2009.10.21
科挙の歴史 ~科挙にはどのような意義があったのか~
『官僚制の歴史~官僚制と試験制の弊害とその突破口を探る』シリーズ
今回は、中国の官僚制を維持存続させる基盤となった科挙制度について扱います。
現在では、『官僚は試験によって公平に選ぶ』というのは世界の常識です。しかし歴史的に見れば、このような制度を導入したのは、中国を除けばごく最近の話です。
中国でははるか隋の時代(600年前後)に、科挙という官僚登用制度を導入していました。現在の世界各国に見られる『官僚は試験によって公平に選ぶ』という常識は、科挙制度が原点になっています。
「庶民から官僚を登用する」という世界史的にも特異なこの制度は、どのような経緯で登場し、以後存続したのでしょうか?
また、長く続いた科挙制度も清の時代に廃止されました。なぜ、廃止に至ったのか?
これらの視点で中国史を俯瞰してみたいと思います。
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posted by staff at : 2009年10月21日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.10.20
東洋人と西洋人との違いは「掠奪闘争による本源集団の破壊度」に規定される
日本人の心の底に残された、類い稀なる縄文人的精神基盤である「日本人の心の底に残る本源的な共認体質」はどこから来ているのでしょうか。
東洋人と西洋人との歴史の構造的な違い(掠奪闘争による本源集団の破壊度)を分析、理解することで、その理由が見えてきます。
「るいネット 実現論 第2部 私権時代 ロ.私権文明を問い直す(東洋と西洋) 」 で解説されていますので、紹介します。
その前に応援よろしくお願いします。
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posted by norio at : 2009年10月20日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.10.19
「日本人は闘えるのか?」④~不安発の古代宗教と感謝・同化の精霊信仰
「日本人は闘えるのか?」③~次代の実現基盤(「老舗企業大国」日本)
続いて「日本人は闘えるのか?」シリーズ第4弾です。
前回の老舗企業にも日本人の特性がうかがい知れる部分が多くありましたね 🙂
>老舗企業は、市場が利益第一志向へと変遷していく中でも、それだけに収束するのではなく、社会的な役割=期待も常に掴み、あくなき追求心と心遣いをもって応えてきたのではないかと感じます。<
では、社会が「私権第一」「個人第一」に染まる中、こういった社会的役割=期待に向かっていく企業を数多く産み出した日本人の精神構造はどこで創りだされたのでしょうか??
そのヒントに、常に対象を直視する思考・縄文時代の『精霊信仰』があるのではと思います。
縄文社会は無文字文化であることから、当時語られてた言葉そのものを・・・というのは難しいですが、縄文同様に『精霊信仰』を行なっていたケチュア等、ネイティブ・カルチャーについての投稿をるいネットhttp://www.jinruisi.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=4829より紹介したいと思います。
応援お願いします
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posted by dai1028 at : 2009年10月19日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2009.10.17
中国史にみる官僚の誕生~武力統合の必要から官僚の肥大化へ
前回は、中国が中央集権体制へ転換していった「周代から春秋戦国時代」への転換の背景を分析したが、もう少し長いスパンで中国が何故、中央集権体制へと転換していったのかをまとめておこう。
大きくみると中国には2つの圧力が働き、この圧力に適応するために中央集権体制は構築されていったといえそうである。
ひとつは北方・西方からの遊牧民の侵入圧力=外からの敵であり、もうひとつはそれに対抗すべく形成されていった諸侯(地方軍閥)=内なる敵である。
写真は秦の時代に築かれた内蒙古の長城:秦の始皇帝は国と国のあいだにあった長城(長い城壁)を統一の邪魔物として撤去。ただし、北から秦を脅かす匈奴の襲来に備えるために燕、趙、秦の三国の北側を東から西に走る城壁は拡張した。http://www.peopleschina.com/maindoc/html/kaogu/50/200205.htm
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posted by staff at : 2009年10月17日 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2009.10.16
縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-3
wikipediaより
pinguさんに引き続き、「縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?」パート3です。
アメリカの経済破局→ドル暴落→失業率増加→秩序崩壊、そのときアメリカ人は暴動に走ってしまうのか?アメリカのあおりを受けた日本はそのとき…暴動に走ってしまうのでしょうか?
今回は、西洋人と東洋人(日本人)の「観念体系」の違いを押え、今後の動向を予想したいと思います。
人の考え方や、観念というものは幼少期の環境に大きく影響されるといわれています。
幼少期といえば、母親にいろんな絵本を読んでもらったのを覚えています。
浦島太郎にかちかち山、金太郎に桃太郎、花咲か爺…これらの特徴は
男(雄)が主人公。
仲間を作り、弱い者を助ける勇気を奨励する。
自然、動物は人間の味方。
規範をやぶったときの罰は結構残酷。
それでは、西洋の童話はどうでしょうか?
白雪姫にシンデレラ、赤ずきんちゃん…これらの特徴は、
かわいい女性が主人公。
恵まれない身分のかわいい女の子が私権を獲得する下剋上物語。
自然、動物は恐ろしいもの。
悪いことをした人に対する罰は痛々しいほど残酷。
全体的に見て、日本は共同性を奨励し、西洋は他者に対する警戒と、自由な私権獲得という個人主義を奨励していることが分かります。
この違いはどういうところから来ているのでしょうか 🙄
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2009.10.13
日本古代;征服部族が作り上げた支配構造2
日本の皇統の歴史とその背後の支配勢力は、古代より、大王(おおきみ・天皇)の密命として蠢いていました。何時しかその歴史の中で、皇統より武力、観念力、技術力、資金力を持つようになり、大王を凌駕する経緯を未来狂冗談氏の「皇統と鵺の影人 第ニ巻」からおって見ました。このサイトを拝読して、冗談氏の切り口と独自の展開による説を展開していますので、とても面白いサイトであると思い、ご紹介します。第一巻に続き、かなり長編大作でした。その要約としてのポイントを以下にまとめてみましたので、サイトを一読されたし。
左から、一文字菊(天皇家紋章の元)・その紋章・役小角像
日本古代;征服部族が作り上げた支配構造もどうぞ。
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posted by 2310 at : 2009年10月13日 | コメント (8件) | トラックバック (0) TweetList
2009.10.12
「日本人は闘えるのか?」③~次代の実現基盤(「老舗企業大国」日本)
「日本人は闘えるのか?」②~日本人の特性(外国人から見た日本と日本人)
日本人は闘えるのか?シリーズも中盤にさしかかりました。前回は、日本人の意識構造について、活発なコメントも寄せられ白熱しました。今回は、日本の企業を通して可能性を探りたいと思います。
言うまでもなく、現代社会の企業の多くは市場原理に基づいた利益第一の集団です。そのような厳しい競争原理の中で、日本は、世界から比較して”老舗”と呼ばれる企業が数多く生き残っています。
老舗企業の技術革新・・・「老舗企業大国」日本(1/3) より(るいネット)
■1.「老舗企業大国」日本■
我が国は、世界で群を抜く「老舗企業大国」である。創業百年を超える老舗企業が、個人商店や小企業を含めると、10万社以上あると推定されている。その中には飛鳥時代、西暦578年に設立された創業1400年の建築会社「金剛組」だとか、創業1300年になろうかという北陸の旅館、1200年以上の京都の和菓子屋など、千年以上の老舗企業も少なくない。
ヨーロッパには200年以上の会社のみ入会を許される「エノキアン協会」があるが、最古のメンバーは1369年に設立されたイタリアの金細工メーカーである。しかし、これよりも古い会社や店が、我が国には百社近くもある。…(中略)…
さらに興味深いのは、百年以上の老舗企業10万社のうち、4万5千社ほどが製造業であり、その中には伝統的な工芸品分野ばかりでなく、携帯電話やコンピュータなどの情報技術分野や、バイオテクノロジーなど先端技術分野で活躍している企業も少なくないことだ。
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posted by sawatan at : 2009年10月12日 | コメント (7件) | トラックバック (0) TweetList
2009.10.11
春秋戦国時代、何故、中国では邑(共同体)が解体されていったのか?
中国の官吏制度研究に入る前提として、中国が中央集権化していった背景の分析から始めた訳ですが、田野さんが指摘されているように、yoriyaさんが引用された「中国的こころ」さんの分析は生産発展史観の限界を孕んでいるように思われます。
Yoriyaさんが紹介されたように、周から春秋時代にかけてが大きな中国史の転機であることは確かです。
商代:中央組織の原型、氏族連合と私権継承における兄弟間の争いの多発
↓
周:世襲制の確立
↓
春秋戦国時代:氏族の崩壊と開墾地小農民を束ねた新興勢力の登場
しかし「春秋時代に何故、小農民が増え、氏族社会が解体されたのか」については、見直しが必要だと思われます。
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2009.10.09
縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-2
くまなさんに引き続き、「縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?」パート2です 😀
経済破局が刻一刻と近づいてきていますが、現在の「充足・安定・保守」の潮流(参考記事:るいネット「潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流」を踏まえ、今後の社会どうなる を考える上で参考になりそうな記事を見つけたのでご紹介します
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posted by pingu at : 2009年10月09日 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2009.10.07
官僚制の起源『氏族連合から官僚制へ』~中国史2
周末期~春秋時代…生産性の向上による氏族連合の崩壊
