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神社と仏教(その1) ~神体山信仰から仏教の受容まで~

Posted By maeyan On 2009年2月11日 @ 8:51 PM In 弥生ー律令時代の国造り | 6 Comments

苦しい時の「神様、仏様、なにとぞお救いください」という常套文句は、日本における神社の始まりと、仏教の受容の有り様を端的に示していると思う。
日本中どこにもあって、違いがある様で、なんだか似たような存在である神社と寺院の関係は、その成立背景から密接に関わり合っていた様だ。
以下、「八幡神と神仏習合」(逵日出典著)を参考に、抜粋・引用させて頂いてます。
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写真は、ほろほろ奈良 [1]から拝借したKing of 神体山「三輪山」のお姿。
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○最初の祭祀
神を祀る最初の「祭祀」形態は、古墳時代(3世紀後半~7世紀半ば)に整った様だ。
この形態は、農耕生活の普及と地域共同体の形成過程の中で成立してきて、秀麗な山を「神体山」として信仰の対象としていた。
この「神体山信仰」の特徴は、農耕の始まる春に神を山から人里に迎え、秋の豊穣を見守ってもらい、収穫後には神に感謝して山中に送り戻すというもの。信仰対象や宗教施設は、自然そのもの(岩、大樹、滝、湧き水等)で建物はなかった。
○神社の出現
神々は天上から必要なときだけ地上に降りてきていたのだが、恵みを与える神ならば、迎えたり送ったりするのではなく、人里に常駐して欲しいと願うようになり、神の常駐する場所が神社となっていく。
この時期は、社殿はまったくなく、人里近くの祭祀の場(岩、水、大樹)しかない。
神社に祀られた神は、もともと自然神(太陽、水、雨、風などの神)だったのが、身近な祖先神も共に祀られる様になり、次第に祖先神の比重が大きくなっていく。
血縁集団であった氏族社会において、こうして祖先神=氏神が成立する。祖先神は自らの祖先の象徴的な人物像を神に重ね合わせて人格神となり、神社には社殿が出現してくる。(早いところで7世紀後半から8世紀前半、大部分は8世紀後半から平安時代)
●初期神祇信仰の特徴
①「八百万の神」にみられる典型的な多神教
②超自然の力を借りて願望を達成する呪術的性格
③呪術の根幹となる祈祷は、現世祈願的
要するに我が国の神祇信仰は、自然と共にあり、素朴な心に基づく信仰だった様だ。
○仏教の伝来
仏教の始まりは、百済の天皇から日本の天皇への贈り物が始まりという。(538年)
天皇は、その経典、仏像に喜び驚くものの、古来の神信仰がある為に、公に仏教を受容する事が出来ずに、蘇我氏を中心にした氏族(豪族)から受容されていった。
したがって、日本仏教は「氏族仏教」として、寺院もまた氏族の造る「氏寺」として始まった。
最初の寺院は、蘇我馬子による飛鳥寺(597年)であり、これ以降仏教を受容した氏族が、続々と寺院を建て始めた。(巨勢寺、葛城寺、紀寺、興福寺等)
また舒明天皇の百済寺、聖徳太子の四天王寺、法隆寺など皇室関係者も氏族的に寺院を建てている。
○寺院の魅力とは
これら寺院は、当時の人達の目にどのように映っただろうか。
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仏は常に壮大な伽藍を有する寺院にあり、瓦葺きの屋根に朱塗りの柱と白い壁、天空にそびえたつ塔の姿などに、まず目をうばわれたことであろう。
堂内には、人格表現の金色に輝く仏の姿、つまり仏像が安置され、そこでは色とりどりの衣をまとった僧が、異国のあやしき音楽的な音色を背景に儀礼(法会)をとりおこなう。
あやしき音色と僧のとなえる経文の声は、堂内に響きわたり、天上からたれさがった天蓋や仏の国の様を描いた壁画・仏前の花・たちのぼる香の煙などと、有機的にあやしげに作用し合い神秘の世界を構築する。
その中で仏像の輝きは一段と増し、神々しく不思議な輝きと化して、人々の心を仏の世界に引導していく。

寺院は、まさしくエンターテイメント施設だったのだ!
○寺院から神社へ
仏教の公伝は、当初、神が常駐し始めた神社に、自然神から人格神への変容を促したのではないだろうか。いいものはすぐに受け入れて真似ることで成長してきた日本人は、きっと仏教文化を神社の社殿という形態へと取り入れていったのだろう。

氏神が守護神・祖霊神であったように、これら氏神は氏族の本拠地に建てられ、氏族の現世と来世にわたる祈願所であった。各氏族がこれまで古墳の築造に力を注いだのにかわって、氏寺の建立に力を注ぎ始めたのである。

仏教は、本来は教典に基づく深淵な理論に裏付けられた宗教なのだが、氏族達の受容スタイルは、あくまで外面的であり、日本の神祇信仰の心情と風土の上に取り入れていた様だ。

つまり、仏教を呪術的・現世祈願的なものとして受け入れたことにより、神も仏も本質的に大きな相違がなく、神祇信仰と同一の土壌の上に信仰された。要するにきわめて日本的な形で受容したのである。

こうして、魅力的な舞台装置とともに、新しい神のひとつとして仏教は日本へ迎え入れられたのだ。
なんとも日本的な話であり、この国民性というものは、いつになっても変わらない。
やっぱり日本仏教は、「仏教」ではなく、「日本仏教」であり、苦しい時に頼れる存在なら、神も仏もなかったのだ。


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