2008.10.31

DNAから、人類の拡散を探る

こんにちは、saahです。
今回は、人類の拡散過程について、DNAという視点から追求してみたいと思います。
まず、なぜDNAから人類の拡散過程を調べようとしているか?ですが、
従来は遺跡から発掘された人骨や歯などの形態的な特徴から、人類集団の系統や血縁関係などを類推してきました。
それに対し、昨今分子生物学の進歩により、生物としての歴史が書き込まれている遺伝子の本体であるDNAの解析の精度が格段に上がり、そこから私たち人類の歴史に関する様々なことが解明されてきています。
もともと4種類しかないDNAの様々な配列で人体が成り立っているのですが、このDNAは複製を繰り返す中で、突然変異といって、今までとは異なる配列を作ってしまうことが稀にあります。さらに生殖系の細胞に起こった突然変異は子孫へと受け継がれて行くので、その後他人とは異なった配列を持つタイプが出来ます。
こうしたタイプを調べてゆくことで、親子関係を特定したり、あるいは共通の祖先のタイプをさかのぼることが出来ます。(いわゆる「DNA鑑定」と言うのがこれですね)
最近はこのDNAの研究がさらに進んで、人類の祖先に関して「アフリカ起源説」や、あらたに「人種」とは異なる「ハプログループ」と言った概念が登場したりして、その方面のいろんな書物が書かれています。
今回はこのDNAの解明から、人類の拡散の過程がどうだったのかを、篠田謙一氏著作の「日本人になった祖先たち」を紹介しながら以下のような順番に人類の拡散を探ってみたいと思います。

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posted by saah at : 2008年10月31日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2008.10.30

ハンムラビ王の中央集権国家について

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画像は南風博物館からお借りしました。
 こんばんは、カッピカピです。今日はみつこさんの記事を引き継ぐ形で、ウル第三王朝時代の中央集権国家とハンムラビ王の中央集権国家の違いについて、同じく福岡教育大学城山西洋史 1998年卒業論文 小林のぞみさん「古代メソポタミアの社会」を引用、要約しながら書いてみたいと思います。
 まず、ウル第三王朝が長続きしなかった理由については、
①膨大な官僚、職人、労働者を抱え、絶えず厳しい監督を必要とする王室大経済は、領域国家の内部にあっては、もっと狭い領土に限られていたシュメール都市国家の枠内におけるほど、能率のよいものではなかったこと
②発展しつつある私的所有は廃止も決定的抑制もされなかったこと
③地域による貧富の差が明白になってきたこと
が挙げられています。このことから、厳しい監理を行うことで王室側が、どんどん疲弊していくのとは反比例に、貧富の差が拡大することで、冨が集中し、各地域の支配者の政治権力が王室のそれに拮抗し、ついには逆転して、崩壊してしまったと分析できます。
 では、ハンムラビ王の中集権国家の仕組みはどのようなものだったのでしょうか。ウル第三王朝時代の欠点は克服されていたのでしょうか。
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posted by hi-ro at : 2008年10月30日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2008.10.29

『壬申の乱』の真実から天武天皇の出自に迫る

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『壬申の乱』と言えば672年に起きた王位継承をめぐる日本古代最大の内乱と言われています。

天智天皇が本来なら弟である大海人皇子こと天武天皇を次期大王とするところを、我が子である大友皇子(弘文天皇)を後継者にと画策したことが壬申の乱の引き金となります。

この当たりまでは教科書で習って覚えている方もいるかもしれませんが、真実は少し違っていたようです。

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posted by yoriya at : 2008年10月29日 | コメント (2件) | トラックバック (0) List  

2008.10.28

「磐井の乱」新羅に乗せられたヤマトの反乱

未分類

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6世紀、北九州で起こった「磐井の乱」を日本書記から素直に読み解くと、
ヤマト王権(継体)VS筑紫国(磐井)
  |            |
 百済       VS  新羅

という図式が浮かんできます。
しかし、
①当時、ヤマトによる北九州支配はどこまで行なわれていたのか。
 (支配関係か、並列関係か)
②継体天皇(とふたりの皇子≒一族)の滅亡と磐井の乱終焉の因果関係は?
③新羅の南加羅支配と磐井の乱の因果関係は?
といった、疑問は残ります。(書記には言及されていない)
最近では、磐井の乱はなかった、とする新説まで登場しています。
「おそらく事実は逆で、大和王朝が新羅と組んで倭国筑紫王朝の壊滅を謀ったものである。」
という記事をみつけたので紹介します。
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posted by at : 2008年10月28日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.10.24

『古事記』・『日本書紀』何が違う??

こんばんは。
10月10日、13日とtanoさんが、
古事記を知る!~るいネットの投稿群から
日本書紀を知る!~るいネットの投稿群から
を投稿してくださってますが、『古事記』、『日本書紀』に対する真相究明が今熱いです!!
そこで、今回は『古事記』、『日本書紀』の中で、具体的にどこがどう違っているのか??
について、まとめてみました。
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posted by jomon10 at : 2008年10月24日 | コメント (7件) | トラックバック (0) List  

2008.10.23

記紀でスサノオが乱暴者(悪者)扱いされているのは、なんで?