農具の改良と農耕技術の発達による生産性の向上によって、それまでの氏族単位の農業ではなく、家族の長が主導となる家父長的小農民が可能になっていきます。
このような小農民はそれまでの邑付近の農耕地だけではなく、さらに郊外の地を開墾するようになります。そして、氏族の制限に縛られることなく独立した集団を形成できるようになります。
商周以来の氏族制度は揺らぎはじめ、その規制力は弱まり、封建関係にも変質を生じます。
そして、諸侯は氏族の支配を脱した小農民のために灌漑事業などを行って、これを支配し独自の勢力を築くようになります。
この直接支配によって、より強大な勢力を得ることができるようになり、さらに諸侯は土地と農民を求めて、他の諸侯と争うようになります。
このようにして、周辺部に台頭したこのような大土地所有者、新興勢力は次第に実力を蓄え、次第に周王室の脅威となっていきます。
そして、覇者の諸侯が出現すると相対的に周王の権力は衰えていくようになります。
戦国時代…集権的官僚制国家の萌芽
春秋時代の社会変化は、戦国時代になるとさらに加速し、氏族制度は崩壊してしまいます。
そして、邑を基礎単位とする諸侯国はさらに支配力を強め、領土国家となって他国と鎬をけずりあいながら、専制君主国家を作り上げる過程が戦国時代です。
専制君主国家の特徴は、官僚制と郡県制に集約されます。
項目 | 西周 | 春秋戦国 |
支配者層 | 氏族共同体 | 家父長的君主 |
君臣関係 | 血縁・世襲 | 非血族・非世襲 |
俸給 | 土地 | 土地からの租税 |
奉仕 | 封建的契約による奉仕 | 無制限の奉仕(服従) |
地方支配 | 卿・大夫の支配 | 郡守・県公・県君・令・丞 |
兵士 | 卿・大夫の支配 | 郡守・県公・県君・令・丞 |
賦 | 軍役 | 糧秣・馬匹・甲兵・皮革 |
上表にて西周と春秋戦国を比較しましたが、諸侯の支配範囲・権力が拡大していることが分かると思います。
春秋戦国時代になり略奪闘争が激化すると、農民を直接支配する諸侯は、従来の氏族だけでは兵士が不足するため、一般農民を徴兵することが可能であり、強大な兵力を有するようになります。
そして、さらに略奪闘争を繰り返し、領土国家を形成していきます。
この領土国家では分封制度に代わって郡県制が現れ、封建的君臣秩序に代わって官僚制が君主権を支えること=中央集権的官僚制国家の芽生えです。
『群県制』
県は県治の置かれた大郷とその周辺の郷から、都は都官の置かれた都邑とその周辺の邑(離邑)から構成されており、それぞれ、県嗇夫が県を、長官である官長が都を統括しいます。
そして、県と都は郡の下に配置されており、郡の中心には郡廷が置かれ、長官である郡守がこれを統括しました。
また県と都のほかに「道」という地方行政単位がありますが、これは異民族の居住する邑であり、県・都同様の道官が置かれ、道嗇夫が治めていました。
秦代…集権的官僚制国家の萌芽
秦は全国に郡県制を実施し、ピラミッド型の中央集権体制を確立しました。その体制下では、官僚は秦の皇帝に全面的に服従させられます。
秦は隣接している国や異民族の居住地を征服すると、そこに郡を設置し、その下部組織として複数の県や道でこれを構成しました。
これら新設された郡の法制上の位置づけは「属邦としての臣邦」でした。属邦とは、直接・間接を問わず秦の支配下にある国(土地)のことを指し、臣邦とは、秦が直接支配している国(土地)のことを指します。
つまり秦は、①故秦(元々の秦の地)と属邦を区別し、②さらに属邦の中を臣邦と外臣邦とで区別しました。この外臣邦が秦の直接支配の及ばない国(土地)のことです。
【故秦】 | 元々の秦の地。陝西省渭水流域、涇水以西の地。属邦と対等の区分。 |
【属邦】 | (直接・間接を問わず)秦の支配下にある国(土地)。秦の拡大により新たに秦に編入された土地の総称。故秦と対等の区分 |
【他邦】 | 秦の支配下にない国。他国。 |
【臣邦】 | 秦の一定の支配下にある国(土地)。属邦の一部分。郡が設置され、その下に県・都・道が置かれ、さらに秦の支配下にありながら宗廟社稷を認められた君主の地もあった。 |
秦が異民族の君主を封じて外臣とした国(土地)。属邦の一部分。秦の直接統治は及ばず、秦に臣属している国。 |
なお、戦国時代から秦に掛けて、集権的官僚制国家を形成していきますが、秦代も短命であったことを考えると、集権的官僚制国家の確立は秦の後の漢代からであると思われます。
2回に分けて官僚制に起源について見てきましたが、まとめると
商代から秦代につれ、生産性の向上→領土の拡大=集団規模が拡大し、それに伴って、集団・国の中央機能は氏族連合→封建制→官僚制(武力統合)へと変遷したことが分かります。
では、なぜ官吏登用制度が必要となったのでしょうか?
次回は、官吏登用制度の導入まで背景について、漢代以降の体制上の問題点などの抽出から探っていきたいと思います。
参考サイト | |||||
・ | :「商王朝の制度」 | ||||
:「西周史」 | |||||
:「春秋戦国史-概要-」 | |||||
:「春秋戦国時代の制度」 | |||||
:「県と郡」 | |||||
:「秦の身分制」
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古代中国:神聖政治から王による政治支配へ |
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posted by yoriya at : 2009年10月07日 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList