2009.02.12
武蔵国にも出雲系氏族が進出していた
前回は、「毛野国」について紹介しました。
押さえておくべきポイントは、以下の3点です。
①蝦夷とは東北日本の土着の縄文人に出雲系氏族が混血したもの。
②関東平野の北端部の利根川、太日川、毛野川の中流域は関東地方で最も早く、かつ継続的に出雲系氏族による開拓が行われた地である。
③毛野国への大和王権の勢力の進出は、3世紀から7世紀前半まで徐々に進められていった。非常にゆっくりであったのは、大和王権がまだ関東への進出にはあまり熱心ではなかったということと、毛野国では土着の出雲系氏族の勢力が強く、協調的にゆっくりとした進出とならざるを得なかった。
今回は、もう一つの国、「武蔵国」の様子を見ていきたいと思います。武蔵国 【引用、抜粋】
紀元前250年以降に西から内陸路(後の東山道)でやって来て定住していた出雲系の毛人の住む北関東の領域に、3世紀以降、海路(後の東海道)で南関東へやって来て鹿島灘まで達し、そこから転じて東から北関東へアプローチしてきた大和王権勢力という構図は、毛野国の南側、毛野川や利根川などが南関東海峡に注ぐ下流域の低湿地帯の東側の地域でも同様でした。
posted by naoto at : 2009年02月12日 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.11
神社と仏教(その1) ~神体山信仰から仏教の受容まで~
苦しい時の「神様、仏様、なにとぞお救いください」という常套文句は、日本における神社の始まりと、仏教の受容の有り様を端的に示していると思う。
日本中どこにもあって、違いがある様で、なんだか似たような存在である神社と寺院の関係は、その成立背景から密接に関わり合っていた様だ。
以下、「八幡神と神仏習合」(逵日出典著)を参考に、抜粋・引用させて頂いてます。
写真は、ほろほろ奈良から拝借したKing of 神体山「三輪山」のお姿。
まずは応援の をお願いします。
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posted by maeyan at : 2009年02月11日 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.10
殆どの日本人は本土クラスターと琉球クラスターに分かれる?
現代日本人のルーツについては南方アジア系、北東アジア系の二重構造説(2006年12月07日投稿されています。「二重構造モデルの補足の補足」 人類学者の埴原和郎氏が主唱している説)と、そうではなく4つのルートがある(2006年12月07日 日本人はるかな旅
→「弥生時代の渡来人」がやってきたルートは4つある )と言う説と未だ定説となるものがありません。
●昨年9月彼のノーベル賞受賞者野依良治氏が理事長をつとめる、独立行政法人理化学研究所が1人あたり約14万個所のDNA塩基多型を用いて日本人の集団構造を解明した。
図1
○7,000人以上の日本人の常染色体上のDNA塩基多型情報を解析 し
○ほとんどの日本人は、本土クラスター、琉球クラスターの2つに大別 され
○本土でも遺伝的な地域差があることが判明した
バナークリックをよろしく
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posted by ryujin at : 2009年02月10日 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.09
人はなぜ移動したのか?(なぜ拡散したのか?)
皆さん こんにちは
年初にnandeyaさんが提示したテーマの中から、
2.アメリカへ移動したのは何で?(そもそも何で移動するの?)
・ 北方モンゴロイドはなぜ北方へ、なぜアメリカ大陸へ?
・ 南方モンゴロイドは海伝いにあちこち移動したのはなぜ?
・ 南方モンゴロイドが北方へ移動して北方モンゴロイドになった?
を考えてみました。その中で(そもそも何で移動するの?・ 南方モンゴロイドは海伝いにあちこち移動したのはなぜ?を中心に)を扱ってみます。
アフリカを出発点として、現生人類は地球上のあらゆる地域(南極大陸以外)に進出しました。
原人と呼ばれる人たちも、現生人類より約200万年前に、同様にアフリカを出発し、北京原人の事例のように、アジアのかなり北部にまで進出しています。
360万年前のアファール原人の足跡(模型)の写真です。親子の2足歩行の足跡といわれています。
ブナ林と古代史
しかし、そもそもなぜ人は移動(移住)するのか?この理由、原因が知りたいところです。それがわかれば、ベイリンジアを通ってアメリカ大陸へ渡った人々以外にも、もっと古い時代に移住をした人々の存在もより鮮明になるかと思います。が
まずは、原人にしても、現生人類にしても、アフリカを出発したのはなぜ?ここからですね。
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posted by dokidoki at : 2009年02月09日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.07
北方モンゴロイド渡来から、マヤ・アステカ・インカ文明への道筋は? ~大型哺乳類の狩猟から農耕の開始まで~
アジアから北方モンゴロイドが渡ってきた過程が明らかになりつつありますが、その後のマヤ、アステカ、インカ文明までは一万年以上の距離があります。
また、生産様式は狩猟生産から採取、そして農耕へ
集団は、単一氏族集団から階層化した社会へと変化しています。
今回はこの過程を明らかにしていきます!