😀 くまなです
古事記・日本書紀が書かれた意図を考える上で、乱暴者(悪者)扱いされているスサノオの存在は重要ではないかと思われます。スサノオは地元出雲の伝承では英雄として描かれているからです。つまり、記紀では敢えて悪者に仕立てたのではないかということです。
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(スサノオを祀る総本社津島神社にあるスサノオの肖像画。リンクよりお借りしました。)
スサノオは古事記では「建速須佐之男命」あるいは「須佐乃袁尊」、
日本書紀では「素盞嗚尊」あるいは「素戔嗚尊」と表記されている。
神様の名前であるが、古事記では単に「須佐(地名)の男」、
日本書紀の「素戔嗚尊」に至っては「素:何も持っていない」、「戔:少ない」、「鳴:泣く」、とかなり貶めている。他にも、

「素」は、ソまたはスと発音し人を表す語に付けて、「平凡である。みすぼらしい」など軽蔑の意を添え、「素町人」「素浪人」など。「戔」は、音読みでは「サン」・「ザン」・「セン」で、「きずつける」、「そこなう」という意味である。「鳴」は、鳴く(泣く)こと、吠えること。またその声を云う。つまり、「きずつき、みすぼらしく、泣く人」という意味16)になる。如何に侮辱(ぶじょく)した名称かがわかる。

さらに、記紀では、母イザナミのいる根の国に行きたいと仕事もせず泣き叫ぶので高天原を追放され、お別れを言いに姉アマテラスの元を訪れたのに、乱暴を繰り返し追放されます。怠け者で粗暴な神様として描かれています。
では、実際のスサノオはどのような人物だったのでしょうか。
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posted by kumana at : 2008年10月23日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2008.10.21

朝鮮半島に前方後円墳があるのなんで?

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みなさんもよく知っている前方後円墳。私は日本固有の古墳だと思っていたのですが近年では朝鮮半島西南部でもその前方後円墳が10数カ所発見されているそうです。
前方後円墳は日本では3世紀頃に登場して7世紀前半に消滅したと言われており日本全域で7000基以上発見されいます。一方、朝鮮半島では5世紀から6世紀まで登場して消えたと言われています。
歴史的にはやはり日本の方が古いんですね!
では、日本の文化であった前方後円墳が何故朝鮮半島にあるのか?気になりませんか?
今日はその辺りを扱っている興味深い記事を発見しましたので紹介したいと思います。 『大倭穴友会』 からお借りしました。ちょっと長いですがそのまま引用します。
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posted by mrran at : 2008年10月21日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2008.10.20

「領(し)る」を「知る」に変えた日本人

日本人は、大陸から文字が伝わり、どのようにそれを取り入れていったか?仮説的な論考があったので、アップしてみます。
縄文時代…「支配」という圧力とは無縁だった、彼らの意識構造を垣間見ることができそうです。
参考サイト
古橋信孝『「知る」ー和語の文化誌』を読んでから抜粋させて頂きました
byさーね 😮
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posted by sawatan at : 2008年10月20日 | コメント (0件) | トラックバック (0) List  

2008.10.17

シュメール以降のメソポタミア宗教

こんにちわちわわです。
シュメール人の宗教がどう変遷していったか南風博物館http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/babylon/babylon_rel.html#assyria_assurさんよりまとめてみました。
叙事詩「エヌマ・エリシュ」 バビロニア人による、マルドゥークの創世神話である。
 かつて宇宙が生まれる前は、この世は混沌とした液体で満たされており、果てしなく続く「根源の海」が広がっているだけだった。ここに、醜悪な姿をした怪獣ティアマトが住んでいたのである。最初の女性であるとされている。
 ティアマトが産んだ子供たちの中に、神聖な光を宿す存在があった。それがマルドゥークである。彼は成長するにしたがい、混沌としたこの世を正し、秩序を作りあげるために、母であるティアマトに戦いを挑む決心をするのである。しかし、従う者はなかった。彼は独力で、強大な力を有する母に立ち向かっていった。
 そして困難な闘いのすえに、彼はついに勝利をおさめたのである。マルドゥークは神として認められ、天界での至上権を保証した「天命の書」を手にする。その力を得たマルドゥークは混沌の液体からティアマトの死骸を取り出し、海を宇宙に変えたのである。
 最初の人間は、ティアマトの血から生まれた。だが彼は人間たちの上に君臨することなく、それを守護する神々を作って彼らの自由にまかせた。そしてマルドゥークは最後の仕上げとして、月や星、太陽などの秩序ある動きを決め、天界にみずからの宮殿エ・シャラを建造した。地上にはエ・シャラにいたる門としてバビロンの神殿を作ったのである。
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posted by tiwawa at : 2008年10月17日 | コメント (3件) | トラックバック (0) List  

2008.10.16

世界最古の『戦争記録』

未分類

こんにちわ!
前回の『世界最古の戦争??』では、侵略行為があったと見受けられる遺跡をご紹介しましたが、今回は『世界最古の戦争の記録』をご紹介します。
時代としては、およそ4600年ほど前(紀元前2600円頃)で、ウル第一王朝やアッカド王朝が興る少し前になります。
この時代は、たくさんの都市国家が存在していましたが、今回の主人公はその中のラガシュとウンマという都市国家、この二国(?)間で起きた争いになります。
一体どんな争いだったのか?
気になる方は続き・・・の前にいつものよろしくです
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posted by maru at : 2008年10月16日 | コメント (6件) | トラックバック (0) List  

 
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