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世界最古の『戦争記録』

こんにちわ!
前回の『世界最古の戦争??』 [1]では、侵略行為があったと見受けられる遺跡をご紹介しましたが、今回は『世界最古の戦争の記録』をご紹介します。
時代としては、およそ4600年ほど前(紀元前2600円頃)で、ウル第一王朝やアッカド王朝が興る少し前になります。
この時代は、たくさんの都市国家が存在していましたが、今回の主人公はその中のラガシュとウンマという都市国家、この二国(?)間で起きた争いになります。
一体どんな争いだったのか?
気になる方は続き・・・の前にいつものよろしくです
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アリガトございます
さて、世界最古の戦争の記録ですが、これは「エアンナトゥム王の戦勝碑(通称:禿鷹の碑)」と呼ばれるものになります。また、エアンナトゥム王はウンマ市だけでなく、他の諸都市ともよく戦った王だと言われています。
戦争の概要ですが、ラガシュ市(都市国家ですので便宜上、「市」と呼びます)とウンマ市がその領土を争ったようで、結果的にはラガシュ市が勝利します。
この戦争の内容についてですが、「エアンナトゥム王の戦勝碑」には欠損部分が多く、全体像が分かりにくいので、エアンナトゥム王の2代後の王であるエンメテナ王(エアンナトゥムの兄弟の子供)の王碑文で回顧されています。
これによると、隣接したラガシュ市とウンマ市の国境を、キシュ市(このキシュ市は最古の都市国家とされている)のメシリム王の調停で画定し、国境に境界石を立てていたようなのですが、これをウンマ市のウシュ王が壊してラガシュの領土に攻め入ったことが原因だとされています。
(なお、そのとき争った領土は肥沃な耕地である「グエディンナ(=エディンの首)」と呼ばれる地で、一説では旧約聖書の「エデンの園」のモデルとも言われています。)

結局、ウンマ市の侵略をラガシュ市は食い止め、エアンナトゥム王はウンマのエンアカルレ王との間に国境を定め、メシリム王の定めた境界石を元に戻したようです。
実はこの争いはその後も続き、先述のエンメテナ王の時代においては、ウンマの人はラガンユの大麦を借りたが、利子が膨大な量となって返せなくなったために、ウンマのウルルンマ王は国境の運河から勝手に水を引き、境界石を壊し、境界を守る神々の聖堂を破壊したという事態も起きたようです。
しかも、いくつかの都市がウルルンマに加担し、国境の運河を越えて攻め込んで来たようで、エンメテナ王の父であるエンアンナトゥム一世はこの侵攻を受けて立って戦ったが、どうやら戦死したらしい。

この非常時に跡を継いだエンメテナはよく奮戦し 、父の仇ウルルンマを敗走せしめた。ウルルンマ亡き後のウンマではイルが王となって、このイルとエンメテナは再度協定を結んだ、となっています。
以上のように、「非はウンマにあり」の視点から、エンメテナ王はウンマ市との長い戦争を回顧していますが、ウンマ市との戦争はエンメテナ王の治世以降もさらに続きました。
ちなみにこの両者の闘いに決着をつけたのは、ウンマ市のルガルザゲシ王とされています。しかしこのルガルザゲシ王もシュメールを統一することなくアッカドのサルゴン王に屈してしまいます。
今回の内容から分かること、想像できることが二つあります。
一つは、古代の戦争において、領土(特に農地やおそらく資源のある土地)争いが、その発端になっていたということ
そしてもう一つは勝者によって歴史が作られるということです
次回は、先述の「エアンナトゥム王の戦勝碑」を違った角度から分析してみたいと思います
乞うご期待 😉
参考文献:~「シュメル -人類最古の文明」小林登志子氏著~

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