まずは、アメリカでの農耕の開始まで
↓続きはクリックしてから読んでくださいね。
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posted by nandeya at : 2009年02月07日 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.06
イスラム教は、商人の宗教!②~帝国を維持ためにとった方策とは?~
こんばんは~
第2弾です
前回の商人の宗教!①~イスラーム商会として台頭するまで~では、マホメットとその後継指導者であるカリフ(アブー・バクル)を経て、イスラームがアラブを統合するまでを見ました。そこでは、イスラームは宗教というより、経営組織の規約 といった感じで、活動の実態は、略奪・強盗 だったということが分かりましたね。
詳しくは、ぜひお読みください
本日は、3.さらなる冨の確保のための、略奪行為 から。
すでに一介のコンツェルンではなく、国家規模にまで成長していたイスラーム商会は、第2代カリフ(ウマル)の時代に領土をさらに拡大して帝国になってゆきます。疾風のように現れ、急速に拡大した、イスラーム帝国。周り(東ローマ帝国やペルシャやエジプト)もビックリです
それには一体どういったワケがあったのでしょうか?
応援お願いします☆
ありがとうございます
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posted by mituko at : 2009年02月06日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.06
イスラム教は、商人の宗教!①~イスラーム商会として台頭するまで~
こんばんは~
【チーム宗教】踏みとどまって 、イスラム教の誕生の背景をさらに詳しく調べてみました。
1.アラブの商業都市の様子
2.イスラーム商会として台頭
3.さらなる冨の確保のための、略奪行為
4.アラブ世界を統合するための、教え
を全2回でお届けします。
イスラーム(イスラム教の教え)って一企業の規約から出発したんですよ~ 😀
なかなか知られていないこと、満載です
では、はじまりはじまり~
おっと、その前に、当時の地理だけは押さえておきましょう
応援お願いします。
ありがとうございます
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posted by mituko at : 2009年02月06日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.05
ユダヤ人の頭脳はどのように作られている?
カッピカピさんが、ユダヤ人が迫害されるのはなんで?①(リンク)②(リンク)を投稿してくれました
自民族の国を持たない流浪の民 、長い迫害の歴史 を持つユダヤ人にとって、宗教は自分達の支えであり、絶対 のものでした。
そのため”ラビ”と呼ばれるタルムード(ユダヤ5000年の知恵が詰まった聖書に次ぐ聖典)学者が、教義の中身を洗練させ、厳格に律令化、ユダヤ教はタルムードの徹底的な肉体化を課せられることで、後世に受け継がれていっている
ユダヤ人人口は世界でたったの0.2%なのに、世界の富豪ベスト400人のうち15%がユダヤ人、というくらい商売に長けているユダヤ人
その頭脳はどのように作られているのか
なぜそれが可能なのか
を調べてみたいと思います 😀
続きの前に、クリック応援お願いします。
posted by pingu at : 2009年02月05日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.04
高松塚古墳のナゾ
こんにちは カナです 😉
今回は飛鳥美人で有名な高松塚古墳についてお話します
(画像はリンクよりお借りしました)
高松塚古墳の四神のなぞ
高松塚古墳に描かれている四神(青竜、朱雀、白虎、玄武)は高句麗の神。高句麗の由来をたどると、①タイ・ラオス・ミャンマー→雲南省→高句麗(農耕民族)、②呉越→高句麗(海洋民族)③北方騎馬民族(ツングース)。任那よりかなり以前に、高句麗からやってきているのではないか?
るいネットより
どうやら高松塚古墳は朝鮮と関係があるみたいです!
どんな人が、どんな境遇の中つくったのか というナゾに迫っていきます
ポチっとクリックお願いします 😀
posted by kana0444 at : 2009年02月04日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.02.03
騎馬民族(扶余族)は金官伽耶を経由して畿内へ入った
戦後あれほど注目された騎馬民族征服説ですが何故か日本の学会ではあれはなかったことにしよう的な雰囲気が強いようですね。「人はこなかった文化だけ来た」ということにどうしてもしたいようです。しかし、騎馬民族扶余族が朝鮮半島を南下したのは間違いない事実のようですし、当時の半島南端と列島は同じ倭人の住処として人と物の交流が頻繁であったことを考えると、半島南端を支配した騎馬民族が、日本へ来なかったと考える方が不自然というものです。「人はこなかった文化だけ来た」論は「朝鮮半島と日本列島は別々の国」という国家形成後につくられた領土観念=先入観に立脚しており、まずはこのイデオロギーを排除して考えないといけません。(ただしネット界では、なんでもかんでも韓国起源にしてしまう向きもあって、そこは注意しないといけません。北方要素、南方要素の峻別が重要です。)
では「騎馬民族扶余族の半島南下」の背景や実体はどのようなものだったのでしょうか。またその証拠は?
朝鮮半島南端 伽耶地方の地図です。
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posted by staff at : 2009年02月03日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList