は完全に家内に入りますが、ここでもやはり家と家を繋ぎ、戦乱を避け、調整したのは女性達でした。
一方で、庶民の中においては江戸時代まで一対婚は定着せず、男が女の本家に通い婚姻してからは女性の家で暮らす、通い婚、婿入り婚が永続し、女性達の集団は壊される事なく、続いていました。
現在でも鹿児島県の女性の強さや、群馬県の母の強さは語り草になっていますが、日本では未だにどんな男でも女に頭が上がらず、それは男の弱さを嘆いているのではなく、家や集団を守るお母ちゃんに感謝している向きさえあるのです。
今回のシリーズは仮説として以下を設定し、それを史実を基に検証していきます。
「日本はかつて女達が豊かに集団の中で「充足存在」としての役割があり、それが今日まで脈々と繋がっている。そしてその鍵は女ではなく女達という集団性にある。今、社会的な変化、大きな転換期を迎え、女性の充足力は日本における大きな財産になる。今、それを歴史的に明らかにし、これまで日本史においてあまり注目されてこなかった女たちにスポットを当て、正史にない女性の歴史を浮き彫りにしていきたい。」  
philoso2_03.jpgるいグループHPよりお借りしました。
シリーズの進め方です。以下の小テーマで進めていきたいと思います。
1.今も地方に残る女たちの充足力が作るパワー
2.縄文の女達は集団と共にあった
3.巫女に見られる充足力と統合力
4.初期天皇に女性が多い理由とは
5.平安文化は女の文化
6.日本語(かな文字)を生み出した女性力
7.武士社会を動かした女たち
8.婚姻制度と女たちの充足力
9.日本社会における女と男の役割分化
10.エピローグ~次代は女たちの充足力と男たちの追求力

投稿者 tano : 2013年10月16日 List  

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